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小松亀一法律事務所は、「相続家族」問題に熱心に取り組む法律事務所です。

相続財産

遺骨所有権は慣習に従って祭祀主宰者に帰属するとした判例紹介

○「遺骨の所有権は慣習に従って祭祀を主宰すべき者に帰属1」以下で紹介した平成元年7月18日最高裁判決(家庭裁判月報41巻10号128頁)の第一審で、遺骨の所有権は、慣習に従って祭祀を主宰すべき者に帰属したとして、祭祀を主宰すべき者への遺骨の引渡しを命じた昭和62年5月27日千葉地裁判決(家庭裁判月報41巻10号131頁)全文を紹介します。

○この第一審判決は、控訴審昭和63年4月18日東京高裁判決(家庭裁判月報41巻10号129頁)、平成元年7月18日最高裁判決(家庭裁判月報41巻10号128頁)でも維持されて確定しました。

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主   文
一 被告らは原告に対し,別紙物件目録記載の物件を引渡せ。
二 訴訟費用は被告らの負担とする。

事   実
第一 当事者の求める裁判

一 原告
 主文第1,2項同旨の判決ならびに仮執行の宣言
二 被告ら
 請求棄却,訴訟費用原告負担の判決

第二 当事者の主張
(請求の原因)
一 別紙物件目録(略)記載の各物件(以下両者を合わせて本件遺骨という。)は原告の所有に属する。即ち,
1 原告は訴外亡長嶋A(以下亡Aという。)およびその妻訴外亡長嶋B(以下亡Bという。)と昭和38年2月25日に原告を養子として養子縁組をした。

2 原告は昭和47年結婚するまで亡Aがその敷地とともに所有する千葉市○○町××番地×所在の建物(以下本件建物という。),(なお本件建物の現況は,別紙建物見取図(略)のとおりである。)で養父母と同居していたが,結婚を機に世帯を別にすることとなり,以来別居のままであつた。

3 亡Bは昭和57年7月13日死亡したが,その遺骨(本件遺骨のうち別紙物件目録2に記載のそれ)については,亡Aが,その死亡後共に埋葬されることを希望し,本件建物内の仏壇に安置していた。

4 亡Aは昭和59年11月26日死亡した。

5 亡Aの相続人は養子である原告1人であり,原告は本件建物をその敷地とともに相続により所有権を取得して(但し,後記のとおり亡Aから被告らに贈与された部分を除く。),その旨の登記手続を経由したが,さらに亡Aの遺骨を含む本件遺骨も相続により原告に帰属するにいたつたものである。


1 被告らは夫婦であるが,原告が結婚する以前から原告と養父母の家族と本件建物内に同居して,養父母の身の廻りの世話を行つており,後には本件建物の一部をその敷地とともに亡父Aから贈与され(右贈与された部分は別紙建物見取図の赤線の北西側部分である。),住まいとして使用していた。右の被告らの住居と亡A所有の本件建物とは明確に区分されておらず,また身の廻りの世話のためには本件建物内に自由に出入りすることが必要であつた結果,亡Aの死亡時には被告らが本件建物の全部を占有することとなつた。

2 亡Aは生前○○クラブの名称で宗教研究クラブを主宰していて、被告らもその構成員であるが,被告らは前記のとおり本件建物が被告らの占有下に入つてからは,本件遺骨を○○クラブが守るのだと主張し,本件建物内の仏壇に金庫を据えてその中に本件遺骨を入れてこれを占有している。

3 被告らはその答弁において,亡Aが被告らを民法897条1項但書にいう祖先の祭祀を主宰すべきものとして指定したから本件遺骨の占有権原がある旨主張するが,右主張は否認する。 
 亡Aは,生前菩提寺たる銚子市の○○寺に長嶋家の墓を建立するなどして右墓に埋葬されることを希望しており,また原告らにもその旨申し述べていたものである。
 また亡Aが死亡後は,同人が主宰した○○クラブも,同人に代る主宰者は現われておらず,今後も存続し得るかは疑問であり,この点からも被告らが本件遺骨のみについて祭祀の主宰者に指定されることなど客観的にあり得ない。

三 原告は,慣習に従い,長嶋家の菩提寺たる銚子市所在の○○寺の墓に,亡父母の本件遺骨を埋葬すべく,被告らにその引渡を求めたが,被告らは前記の理由でこれを拒んでいるので,本訴請求に及ぶものである。
(請求原因に対する答弁)
一 請求原因事実中,被告夫婦が昭和38年ごろから亡A夫婦と本件建物内に同居してその身辺の世話をしてきたこと,昭和47年4月ころ,本件建物中,原告が主張する部分をその敷地とともに亡Aから贈与されたこと,原告と亡Aとが養子縁組をしたこと,亡Aと亡Bの夫婦が原告主張の日時に死亡したことおよび本件遺骨を被告らが占有していることの各事実は認めるが,その余は否認し,争う。

二 被告両名は,原告が亡A夫婦と別居した直後の昭和49年3月ころ,亡Aから祭祀承継者として指定されたものであり,これにもとづき本件遺骨を占有しているものである。
 被告らが右のとおり亡Aから祭祀承継者として指定された事情は次のとおりである。即ち,
1 原告は前記のとおり昭和49年ころ亡Aと別居するにいたつたが,その直前の昭和48年12月10日,原告と亡Aとはその間の養子縁組を解消することを合意したものである。しかしその手続がなされないまま亡Aは昭和59年11月26日死亡したものであり,右の手続がなされなかつたのは原告の怠慢によるものである。
 原告において,亡Aの養子であり,相続人であると主張するならば,養子としての義務を尽くすべきであるのに,原告は右別居以来病気療養中の養親の看病も,仕送りもせず,住居所も明らかにせず無音にうち過ぎたものであり,あまつさえ養親の通夜,告別式にも出席しないなど,その尽くすべき義務を果たさなかつた。

2 亡Aは生前○○クラブとの名称で宗教研究会を主宰して本件建物をその活動の本拠としていたが,妻である亡Bの死後その遺骨を右自宅内に安置していた。このことは自らの遺骨も同様本件建物内に共に安置されることを希望していたことを示すものであり,また生前被告らにもそうしてくれるよう話してもいた。

3 被告ら夫婦は昭和38年3月ころから本件建物内で亡A夫婦と同居して,同夫婦が死亡するまでその看病をし,奉公してきたものであり,原告らが別居する直前の昭和47年4月ころまでには前記のとおり本件建物の一部をその敷地とともに贈与も受けている。
 また原告らが別居した昭和49年3月以降は亡Aの名代として,親類縁者,○○クラブの会員の冠婚葬祭その他一切の諸行事にたずさわり,また○○クラブの活動の本拠である本件建物の維持管理も委ねられて,亡Aの死後もその責めを果たしている。

三 右のとおり被告らは亡Aの遺志に従つて本件遺骨を本件建物内に護持管理しているものであるから,原告の引渡の要求には応じられない。

第三 証拠
 本件記録中の証拠関係目録のとおりである。

理   由
一 原告,被告両名各本人尋問の結果と成立について争いのない甲第1号証とによれば,原告は昭和38年2月25日亡Aおよび亡Bの夫婦と養子縁組をしたが,亡Bは昭和57年7月13日に死亡し,次いで亡Aは昭和59年11月26日に死亡したこと,亡Aおよび亡Bの夫婦には原告のほかに子はなく,従つて亡Bの死亡に伴つての相続人は亡Aと原告とであり,次いで亡Aの死亡に伴つての相続人は原告のみであつて,他に相続人はいないことおよび被告両名が本件建物内において本件遺骨を占有していること等の各事実が明らかである(右のうち,原告と亡Aとの養子縁組の点,亡Aと亡Bとの死亡の点および本件遺骨を被告らが占有していることは当事者間に争いがない。)。
 従つて亡Aの死亡した時以降,亡Aおよび亡Bの遺産は原告において全て承継取得したものであり,被告らの占有している本件遺骨もまた同様と解される。

二 そこで被告らが主張する亡Aからの祭祀承継者としての指定について判断する。
1 前項に認定した各事実と原告,被告両名各本人尋問の結果,証人井原徳念,林田厚太郎,田中文子,山下義夫の各証言,および前記甲第1号証,成立について争いのない甲第2,第3号証,第4号証の1,2,乙第1号証の1,2,第2ないし第16号証,第17号証の1,2,第18号証ならびに弁論の全趣旨とを総合すると,

(一)亡A(明治39年5月1日生)は,若年のころから日蓮上人の教義に帰依し,昭和24年ころまで東京都亀戸に所在した訴外亡河合和弥が主宰していた宗教法人○○会に住み込んで学び,その間の昭和16年7月28日亡B(明治44年11月27日生)と婚姻したこと,その後亡A夫婦は昭和31年ころ千葉市○○町所在の本件建物に転居して,ここを本拠として布教活動を始めたが,亡Aの人柄に惹かれその教義を信奉する信者は多数に及び,これら信者は翌昭和32年ころ亡Aを支援し,かつ信者間の親睦を目的として,○○クラブの名称の会を作るに至り,以後亡Aは本件建物において同クラブの名称で布教活動をしていたものであること,

(二)原告(昭和11年12月29日生)は,その兄とともに亡Aのもとに集る信者の一人であつたが,亡A夫婦はその間に実子がなかつたため,原告が高校生であつた昭和38年2月25日これを養子とする縁組をなし,以後原告を手元に引取つてその養育監護をしてきたこと,原告は以後本件建物において亡A夫婦と同居し,大学卒業後は横浜市に所在する○○女学院に教師として勤務するようになつたが,昭和47年4月14日その妻祐子と婚姻するに至つたこと,原告夫婦は結婚後しばらくの間は本件建物において亡A夫婦および後記のとおり昭和38年ころから同居するにいたつた被告夫婦と共に生活していたが,原告夫婦と被告夫婦の折合は必ずしも良くなく,むしろ悪かつたことおよび原告が横浜市までの通勤で健康を損ね勝ちであつたこと等からこれを心配した亡A夫婦からの勧めで昭和49年初めごろ横浜市内に転居して以後別居するようになつたこと,別居して後以降原告夫婦と被告夫婦との間はもとより往来はなくなつたが,原告夫婦と亡A夫婦との間のそれは続いていたこと,

(三)被告多田典子は亡A夫婦とは何ら血縁関係はないが,亡A夫婦が本件建物に転居する前から家族ともどもその熱心な信者であつたものであり,右転居の2年後位に被告多田健治と婚姻し,同被告もそのころから亡Aの人柄に惹かれてその熱心な信者となつたものであること,亡A夫婦は昭和38年3月ころ本件建物の西側車庫のうえに増築(別紙建物見取図の赤線の北西側部分である)し,そこに被告夫婦を居住せしめてこれと同居するようになつたこと,なお右増築部分については昭和47年ころ亡Aから被告夫婦に対しその敷地部分約48平方メートルとともに贈与がなされていること,被告夫婦は右同居して以来,原告夫婦が別居した以降も亡A夫婦の身辺の世話をし,右夫婦がその晩年病気勝ちになつてからは手厚い看護をするなど同夫婦に献身奉公するかたわら,亡A主宰の○○クラブの活動の本拠である本件建物の維持管理をなし,同クラブの諸行事にたづさわつてきたものであること,

(四)そして亡Bは昭和57年7月13日に死亡したが,亡Aはその遺骨については埋葬せず,本件建物内の仏壇に安置していたが,亡Aも昭和59年11月26日死亡し,その遺骨も含めた本件遺骨については,被告夫婦が亡Aの遺命によるものとして本件建物内の仏壇に安置して現在に至つているものであること,

 ところで亡Aが主宰していた○○クラブは,亡Aが健在のころは年に1回の会員の親睦旅行会のほか,月に1度位の割合で亡Aの自宅の本件建物に集会して亡Aの法話を聞くのが例であつたが,昭和51年ころ亡Aが脳血栓で倒れて声がでなくなつて以降は,従前の亡Aの法話の録音テープを聞くという形で続けられ,右のような○○クラブの活動は亡Aの死後,現在も続けられていること,また右のようにして毎月集まる会員の数は多いときで100名以上もいたが,亡Aの三回忌が行なわれた昭和61年11月26日以降は,漸次減つて現在は4,50名程度になつていること,右○○クラブの会員は被告夫婦が昭和38年に同居して以来,原告夫婦が別居後も,亡A夫婦に仕えてきた状況を直接見聞していることから,本件遺骨に関する本件訴訟についてもおしなべて被告夫婦に同情的であり,被告夫婦とともに本件遺骨を本件建物内に安置しておきたいと考えていること,

(五)ところで銚子市に所在する目蓮宗の○○寺は亡Aの長嶋家にとつて明治初年ころからの菩提寺であるが,同寺には昭和15年ころ亡Aとその兄弟が作つた墓があり,亡Aは家族を伴つて少なくとも年に1回は同寺を訪れて墓参等をしていたこと,同寺の現在の住職である井原徳念は父住職のもとで副住職の立場にあつた昭和32年ころ亡Aと知合い,以後は右のように亡Aが訪れた際には宗教上の問題について互いに教え合う親密な交際をしてきたものであり,亡Aが脳血栓で身体が不自由になつた昭和51年ころ以降は逆に右井原が年に1回お盆の折に亡A方を訪れていたこと,亡Aは右井原に対し,家庭内の問題についても話をし,原告を養子にしたころには,原告には信仰の面も継承させたいし,長嶋家の養子として一切委せていきたい旨を,原告が大学を卒業後前記○○女学院に教師として勤務するようになり,亡Aと別居するようになつたころには,原告には学問の道を進ませたい,多田典子は一寸病気があり心配だから手離せない,身の廻りの世話もしてもらえるから自分の手元におく旨を,話したりもしていたこと,また○○クラブのことについては,自分は○○クラブという会をもつているが,いわゆる宗教法人とすることは遠慮している,在家にあつて日蓮上人の教えを一人でも多くの人に分かち与えることができればそれで満足である旨も話していて,右井原は亡Aの右の話を聞くにつれ,同人の通常の生活ぶりと合わせ世俗の利を求めることをしない極めて謙虚な人柄として受けとめていたこと,

 なおその後同寺にある長嶋家の墓については原告がその費用で新しく作り,原告は慣習に従つて右墓に亡A夫婦の本件遺骨を埋葬したいと考えているが,被告らの拒絶により果たせないでいること,
 以上のような事実関係を認めることができ,これらを左右するに足りる証拠はない。

2 被告らは,右のような状況下において,亡Aが昭和49年3月ころ,被告らを祭祀主宰者として指定し,本件遺骨を被告らが本件建物内で護持するように申し向けた旨を主張するものであり,各被告本人尋問においても同旨を供述するほか,これに添う証拠として証人田中文子,同山下義夫の各証言および前記乙第3ないし第16号証と第17号証の1(被告らおよび○○クラブの会員の各陳述書)とが存するものである。

 しかしながら他方前記のとおり亡Aの長嶋家の菩提寺の住職であり,宗教上の知己としても親しく亡Aと交際していた証人井原徳念の証言によれば,亡Aは原告との別居後,何度か右井原に対し,自分と妻とのどちらが先に死んでも一緒の墓に入りたい,多田という婦人に身辺を見てもらうが,自分が先に死んでも骨は家に置いておき,家内が死んだら一緒に○○寺の墓に埋葬するようにしてもらいたい旨を申し向けていたこと,またもし亡Aが真実本件建物において本件遺骨を守つてほしいとの気持を有していたのであれば,当然菩提寺である○○寺の住職の井原にその旨告げているはづであるのに,そのような申し出は亡Aからは何らなされてはいなかつたし,籍だけを,右寺に置き遺骨は別の宗教団体で祭るという発想は亡Aの法華教の理解ではあり得ないと考えられることおよび亡Aは極めて謙虚な人柄であつてその遺骨を特別に祭つてほしいというようなことを考えるとは到底考えられないこと等の各事実が認められるのであつて,同証言に照らし,前記被告らの主張に添う各証拠はたやすく措信し得ないものというべきである。
 ほかに被告らの主張を認めるに足りる証拠は本件記録上存しない。

三 以上の次第であつて,慣習に従つて長嶋家の菩提寺である前記○○寺の墓に埋葬すべく,本件遺骨の引渡を求める原告の本訴請求は認容せざるを得ないのであるが,前記でみた,被告両名が,昭和38年以降,昭和49年の原告の別居後も,亡Aおよび亡Bの夫婦と本件建物内で同居して同夫婦が死亡するまでその看病をし,奉仕をしてきたことおよび被告夫婦もその一員である前記○○クラブの会員が現在にいたるも亡A夫婦の遺徳を偲び本件遺骨を守る考えであり,その道場でもある本件建物での研究活動を継続している状況に鑑み,更新前の裁判所も,更新後の当裁判所も和解による円満な解決を模索した(当初は分骨の方向での説得を試みたが,双方の容れるところとはならず,亡Aの三回忌(昭和61年11月26日)の前後ころからは,亡Aの七回忌後原告に引渡し,それまでは被告ら保管,および被告に対する相当な財産の贈与を骨子とする説得を試み,原告からはほぼ了解を得られたが,被告両名からはこれも峻拒された。)が,いずれも失敗に帰したものであり,本判決のやむなきにいたつたものである。

四 そこで原告の本訴請求を認容し,訴訟費用の負担につき民訴法89条,93条を適用し,仮執行の宣言は不相当であるからその申立を却下して主文のとおり判決することとする。

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平成元年7月18日最高裁判決

主   文

本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。

理   由
上告人らの上告理由第1点について
 所論の点に関する原審の認定判断は,原判決挙示の証拠関係に照らし,正当として是認することができ,その過程に所論の違法はない。論旨は,ひつきよう,原審の専権に属する証拠の取捨判断,事実の認定を非難するものにすぎず,採用することができない。

同第2点について
 原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて,本件遺骨は慣習に従つて祭祀を主宰すべき者である被上告人に帰属したものとした原審の判断は,正当として是認することができ,その過程に所論の違法はない。論旨は,採用することができない。
 よつて,民訴法401条,95条,89条,93条に従い,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 安岡満彦 裁判官 伊藤正己 坂上寿夫 貞家克己