○「
中枢神経既存障害・末梢神経障害同一部位性否認判例理由紹介1」で理由だけ紹介した判例は、実務的には、自賠責実務での従前の安易な取扱を否定した極めて重要な判例なので主文・事実全文を紹介します。
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主 文
1 被告Y1は,原告に対し,414万0140円及びこれに対する平成21年10月29日から支払い済みまで年5分の割合による金員について,うち75万円は被告東京海上日動と連帯して支払え。
2 被告東京海上日動は,原告に対し,被告Y1と連帯して75万円を支払え。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は,原告と被告Y1との間において生じたものは,10分の1を原告の,10分の9を被告Y1の各負担とし,原告と被告東京海上日動との間において生じたものは,被告東京海上日動の負担とする。
5 本判決は,第1,2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 被告Y1は,原告に対し,460万2674円及びこれに対する平成21年10月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告東京海上日動は,原告に対し,75万円を支払え。
第2 事案の概要
本件は,被告Y1が運転する普通乗用自動車(以下「被告車両」という。)が車いすで通行中の原告に衝突した交通事故(以下「本件事故」という。)につき,原告が,被告Y1に対し,民法709条又は自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)3条に基づき,後遺障害慰謝料等合計460万2674円及びこれに対する不法行為の日である平成21年10月29日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに,被告Y1との間で自動車損害賠償責任保険契約を締結していた被告東京海上日動に対し,自賠法16条1項に基づき,75万円の支払を求める事案である。
1 前提事実(当事者に争いのない事実並びに証拠及び弁論の全趣旨より容易に認められる事実)
(1) 本件事故の発生(甲1,21,争いのない事実)
ア 発生日時 平成21年10月29日午後7時20分ころ
イ 発生場所 さいたま市北区盆栽町164番地3
ウ 被告車両 普通乗用自動車(大宮○○○い○○○○)
エ 事故態様 原告が車いすで信号機のない交差点(以下「本件交差点」という。)を北方から南方に直進しようとしたところ,被告車両が一時停止規制のある東方の道路から同交差点に進入し,原告に接触して,転倒させた。
(2) 責任原因
被告Y1は,本件交差点に進入するに際し,一時停止規制に従って,一時停止をしたうえ,通行者の有無及び動静に留意し,安全を確認しながら進行すべき自動車運転上の注意義務がありながら,携帯電話を使用していたことから前方不注視となり,一時停止をせずに本件交差点に進入するという上記注意義務違反により,本件事故を発生させたものであるから,民法709条に基づき,原告に対し,原告が被った損害を賠償しなければならず,また,被告車両を自己のために運行の用に供する者であるから,自賠法3条に基づき,原告に対し,原告が被った人的損害を賠償しなければならない。(争いのない事実)
(3) 自動車損害賠償責任保険契約の締結
被告Y1は,本件事故当時,被告東京海上日動との間で,被告車両につき,自動車損害賠償責任保険契約を締結していた。(争いのない事実)
(4) 通院状況
原告の通院先病院及び通院日数は,以下のとおりである。(争いのない事実,甲2ないし12,乙A6ないしA14)
ア 自治医科大学附属さいたま医療センター
平成21年10月29日から平成25年4月4日まで(実通院日数15日)
イ 国立障害者リハビリテーションセンター病院
平成21年11月6日から同年12月4日まで(実通院日数3日)
ウ 山口クリニック
平成21年11月25日(実通院日数1日)
エ 医療法人戸田整形外科胃腸科医院
平成21年11月20日から平成23年4月8日まで(実通院日数163日)
オ 医療法人社団幸祥会東整形外科
平成21年12月15日から平成23年3月22日まで(実通院日数145日)
カ 医療法人社団幸祥会大和田整形外科
平成22年2月26日から平成23年1月30日まで(実通院日数5日)
キ 大宮中央総合病院
平成22年1月8日(実通院日数1日)
ク 東京女子医科大学病院
平成22年5月21日から同月24日まで(実通院日数2日)
ケ ハートの森クリニック
平成23年2月8日から同年3月16日まで(実通院日数14日)
(5) 原告の既存障害
原告は,昭和54年12月13日,第9胸椎圧迫骨折による脊髄損傷の傷害を負い,体幹及び両下肢の機能全廃の後遺障害(以下「本件既存障害」という。)が残存し,以後,車いすを使用している。(乙B1,弁論の全趣旨)
(6) 法令等の定め
ア 自賠法16条1項は,同法3条に基づく保有者の損害賠償責任が発生した場合に,被害者は,保険会社に対し,保険金額の限度において,損害賠償額の支払を請求をすることができるとしており,自賠法施行令(以下「施行令」という。)2条2項は,自賠法13条1項の保険金額は,既に後遺障害のある者が傷害を受けたことによって同一部位について後遺障害の程度を加重した場合における当該後遺障害による損害については,当該後遺障害の該当する別表第一又は別表第二に定める等級に応ずるこれらの表に定める金額から,既にあった後遺障害の該当するこれらの表に定める等級に応ずるこれらの表に定める金額を控除した金額とするものとしている。
イ 労働基準法施行規則40条5項は,既に身体障害がある者が,負傷又は疾病によって同一部位について障害の程度を加重した場合には,その加重された障害の該当する障害補償の金額より,既にあった障害の該当する障害補償の金額を差し引いた金額の障害補償を行わなければならないとしている。また,労働者災害補償保険法施行規則14条5項は,既に身体障害のあった者が、負傷又は疾病により同一の部位について障害の程度を加重した場合における当該事由に係る障害補償給付は,現在の身体障害の該当する障害等級に応ずる障害補償給付とし,その額は,現在の身体障害の該当する障害等級に応ずる障害補償給付の額から,既にあった身体障害の該当する障害等級に応ずる障害補償給付の額を差し引いた額によるとしている。
ウ 労働基準法及び労働者災害補償保険法における障害等級の認定基準(以下「認定基準」という。)によれば,上記イの各規定における「同一の部位」とは,原則として「同一系列」の範囲内をいうとされている。すなわち,身体障害は,解剖学的な観点から一定の「部位」に区分され,さらに,生理学的な観点から35種の「系列」に分類されるが,「神経系統の機能又は精神」は,同一の部位であり,かつ,同一系列であるから,神経系統の機能又は精神の障害は,「同一系列」の身体障害と取り扱われることになる。(弁論の全趣旨)
(7) 本訴提起前の交渉結果等
原告は,被告東京海上日動に対し,自賠法16条に基づき,損害賠償請求をしたが,被告東京海上日動は,本件既存障害は,「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,常に介護を要するもの」(施行令別表第一の第1級1号)に該当し,神経系統の機能に係る最上位の障害である以上,本件事故により原告の訴える神経症状が残存したとしても,障害の程度を加重したものとは評価できないとして,賠償を拒絶した。原告は,これを受けて,一般財団法人自賠責保険・共済紛争処理機構の紛争処理委員会に対し,調定の申立てをしたが,同委員会は,平成24年4月25日,本件既存障害と原告が訴える両上肢痛,脱力・しびれ及び腰痛等の障害とを総合的に評価して,神経系統の機能又は精神の障害として等級評価を行うことを前提として,本件既存障害が神経系統の機能又は精神の障害として最上位等級の施行令別表一の第1級1号に当たることから,原告の訴える上記障害は,施行令2条2項の規定する加重には該当せず,本件事故の後遺障害とは認められない旨判断した。(甲20)
(8) 既払金
被告Y1は,本件事故当時,株式会社損害保険ジャパンとの間で,被告車両につき,自動車保険契約を締結していたところ,同社は,同保険契約に基づき,原告に対し,治療費,交通費,旅行のキャンセル料金,クリーニング代,コピー代及び車いす代として,合計187万8998円を支払った。(甲24)
2 争点及びこれに対する当事者の主張
(1) 本件事故と原告の症状との間の因果関係
(原告の主張)
ア 原告は,本件事故により,①頸部痛,②両上肢の痛み・しびれの後遺障害(以下「本件症状」という。)が残存した。原告において,本件事故により,車いすごと転倒して3メートルも投げ出され,地面に衝突するという強度の衝撃を受けたこと,頸部痛を事故直後から一貫して訴えていること,右手小指側のしびれについては,事故直後から自覚し,本件事故の1か月後から一貫して主張していること,本件事故前,車いすテニス,砲丸投げ及びマラソンといったスポーツをしており,頸椎や上肢に何ら問題はなかったことからして,本件症状が本件事故によって発生したことは明らかである。
イ カルテに記載された処方薬歴からは,原告が一貫して頸部痛を訴え,頸部痛に対する治療が行われていたことは明らかである。また,両上肢の痛み・しびれに一致する画像所見が認められないとしても,明確な画像所見がなくとも痛みが残存することがあるというのは医学的に確立した見解であって,これを理由に因果関係を否定することはできない。
(被告Y1の主張)
ア 被告車両は,時速10kmを下回る速度で原告の車いすと接触したが,原告は,そのまま地面に転倒したこと,車いす及び被告車両に外観上の損傷が確認できないことからして,原告の身体に加わった外力は軽微であったといえることに,原告がスポーツによって鍛えられた上半身を有していたことを併せ考えると,本件事故により本件症状が生ずるとは考え難い。
イ 本件症状中の頸部痛については,原告は,本件事故直後に痛みを訴えたものの,その後,痛みを訴えておらず,本件事故から1年4か月後に再び痛みを訴えており,不自然である。また,本件事故直後に原告を診断した自治医科大学附属さいたま医療センターの医師は,「神経学的所見は認められず」と診断していることからも,頸部痛が本件事故により発症したものとはいえない。
ウ 本件症状のうち両上肢の痛み・しびれについては,症状に一貫性がなく,本件事故の1か月後に痛みを訴えるなど,不自然であること,症状に一致する画像所見がなく,徒手筋力テストの結果もほぼ正常であることからして,本件事故との間に因果関係は存在しないというべきである。両上肢の痛み・しびれについては,長期間にわたるスポーツにより手指や腕等が酷使されたことによって発生した可能性が高い。
(被告東京海上日動の主張)
争う。
(2) 原告に生じた損害
(原告の主張)
原告は,本件事故により,以下のとおり,合計460万2674円の損害を被った。
ア 治療費 189万7245円
イ 通院交通費 15万3565円
ウ 逸失利益 110万円
原告の本件事故前の年収は,511万9344円であり,本件症状による労働能力喪失率は5%,労働能力喪失期間は5年間(ライプニッツ係数4.3295)とすべきであるから,逸失利益は,以下の計算式のとおり,約110万円となる。
511万9344円×0.05×4.3295=110万8210円
エ 通院慰謝料 123万3666円
本件事故が発生したのは,平成21年10月29日であり,症状固定日は,平成23年3月18日であるところ,通院期間は16か月20日間,実通院日数は334日にわたることからすれば,通院慰謝料は,123万3666円が相当である。
オ 後遺障害慰謝料 110万円
本件症状は,「局部に神経症状を残すもの」(施行令別表第二の14級9号)に相当するから,後遺障害慰謝料は,110万円が相当である。
カ 車いす代 19万9350円
キ 旅行キャンセル代 12万1150円
ク クリーニング代 1033円
ケ コピー代 660円
コ 眼鏡代 2万6000円
サ 時計代 5万円
シ 弁護士法23条照会費 8310円
ス 刑事記録謄写費用 230円
セ 刑事記録郵送費用 600円
ソ 交通事故証明書取得費用 620円
タ 合計 589万2429円
チ 弁護士費用 58万9243円
ツ 既払金 187万8998円
テ 総額(タ+チ-ツ) 460万2674円
(被告Y1の主張)
原告の主張のうち,クないしコ,シないしソ及びツは認め,その余は争う。
(被告東京海上日動の主張)
原告の主張のうち,ツは認め,ア及びイは不知,その余は争う。
(3) 素因減額の可否及び程度
(被告Y1の主張)
本件症状には,本件既存障害が寄与しているから,8割の素因減額をするべきである。
(原告の主張)
本件既存障害が胸髄損傷であるのに対し,本件症状は,頸椎損傷に由来するものであり,胸髄と頸椎とは神経学的に無関係であるから,本件既存障害は,素因減額の対象となり得ない。
(4) 過失相殺の可否及び程度
(被告Y1の主張)
本件事故の発生時刻が日没後であったこと,被告車両が時速10kmを下回る速度で原告より先に本件交差点に進入していたこと,原告が道路の右側を進行していたこと,原告から左方の見通しがよかったことからすれば,原告において前照灯をつけていた被告車両を発見することは容易であったというべきであるから,原告には被告車両を見落として漫然と本件交差点に進入した過失が認められ,原告の過失割合は,少なくとも20%である。
(原告の主張)
争う。
(5) 本件既存障害と本件残存障害は同一部位の障害か。
(被告東京海上日動の主張)
ア 認定基準は,労働基準法及び労働者災害補償保険法における障害補償について定めたものであるが,自賠法の保険金の支払についても準用されるべきであり,実務上も認定基準に準拠した扱いがなされている。そして,上記前提事実(6)ウのとおり,神経系統の機能又は精神の障害については,同一系列の身体障害と取り扱うとされているが,神経系は,人体各部の機能を統率し,その刺激伝達の経路となる器官で,精神作用を営むものであって,脳及び脊髄からなる中枢神経と末梢神経からなるところ,このうち本件既存障害は,脊髄損傷という中枢神経の障害であり,本件症状は,末梢神経の障害であるから,いずれも神経系統の機能の障害であって,同一系列の身体障害である。したがって,本件既存障害と本件症状とは,同一部位の障害に当たる。
イ 施行令2条2項の「加重」とは,事故によって新たに障害が加わった結果,等級表上,現存する障害が既存の障害より重くなった場合をいうところ,本件既存障害は,「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,常に介護を要するもの」(施行令別表第二の第1級1号)に当たる。そして,このように中枢神経の障害が認められる場合,末梢神経による障害も含めて身体性機能障害や精神状態等を総合的に評価し,その全体病像から神経系統の機能又は精神の障害として等級評価が行われるから,本件症状についても,神経系統の機能又は精神の障害として総合的に評価されることとなる。本件既存障害は,上記のとおり,「神経系統の機能又は精神の障害」として最高位の等級に該当し,本件症状をもって,障害の程度が加重したと評価することはできない。
ウ したがって,被告東京海上日動は,原告に対し,損害賠償義務を負わない。
(原告の主張)
ア 施行令2条2項の趣旨は,損害賠償の調整にあるが,損害賠償の調整が合理性を有するのは,同一部位にさらなる障害が重なった場合であって,同項の「同一部位」とは,症状,機能及び医学的な発生原因等に着目して判断されなくてはならない。
イ 神経にはそれぞれ支配領域があり,胸髄の神経支配領域が頸椎に及ばないことは確立した医学的常識である。すなわち,脊髄損傷の場合,脊髄損傷の生じた高位(部位)以下に不全あるいは完全横断麻痺が生じるところ,本件既存障害は,第9胸椎圧迫骨折による脊髄損傷であり,支配領域としてはT9に当たり,運動機能としては腹筋・傍脊柱筋以下に障害が残り,知覚機能としては臍より少し上の部分以下に障害が残るのであって,頸椎や上肢に運動障害又は知覚障害を及ぼすことはあり得ない。他方,頸椎や上肢は支配領域としてはC3ないしT2に当たり,T9とは支配領域を全く異にする。
ウ 原告は,本件事故前,テニス,砲丸投げ,マラソンといった運動を活発に行っていたにもかかわらず,頸部や上肢に何ら支障はなかったが,本件事故後は,頸部及び上肢に痛みが残り,日常業務にも支障を来している。
エ 以上のような本件既存障害と本件症状の医学的な発生原因の違いや症状に照らせば,本件既存障害と本件症状が「同一部位」の障害であるということはできない。