○交通事故によって脳脊髄液減少症が発症したとして約4902万円の損害賠償請求をした事案について一審平成22年2月9日大阪地裁判決(自保ジャーナル・第1837号)が、脳脊髄液減少症発症を否定して損害額を約323万円しか認めなかったものを、控訴審平成23年7月22日大阪高裁判決(判時2132号46頁、自保ジャーナル1859号1頁)が、脳脊髄液減少症発症を認め、損害額を約1306万円に増額した珍しい事案があります。
○当事務所では、恒常的に脳脊髄液減少症発症事案を扱い、現在も4件継続しています。既に終了した案件も数件ありますが、残念ながら脳脊髄液減少症発症が認められた事案はありません。全国的に見ても交通事故による脳脊髄液減少症発症を認めた裁判例は、勝率では、相当厳しいものになっています。
脳脊髄液減少症発症を否認した一審判決と、認めた控訴審判決の理由部分全文を以下に紹介します。
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一審平成22年2月9日大阪地裁判決(自保ジャーナル・第1837号)
第三 当裁判所の判断
1 症状固定時期(原告が脳脊髄液減少症を発症していたのか否かも含む。)について
(1) 原告は、原告本人が本件事故により脳脊髄液減少症を発症していたにもかかわらず、その発見・診断が遅れ、平成19年3月にA病院で診察を受けた丁山医師によって初めて脳脊髄液減少症を発症していたことが発見・診断された後、治療の結果、平成19年12月20日をもって症状固定した旨主張する。
(2) 脳脊髄液減少症は、従来、注射針による麻酔、特に脊髄穿孔による麻酔後に、穿刺部分から髄液が漏出して、頭蓋内、脊椎腔内の髄液圧が低下することにより、それまで浮力によって脳脊髄の自重を減少させたり、神経根の緊張を和らげるなどしていた機能が失われ、脳の位置がずれたり、痛みを感じる血管組織等が牽引されたり圧迫されて、頭痛等の多彩な症状を出現させると考えられてきた。ところが、最近では、それ以外の原因、すなわち交通外傷や打撲による労働災害等が原因で髄液漏出が起きる可能性があると指摘されている症例である。
ところが、脳脊髄液減少症については、
(ア)必ずしも大きな衝撃でない頭部の運動が、何故遠く離れた腰部で硬膜が破損し、脳脊髄液が漏れるほどの影響を与えるのか、
(イ)このような大きな影響を与えているとしたら、脊髄損傷が生じても不思議はないのに何故発症しないのか、
(ウ)交通事故を含め、何故事故直後に発症せず、あるいは発症してもほとんどは自然治癒するものであるのに、事故後に遷延化するのか、
(エ)脳脊髄液の漏出は、脊髄穿刺後ですら数日内にほとんど止まり、症状も治癒するのに、何故交通事故等だけは長期間漏出が続くのか
といった疑問が呈されていることに加え、その診断基準についても、「国際頭痛学会における診断基準(ICHD-Ⅱ)」や脳脊髄液減少症研究会が発表した「脳脊髄液減少症ガイドライン2007」等があるけれども、医学界において固まっているとは到底言えない状況である(当裁判所に顕著な事実)から、民事訴訟の中でその認定を行うに当たっては慎重な認定・判断が求められると言うべきである。
そうすると、
①まず、少なくとも立位をとると増悪する頭痛(起立性頭痛)があることが必要と解されるところ、本件においてみると、被告らが指摘するように、B病院脳神経外科のカルテの平成18年3月2日欄には「横になると痛みが増強する。」旨の記述がある上、A病院においても、朝が辛いものの昼から馴れてくる旨が記述されており、起立性の頭痛に関する記述がないことに鑑みると、原告に起立性頭痛があったとまでは言えないのではないかとの疑問が残る。
②また、ブラッドパッチの治療効果があったことも重要な間接事実になると解されるところ、平成19年5月にブラ ッドパッチ療法を受けてもすぐに頭痛が消えることはなく、平成20年11月から12月ころになって初めて、常時ふらついていた状態がなくなったとのことであるから、ブラッドパッチによる治療効果と言えるのか疑問なしとしない。
③さらに、脳脊髄液減少症研究会が作成したガイドラインによると、RIシンチグラムを最も信頼性の高い画像診断法として、ア早期膀胱内RI集積、イ脳脊髄液漏出像、ウRIクリアランスの亢進(脳脊髄液腔RI残存率が24時間後に30%以下であること)の1項目以上を認めれば髄液漏出と診断することとしており、A病院の丁山医師もその所見が認められる旨の診断書を作成しているけれども、穿刺部からの髄液漏れの可能性を完全に排除することはできないこと、脳脊髄液の漏出が間欠的である可能性が高く、検査結果の再現性に乏しいとの指摘があり、RIシンチグラムによる画像診断法の信頼性に疑問が残ることを勘案すると、RIシンチグラフィによる結果だけで脳脊髄液減少症であると診断するのは疑問がある。
以上の諸点に鑑みれば、原告本人が本件事故によって脳脊髄液減少症を発症していたと認定するには至らない。
(3) そうすると、原告の症状固定時期は、平成17年7月以降の原告の症状に顕著な変化が認められないことや労働基準監督署の認定等も併せ考慮すると、遅くとも平成18年7月末日と認定するのが相当である。
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控訴審平成23年7月22日大阪高裁判決(判時2132号46頁、自保ジャーナル1859号1頁)
第3 当裁判所の判断
1 控訴人の脳脊髄液減少症の発症の有無及び症状固定時期(争点(1))について
(中略)
(3) 控訴人の脳脊髄液減少症の発症の有無について
ア 当裁判所の判断
前記(1),(2)の事実によれば,次のとおり認めることができ,次の事実関係を総合すれば,控訴人は,本件事故により外傷性脳脊髄液減少症を発症し,D医師のブラッドパッチ療法等による治療によりほぼ治癒したものと推認するのが相当である。
(ア) 控訴人は,本件事故により,腰に左第1腰椎横突起骨折するほどの強い衝撃を受けた(前記(1)イ(ア))ところ,控訴人は,RI脳槽シンチグラフィー検査により,腰部に髄液の漏出所見が見つかった(前記(1)ウ(イ))。控訴人は,本件事故で腰部に強い衝撃を受けたため,腰部の髄液漏出が始まったのである。
(イ) 控訴人は,本件事故の4日後の平成15年7月7日から春次医院で通院治療を受けるようになったが,通院日数は最も少ない月でも14日間,最も多い月は23日間という高頻度で通院しており,この状態が労働基準監督署において症状固定と認定した平成18年7月31日まで継続している(前記(1)イ(ア)~(サ))。
(ウ) 控訴人は,その間,症状に多少の改善は認められるものの,いわゆる頸椎捻挫等に対する治療が継続されているにもかかわらず,本件事故から約3年後の平成18年7月31日時点においても,「首痛による睡眠不足,首痛によるふらつき,集中力のなさ,連日の通院で仕事ができない。首の痛みは,首右側より頭部にかけて痛み,頭痛のひどい時は右眼が痛く涙が出る。首を動かすとふらつくために運転ができず,運動や性生活にも制限がある。」という相当程度に深刻な自覚症状を訴えていた(前記(1)イ(サ))。
(エ) B医師が平成19年3月7日に控訴人に対し,RI脳槽シンチグラフィー検査を実施したところ,24時間後の残存率が15%を切る値となっており,研究会ガイドラインが脳脊髄液減少症と診断する30%以下の基準を満たしていた(前記(1)ウ(イ),(2)ウ(ア))。
(オ) 控訴人は,平成19年5月21日,B医師により,脳脊髄液減少症の治療法とされているブラッドパッチ療法を施されたところ,同年12月11日(症状固定)前後の症状の変化として,動揺感覚,ふらつき,めまい,頭痛が軽減し,平成20年夏ころから,それまで常時あった頭痛,めまい,ふらつきが更に改善され,a社でのデスクワークがほぼ可能なまでに回復した。
控訴人は,最終的には,ブラッドパッチ療法前と比較して80%以上の症状改善があった(以上につき,前記(1)ウ(ウ)(カ)(キ))。
(カ) B医師,C医師は,控訴人を脳脊髄液減少症と診断している(前記(1)エ(ア),同ウ(カ))。その前に,大阪市立総合医療センターの医師は,控訴人を診察して,「頸椎捻挫後,低髄圧症候群疑い」と診断し,近大病院脳神経外科のD医師は,控訴人の症状は典型的な髄液圧減少症状ではないかと考えていた(前記(1)イ(カ),(コ))。
(キ) 控訴人には,本件事故以外に脳脊髄液減少症の原因は見当たらない(前記(1)エ(イ))。
イ 被控訴人ら主張の検討
(ア) 国際頭痛分類基準を前提とした主張
被控訴人らは,控訴人には起立性の頭痛が認められないことやブラッドパッチ療法後72時間以内に頭痛が消滅していないことから,控訴人は低髄液圧症候群ではないとか,髄液圧の低下を伴わない「脳脊髄液減少症」という疾患名を唱える医師の見解は医学界では定説でないから,採用されるべきではない旨主張している。この主張は,国際頭痛分類基準を前提とした主張であると解される。
低髄液圧症候群は,元来,腰椎穿刺や外傷などによって脊髄硬膜に裂孔が生じ,髄液が漏出して脳脊髄液圧が低下し,起立性頭痛などの臨床症状を呈する疾患の概念である(乙8,10)。そして,このような疾患が必ずしも大きな衝撃でない頭部の運動が生じるにすぎないことの多い交通外傷の場合等に発症することには,長らく疑問が呈されていた。
ところが,現時点においては,外傷によって低髄液圧症候群ないし脳脊髄液減少症が発症すること自体は,医学界においても認められており,東京海上日動メディカルサービス株式会社の整形外科専門医であるE医師(以下「E医師」という。)も,「せきやくしゃみ,尻餅など,些細な外力でも発症しうることが知られており,交通外傷で発症しても全く不思議はない。」(乙10)と述べてこれを認めているし,厚生労働省の研究班も,平成23年6月には,交通事故などの外傷による脳脊髄液減少症の発症も決して稀ではないとする中間報告書を作成している。
そうすると,交通外傷によって患者に髄液の漏出が生じたのか否か,それによって患者が訴える諸症状が生じたのか否かが明らかになれば,患者が交通事故によって脳脊髄液減少症を発症したものといえることになるが,そのような観点からすると,前記(2)アの国際頭痛分類基準が厳格にすぎることは明らかであり,そのため,日本神経外傷学会は,前記(2)イの神経外傷学会基準を定めたものと考えられる。
したがって,国際頭痛分類基準に該当しないから,控訴人には低髄液圧症候群ないし脳脊髄液減少症が発症していないとする被控訴人らの主張は採用できない。
(イ) 神経外傷学会基準に該当するか
ところで,前記(1)イ,ウの認定のとおり,控訴人は,本件事故後長期間にわたり,不定愁訴を訴え続けていたにもかかわらず,的確な診断・治療がされなかったため,治療期間が長期化し,最終的に診察を担当したB医師も研究会ガイドラインに基づいて控訴人を診断しており,神経外傷学会基準により診断していないため,控訴人の症状が神経外傷学会基準によっても,脳脊髄液減少症に該当するものか否かは必ずしも判然としない。
すなわち,各診療機関のカルテに記載されている控訴人の症状を見る限りは,控訴人には起立性の頭痛は認められていないし,もう一つの前提基準とされている「体位による症状の変化」があったのか否かも判然としないのである。
しかしながら,前記(1)イ(ア)(ウ)(エ)(オ)(カ)(キ)(サ),同ウ(カ)(キ)認定のとおり,控訴人は,かなり早い段階から,頭位を変換したり,頸部を大きく動かしたりした際に,浮揚感やめまい,吐き気等の平衡感覚異常を訴えていたのであるから,これが「体位による症状変化」に該当する可能性は高いものと考えられるし,RI脳槽シンチグラフィー検査によって髄液漏出が認められていて,「大基準」も満たすものと考えられるから,神経外傷学会基準を前提に診断がされていれば,控訴人は,神経外傷学会基準によっても,脳脊髄液減少症と診断された可能性があるといえる。
(ウ) ブラッドパッチ療法により従前の症状が著しく改善
そして,仮に,神経外傷学会基準では,控訴人が脳脊髄液減少症とは診断されないとしても,前記(1)ウ(キ)のとおり,本件においては,何よりも,控訴人にブラッドパッチ療法が施行され,これにより,控訴人の従前の症状が80%以上も改善したことがきわめて重要な事情である。
ブラッドパッチ療法とは,脳脊髄液が漏出していると思われる部位の硬膜外腔に患者の自家血を頸椎・胸椎では10~15ml,腰椎では30ml前後注入する療法であり,硬膜外腔を陽圧に保つことと血液凝固による糊作用で脳脊髄液の漏出が止まると考えられている(甲87の文献1等)が,低髄液圧症候群ないし脳脊髄液減少症以外に,ブラッドパッチ療法が治療効果を発揮する疾患はないこと(証人D)からすると,控訴人が本件事故によって脳脊髄液減少症を発症したことは明らかというべきである。
(エ) RI脳槽シンチグラフィー検査の正確性,単なる頚椎捻挫の慢性化等
E医師は,乙10において,RI脳槽シンチグラフィー検査の正確性に疑問を呈しており,また被控訴人は,控訴人の症状固定(平成18年7月31日)後の症状は,単なる頸椎捻挫が慢性化したものにすぎないとか,ブラッドパッチ療法後の症状改善も控訴人の「気のせい」にすぎない旨主張している。
しかしながら,B医師は,ブラッドパッチ療法による治療を施した患者数が約500名にものぼる脳脊髄液減少症分野の専門医で,厚生労働省研究班(前記(2)エ参照)のメンバーでもある全国的にも著名な脳神経外科医であり(証人D),特段,B医師の検査結果に疑問を抱かせる事情は見当たらない。
B医師は,後に控訴人のRI脳槽シンチグラフィー検査の数値を訂正してはいるが,これは本来,24時間目の膀胱内集積部分を除外して撮像すべきところを含めていたためであるが,これにより患者の病状を過小評価していた可能性があったにすぎず,過剰診断していたものではないことが認められる(甲87)から,B医師の検査結果の正確性を左右するものではない。
また,控訴人の症状を頸椎捻挫の慢性化と考えた場合,ブラッドパッチ療法によって症状が大幅に改善している理由を説明できない。症状改善が「気のせい」とする点についても,確かに症状改善は,本人の自覚症状によるものではあるが,B医師も,「それまでいろんな治療をされてきて全く効果がなかった控訴人が,私に,ブラッドパッチ療法で,実施前と比較して80%以上の症状改善がみられたと申告しているのであるから,控訴人の気のせいで症状が改善したものではない。」旨証言している。そして,長期間にわたり不定愁訴に悩んでいた控訴人が,B医師に対し,症状の改善もないのに改善したと虚偽の申告をすることは考え難いから(そのようなことをする実益が見当たらない。),症状がブラッドパッチ療法によって大幅に改善したことも間違いないものと考えられる。
したがって,上記E医師の意見や被控訴人の主張も採用できない。
(4) 症状固定時期について
上記で認定・判断したとおりであるから,控訴人の症状固定日は,D医師が症状固定日と判断した平成19年12月11日(前記(1)ウ(オ))であると認めるのが相当である。
被控訴人らは,平成18年7月31日が症状固定日であると主張しているが,同日は単に労働基準監督署が症状固定日と認定した日にすぎず,主治医のC医師も同日を控訴人の症状固定日とすることに異論があった(前記(1)イ(サ))上,その後のD医師によるブラッドパッチ療法等による治療により,控訴人の症状が大幅に改善されている(前記(1)ウ(ウ)(カ)(キ))のであるから,同日が症状固定日といえないのは明らかである。