○「
確率的心証論による昭和45年6月29日東京地裁判決全文紹介1」以下4回に分けて判決全文を紹介した東京地裁判決(判時615号38頁)を私なりにまとめてみます。
先ず事案です。
・被害者Xは、昭和40年11月27日午前10時45分頃、A運転車両に同乗して、B運転車両に追突され頸椎むち打ち損傷を負った
・Xは、昭和40年11月27日から昭和44年8月31日まで、医師の診療を受け、昭和42年3月には、骨片の移植による、第4、5、6頸椎前方固定手術を受け、約278万円の治療費がかかった
・Xは、昭和42年12月、症状が再発して、昭和43年2月時点で、両下肢の運動障害のための歩行不能、四肢その他の知覚障害、頭重その他の不定愁訴が認められ、昭和44年8月末において身障害等級表の第1級に相当する障害であると認められた
・Xは、事故時、鍼と灸・按摩師の免許を有し、更に整復師をめざして柔道整復科に通学し、そのかたわら、夜間は按摩治療で収入を得、昭和42年3月、鍼・灸・按摩師として独立開業予定であった
・Xの逸失利益は、
(イ)事故の日時から昭和44年8月末までの45ヶ月間は、第一級相当であり、労働能力喪失率は100%
(ロ)昭和44年9月1日から昭和46年8月31日までの2年間は、第2級相当であり、労働能力表示率はやはり100%
(ハ)昭和46年9月1日から昭和50年8月31日までの4年間は、第4級相当、喪失率は80%
(ニ)昭和50年9月1日から昭和54年8月31日までの4年間は、第6級相当、喪失率は60%
(ホ)以上四段の数字を集計すると526万1605円
・慰謝料相当額は400万円
○Xは、昭和40年11月27日の事故で入院・通院をしてある程度改善していたものが、事故後2年以上経過した昭和42年12月24日、症状が悪化して両下肢の運動障害のための歩行不能、四肢その他の知覚障害、頭重その他の不定愁訴が認められる状態となり、昭和44年8月末において労働基準法施行規則体身障害等級表の第1級に相当する障害であると認められましたが、この昭和42年12月の再発以降の症状と事故との因果関係が争いになりました。
○この因果関係の判断について、判決は「
受傷時から2年余を経過した昭和42年12月24日に前記のような発作を生じた後歩行不能に至ったという事実からは、受傷時の外力との当然の因果関係を肯定するのは疑問ありとしないわけにゆかない。」とする一方、「
再発の時点である12月24日に先立つ一週間において右のような症状の増悪があったという事情と《証拠略》とを合せ考えると、事故との因果関係を端的に否的することも一妥当を缺くと考える」と判断に迷いを示しました。
○しかし、「
肯定の証拠と否定の証拠とが並び存するのであるが、当裁判所は、これらを総合した上で相当因果関係の存在を70パーセント肯定」として、「こ
のような場合、相当因果関係があるのかないのか、そのいずれか一つで答えねばならぬものとすれば、70パーセントの肯定の心証を以て十分とし以下損害の算定に入るか70パーセントでは因果関係を肯定する心証としては不足するとして再発後以後の損害賠償請求を全然排斥するか、二途のいずれかを選ばねばならぬこととなる」のは不合理と考えました。
○そして、「
当裁判所は、損害賠償請求の特殊性に鑑み、この場合第三の方途として再発以後の損害額に70パーセントを乗じて事故と相当因果関係ある損害の認容額とすることも許されるものと考える。けだし、不可分の一個請求権を訴訟物とする場合いと異なり、可分的な損害賠償請求を訴訟物とする本件のような事案においては、必ずしも100パーセントの背定か全然の否定かいずれかでなければ結論が許されないものではない。否、証拠上認容しうる範囲が70パーセントである場合、これを100パーセントと擬制することが不当に被害者を有利にする反面、全然棄却することも不当に加害者を利得せしめるものであり、むしろ、この場合、損害額の70パーセントを認容することこそ証拠上肯定しうる相当因果関係の判断に即応し不法行為損害賠償の理念である損害の公平な分担の精神に協い、事宜に適し、結論的に正義を実現しうる所以であると考える。」とのべ、上記認定損害額の70%相当額について支払を命じる極めて妥当な結論を導き出しました。
○私は、「
驚愕の約款3号直接請求否定平成26年3月28日仙台高裁判決全文紹介4」で「
高裁判決では、一審判決で全く触れなかった頭部MRI冠状断像上、通常は造影されない小脳テントや大脳鎌が白く造影されている事実に触れて、『控訴人には低髄液圧症候群が発症している疑いは強いということはできる。』と述べてくれました。しかし、最終的には、その他の基準を100%満たしていないので、『高度の蓋然性の立証がされていると認めることはできない。』として、ナッシング判断でした。基準を100%満たしていないとしても、少なくとも80%程度は満たしているのだから、現実に発生している損害の80%は認めて下さいよと、強く、訴えたいところです。」と述べていましたが、昭和40年代にこれを実現した判決があったのには驚きました。