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小松亀一法律事務所は、「交通事故」問題に熱心に取り組む法律事務所です。

交通事故重要判例

確率的心証論による昭和45年6月29日東京地裁判決全文紹介1

○交通事故による損害賠償請求において事故と後発症状との因果関係につき肯定の証拠と否定の証拠とが並び存しこれを綜合して相当因果関係を70%肯定するとして損害額の70%を賠償認容額とした東京地裁判決(判時615号38頁)全文を4回に分けて紹介します。


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主   文
被告は原告に対し金882万7920円および右の内802万7920円に対する昭和44年9月1日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
原告その余の請求は、棄却する。
訴訟費用は、これを10分し、その八を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
本判決は、確定前に執行できる。

事   実
 原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、金1087万円および内金954万円に対する昭和44年9月1日以降支払済みまで年5分の割合による金員の支払いをせよ。」との判決および仮執行の宣言を求め、請求の原因として、次のとおり述べた。

一 (事故の発生)昭和40年11月27日午前10時45分頃、東京都豊島区千早町一丁目13番地先道路において、信号待ち停車中のライトバン(登録番号練四な5072号、訴外A運転、以下被害車という)に小型トラック(登録番号品四ね2025番、訴外B運転、以下加害車という)が追突し、このため、被害車に同乗していた原告は、後記のように受傷した。

二 (被告の責任)加害車の運転手亀井は被告の従業員であり、被告の仕事中であった。よって、被告は、加害車を自己のため運行の用に供したものとして、原告の損害を賠償する責任がある。

三 (事故までの原告の経歴)原告は大正9年3月20日女に生まれた。結婚し長女が出生したが、長女の死亡後、昭和36年頃から事実上離婚状態に入った。正式には昭和39年協議離婚した。
 事実上離婚状態に入ってからは、自活の道を求め、昭和37年4月、東洋鍼灸専門学校本科に入学し、鍼・灸、それにあん摩を習うようになった。在学中、昭和39年あん摩師の免許を受けた。昭和40年3月、本科を卒業するとともに、鍼と灸の国家試験に合格した。昭和40年4月、同校に特設されている柔道整復科に入学し、昭和40年11月の事故当時は、第一学年であった。昭和42年3月には、柔道整復科も卒業する予定であった。

 東洋鍼灸専門学校に通学するかたわら、昭和37年ごろから、あん摩師として働き出した。昭和40年11月の事故当時は、昼間は通学するほか、通学外の時間をもって、自分で直接あん摩師をして働いていた。夜間は、富士療養院に雇われ、ホテルの宿泊客に対するあん摩師をして働らいていた。昭和42年3月に、東洋鍼灸専門学校の柔道整復科を卒業してからは、独立して開業し、鍼や灸、それに、あん摩師をして働いていく予定であった。
 生来の健康に恵まれ、からだのどこにも悪いところがなかった。事故のとき45才であった。

四 (負傷)原告は、頸椎むち打ち損傷を負うた。

五 (診療経過)原告は、事故発生の昭和40年11月27日から昭和44年8月31日まで、12年9月、月にして45月にわたり、うち3年5月、月にして41月は入院し、4月は通院して、医師の診療を受けた。
 昭和42年3月には、骨片の移植による、第4、5、6頸椎前方固定手術を受けた。

六 (後遺症)原告は、頸椎むち打ち損傷の遺症があるからだになった。
(一) 両下肢に運動障害があり、歩行不能である。
(二) 両上肢、両下肢、左側頸部、それに腰腹部の躯幹下半分に、知覚鈍麻がある。
(三) 肩関節に運動制限と運動痛がある。
(四) 頸椎に運動制限と運動痛がある。
(五) 昭和42年12月から昭和44年8月までは、日常の身辺に他人の介護を要し、労働基準法施行規則身体障害等級表の第1級に相当する。
 日時の経過により相当改善し、次の2年間で第2級相当、次の4年間で第4級相当、次の4年間で第6級相当、そして残りの期間中には第8級相当まで回復する。
 昭和44年9月以降も、長期にわたって、医師による診療を要し、特別の施設に収容され、機能回復訓練を受けていかなければならない。

七 (治療費)原告は、事故発生の昭和40年11月27日から昭和44年8月31日まで、医師の診療費275万円、家政婦による付添看護料32万円、原告の母松村祇による26万円相当の付添看護労働、それに、交通費ほか治療雑費10万円、合計343万円の治療費を要した。

八 (収入損、昭和44年8月まで)原告は、事故発生の翌月昭和40年12月1日から昭和44年8月31日まで、3年9月、月にして45ヶ月、あん摩師をして働らき、1月平均3万8000円の収入があるはずであった。
 けれども、負傷のため全く就労することができず、あるはずであった収入全額、171万円の収入を失なった。

九 (収入損、昭和44年9月以降)
(一) 原告は、さらに、昭和44年9月1日から60才になる直前昭和54年8月31日まで10ヶ年、鍼や灸、それにあん摩師をして働らき、毎年度、1月平均4万8000円年間57万6000円の収入があるはずであった。

(二) けれども、身体に障害があるからだになったための労働能力喪失があるので、初めの2年はひきつづいて就労することができず、あとの期間は残った労働能力をもって働きつづけるが、あるはずであった収入の、つぎの4年は20パーセントに当たる1月平均9600円、年間11万5200円、そして残りの4年は40パーセントに当たる1月平均1万9200円、年間23万0400円の収入を越えることはない。

(三) このため、あるはずであった収入と身体障害後の収入差額、あるはずであった収入の、初めの2年は100%にあたる1月平均4万8000円、年間57万6000円、つぎの4年は80%にあたる1月平均3万8400円、年間46万0800円、そして、残り4年は60%に当たる1月平均2万8800円、年間34万5600円の収入を失うことになった。

(四) そこで、各年度の収入損が当該年度の末日に発生するものとして、各年度収入損ごとに期間の初日昭和44年9月1日から収入損発生日までの民法所定にかかる年5分の割合による中間利息を、ホフマン式の計算をもって差し引き、期間の前日昭和44年8月31日現在の一時払額を算出する。
 そうすると、各年度収入損一時払額の合計は、354万円をくだらない。

一〇 (慰藉料)原告に対する慰藉料は、400万円が相当である。

一一 (支払受領)原告は、被告から、昭和40年12月7日から昭和42年12月28日までの間、何回にもわたって、合計314万円の支払を受けた。
 そして、列挙の損害額に充当した。

一二 (弁護士料)原告は42年5月31日、東京弁護士会員弁護士○○○○に、以上954万の損害賠償請求権につき、被告を相手方にして訴を起こすことを委任し、依頼の目的を達した日、依頼の目的を達した金額を基準にして、同会弁護士報酬規定料1割4分の割合による報酬を支払うと約した。
 このため、原告は第一審判決云渡日には、133万円をくだらない弁護士料を支払うことになる。

一三 (請求・遅延損害金)原告は、被告に対し、以上1087万円の支払を求める。
 うち弁護士料を除いた954万円に対しては、事故発生後であり、損害や一時払額基準日の後である昭和44年9月1日から完済に至るまで、民法所定にかかる年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。