○「
高裁判断を覆した平成23年4月26日最高裁判決解説1」を続けます。
第1審平成20年5月21日東京地裁判決は,A医師が患者Xとの面接時にPTSDの可能性を見逃したとはいえず,その言動が違法であるとはいえないとして,Xの請求を棄却しました。ところが,原審平成21年1月14日東京高裁判決は,本件面接時のXの状態を考慮することなくされた言動は違法であり,その言動が再外傷体験となってXはPTSDを発症したとして,Xの請求につき,過失相殺の類推により損害額の4割を減額して,結論として使用者であるY病院に201万円余りの支払を求める限度で認容しました。そこでY病院側はこれを不服として上告受理申立をしていました。
○最高裁は、この原審認定を以下の理由で、A医師の言動とXに本件症状が生じたこととの間に相当因果関係があるということができないことは明らかで、Xの診療に当たったC医師が,A医師の上記言動が再外傷体験となり,XがPTSDを発症したとの診断していたとしても,この判断を左右するものではないとして、「
原審の判断には,法令の解釈を誤った違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり,原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。」と結論付けました。
・A医師の本件言動は,その発言の中にやや適切を欠く点があることは否定できないとしても,診療受付時刻を過ぎて本件面接を行うことになった当初の目的を超えて,自らの病状についての訴えや質問を繰り返すXに応対する過程での言動であることを考慮すると,これをもって,直ちに精神神経科を受診する患者に対応する医師としての注意義務に反する行為であると評価するについては疑問を入れる余地がある
・A医師の言動がXの生命身体に危害が及ぶことを想起させるような内容のものではないことは明らかで
・PTSDの診断基準に照らすならば,それ自体がPTSDの発症原因となり得る外傷的な出来事に当たるとみる余地はない
・A医師の言動は,XがPTSD発症のそもそもの原因となった外傷体験であると主張する本件ストーカー等の被害と類似し,又はこれを想起させるものであるとみることもできない
・PTSDの発症原因となり得る外傷体験のある者は,これとは類似せず,また,これを想起させるものともいえない他の重大でないストレス要因によってもPTSDを発症することがある旨の医学的知見が認められているわけではない。
・C医師は,平成16年2月10日の初診時に,被上告人がPTSDを発症していると診断しているが,この時のXの訴えは平成15年1月精神科で診察を受けた時以来の訴えと多くの部分が共通する上,C医師初診時の診療録には,A医師の言動を問題にする発言は記載されていない
○この最高裁判決について、判例タイムズで、「
PTSDの発症原因については,精神科医の間で様々な意見があるようであるが(下田大介「交通事故賠償訴訟におけるPTSD診断と精神症状による損害の算定」岡山商科大学法学論叢15号27頁参照),そのような状況の下で,前記一般的な診断基準を超えて,過去にPTSDの発症原因となり得る外傷体験をした者につき,その外傷体験と類似せず,これを想起させるものでもなく,かつ,それ自体として重大とはいえないストレス要因によってPTSDを発症し得るという見解を採用するのは無理があろう。
そうすると,A医師の本件言動は,不適切であり,Xに一定の心的ストレスを与えたものとはいえるが(ただし,違法性があるとまでいえるかについて疑問があるのは,本判決が示唆するところである。),PTSDを発症させるような性質を有しているとはいえず,したがって,本件言動とその後にXに現れたPTSDと診断された症状との間に相当因果関係があるということはできないことに帰する。」と解説されています。
○ポイントは、PTSD発症原因判断基準は、生命身体に危害が及ぶことを想起させる外傷的な出来事であるところ、A医師の言動はそれに該当しないこと、また、その言動に至る過程で、XのA医師に対する非常識な言動があり、これを考慮すればA医師の言動が医師としての注意義務違反と評価するのは疑問であるとの常識的判断があり、この最高裁判決はPTSD発症による損害賠償責任を追及する場合の因果関係判断基準として参考になります。
なお、PTSDを考える参考文献は、
溝辺克己「交通事故における賠償医療の知見と損害算定論の交錯」高野真人ほか編『
交通事故賠償の再構築』23頁
PTSDの一般的な診断基準としては,
DSM-W-TR(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders,4th Text Revision)
WHO策定ICD-10(International Statistical Classification of Disease and Related Health Problems 10th Revision 疾病及び関連する健康の諸問題についての国際統計分類〔第10改訂版〕