遺言と異なる内容の遺産分割協議無効確認の訴えを却下した地裁判例紹介
○Aの相続人である被告ら(被控訴人)の遺産分割協議は、Aの遺言執行者である原告(控訴人)の同意なくして、遺言と全く異なる内容でなされ、無効であると主張したところ、本件遺言で相続人ではないBに「遺贈する」と記載がある一方、その余の財産は相続人に「相続させる」と記載され、これは相続分の指定とともに遺産分割の指定であり、Bが遺贈を放棄した本件では、原告が遺言執行者としてこれに関与する余地はないとして、訴えを却下した平成10年7月31日東京地裁判決(金融・商事判例1059号47頁)全文を紹介します。
○事案概要は、被相続人が財産の一部を相続人4名に「相続させる」、一部を第三者Bに「遺贈する」、原告を遺言執行者にしていするとの自筆遺言書を残していたところ、Bは遺贈を放棄し、相続人4名がBが放棄した財産を含め全遺産について、遺言書内容とは異なる遺産分割協議をしたことについて、遺言執行者の原告が相続人4名を被告として、被告らがした遺産分割協議は遺言内容と異なるから無効として遺産分割協議無効の訴えを提起したものです。
○これに対し、判決は、「相続させる」とした財産は、なんらの行為を要せず相続承継されるので遺言執行者が関与する余地はなく、Bが放棄した財産は遺言対象外の相続財産となり遺言執行者の関与する余地はなくなり、結局、本件では遺言執行者たる原告がすべき遺言の執行行為は存しなくなったので、被告らが相続財産をどのように処分しようとも、これによって原告が本件遺言の執行を妨げられることはなくなったものと解すべきであり、原告は、もはや本件遺産分割協議の無効を確認する利益は有しないとして遺言執行者の訴えを却下しました。
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主 文
一 本件訴えを却下する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告らが平成7年10月30日にした遺産分割協議は無効であることを確認する。
第二 事案の概要
一 本件は、相続人である被告らがした遺産分割協議は遺言内容と異なるから無効であるとして遺言執行者である原告が右遺産分割協議の無効確認を求めている事件である。
一 争いのない事実
1 甲山太郎(以下「太郎」という。)は、平成7年1月17日死亡したが、同人の相続人は、妻である被告甲山春子(以下「被告春子」という。)、長女である被告乙山秋子(以下「被告秋子」という。)、長男である被告甲山一郎(以下「被告一郎」という。)、二男である被告甲山二郎(以下「被告二郎」という。)の4名である。
2 太郎は、要旨左記の内容の平成6年8月19日付け自筆遺言書を残し(以下「本件遺言」という。)、原告は、右遺言により遺言執行者に指定された。
記
(一)被告春子には次の物件を相続させる。
(1)別紙遺産目録1(1)の土地
(2)別紙遺産目録2(1)の建物
(3)別紙遺産目録2(2)の建物
(4)その他前記建物内にある什器備品その他動産及び電話加入権等一切。
(二)被告秋子、同一郎、同二郎らには別紙遺産目録1(3)の土地及び預貯金、債権、株式、退職金その他の一切の債権を3分の1の割合で各人に相続させる。
(三)被告一郎、同二郎は兄弟仲良くして埼玉日産自動車株式会社、埼玉日産モーター株式会社の事業経営にあたること。
(四)別紙遺産目録1(2)の土地は甲山B(「以下「B」という。)に遺贈する。ただし所有権移転登記手続に必要な費用は同人の負担とする。
(五)本項以外に後日遺言者名義の遺産が発見された場合その遺産はすべて被告春子に相続させる。
(六)祖先の祭祀を承継すべきものとして被告春子を指定し、墓地、位牌その他祭祀に必要な財産は同人に相続させる。
3 Bは、平成7年6月20日、原告に対し、前項(四)記載の遺贈を放棄する旨の意思表示をした。
4 被告らは、平成7年10月30日、原告の同意、承諾のないまま、左記内容の遺産分割協議を成立させた(以下「本件遺産分割協議」という。)。
記
(一)別紙遺産目録1〈略〉の土地及び同目録2記載の建物は、被告春子が単独で取得する。
(二)別紙遺産目録3(1)〈略〉の上場株式は、次のとおり被告秋子及び被告春子が取得する。
(1)被告秋子が取得する株式
日産自動車株式会社の株式のうち3000株
全日本空輸株式会社の株式1万1025株全部
三菱重工株式会社の株式2万株全部
日東建設株式会社の株式8万9951株全部
(2)被告春子が取得する株式
日産自動車株式会社の株式のうち2万0100株
その余の上場株式全部
(三)別紙遺産目録3(2)〈略〉の非上場株式は、次のとおり各相続人が取得する。
(1)埼玉日産自動車株式会社の株式(107万4160株)
被告春子 53万7080株
被告秋子 10万7416株
被告一郎 16万1124株
被告二郎 26万8540株
(2)埼玉日産モーター株式会社の株式(16万8600株)
被告春子 10万1160株
被告一郎 4万2150株
被告二郎 2万5290株
(3)大阪日産自動車株式会社及び千葉三菱コルト自動車販売株式会社の株式
被告春子が全部を取得する。
(4)SAINICHI及び埼玉日産自動車USAの株式
被告二郎が全部を取得する。
(四)別紙遺産目録4〈略〉の現金は、全部被告春子が取得する。
(五)別紙遺産目録5〈略〉の預貯金及び同6〈略〉の退職手当金は次のとおり各相続人が取得する。
(1)預貯金1億8660万3227円及び退職手当金のうち相続税の課税対象となる1億3750万合計3億2410万3227円
被告春子 3858万5794円
被告秋子 9842万2299円
被告一郎 7309万5134円
被告二郎 1億1400万円
(2)退職金のうち非課税分2000万円
被告春子 50万円
被告秋子 650万円
被告一郎 650万円
被告二郎 650万円
(六)別紙遺産目録7〈略〉の弔慰金は、次のとおり各相続人が取得する。
(1)同目録7(1)の弔慰金600万円(非課税分)は次のとおり三名が取得する。
被告秋子 200万円
被告一郎 200万円
被告二郎 200万円
(2)同目録7(2)ないし(8)の弔慰金380万円(課税分)は全部被告春子が取得する。
(七)別紙遺産目録8〈略〉の未収給与等、同目録9〈略〉の還付金、同目録10〈略〉のゴルフ会員権、同目録11〈略〉の電話加入権、同目録12〈略〉の美術品及び同目録13〈略〉の家庭用財産は全部被告春子が取得する。
(八)別紙遺産目録に記載のない財産が発見された場合は相続人間で協議してその分割方法を定める。
二 争点
1 原告は、遺言執行者である原告の同意なくしてされ、本件遺言の内容と全く異なる本件遺産分割協議は無効であると主張し、その無効確認を求めているところ、被告らは、受遺者であるBが遺贈を放棄している以上、遺言執行者である原告には本件遺言を執行する余地はなく,相続財産の管理権、処分権は原告にはないから、原告の関与なくされた本件遺産分割協議も無効ではなく、そもそも、原告には本件遺産分割協議の確認を求める利益はなく、本件訴えは当事者適格を欠き、不適法であると主張している。
2 したがって、本件の争点は、
(一)遺言執行者である原告が提起した本件遺産分割協議の無効確認の訴えは適法か、
(二)遺言の内容と異なる本件遺産分割は無効か、
の2点である。
第三 争点に対する判断
一 前記の争いのない事実によれば、本件遺言ではごく大まかにいえば東京の不動産は被告春子に相続させ、その他の遺産はその余の被告3名に等分に相続させるとなっているのに対し、本件遺産分割協議では不動産全部を被告春子が取得するほか、株式、預貯金、その他の遺産のかなりの部分を被告春子が取得する内容になっているのであって、本件遺産分割協議の内容が本件遺言の内容と異なること、また、遺言執行者である原告が右遺産分割協議に同意していないことは明らかである。
二 そこで、まず、本件訴えの適法性について判断する(なお、被告らが本件訴えを不適法として却下すべきことを申し立てたことについて、原告は、右申立ては時機に後れているから却下すべきであると主張するが、訴えの利益、当事者適格の問題は職権調査事項であるから、裁判所は当事者の主張がなくても判断せざるを得ないものであり、申立てが時機に後れているとの理由で却下することができないことはいうまでもない。)。
遺言執行者は、相続財産の管理その他遺言の執行に必要な一切の行為をする権利義務を有し(民法1012条1項)、相続人は、相続財産の処分その他遺言の執行を妨げるべき行為をすることができないのであるが(民法1013条)、遺言執行者の相続財産に関する右の管理処分権は、遺言の内容を実現するために必要な限りで付与されているものであるから、遺言執行者は、遺産分割協議が遺言執行者の遺言の執行を妨げる内容を有する場合に、その限度で遺産分割協議の効力を否定することができ、この場合には、遺言執行者が右のような遺産分割協議の無効確認を求めることの利益を否定することはできないが、遺産分割協議が遺言執行者の遺言の執行を妨げるものでない場合には、特段の事由がない限り、遺産分割協議の内容に立ち入る権利も義務も遺言執行者にはないものというべきである。
三 かかる見地に立って本件をみるのに、前記争いのない事実によれば、本件遺言には第三者であるBへの遺贈が含まれていたが、Bは遺贈を放棄したというのであり、そうすると、右遺贈の対象となった財産も相続財産の一部となったと解される。
そして、本件遺言では、別紙遺産目録1(1)の土地及び同目録2(1)、(2)の建物及び右各建物内にある什器備品その他動産及び電話加入権等は被告春子に相続させるとなっているから、右相続財産については、なんらの行為を要せず、被告春子に相続承継されたものとみるべきであり(最高裁平成元年(オ)第174号同3年4月19日第二小法廷判決・民集45巻四号477頁参照)、これに遺言執行者が関与する余地はなく、また、被告春子が相続すべき財産を除く財産、すなわち、別紙遺産目録1(3)の土地及び預貯金、債権、株式、退職金その他の一切の債権については、被告秋子、同一郎、同二郎の3名に3分の1の割合で相続させるとなっているから、相続分及び分割方法の指定があるとみるべきであるが、右3名が具体的にどのように右相続財産を取得するは、右3名の協議に任されているものと解され、これにも遺言執行者たる原告が関与する余地はないというべきである。また、遺贈の対象となっていた土地の帰属についても、被告ら4名の遺産分割協議によることとなり、原告の遺言執行の対象外である。
したがって、本件遺言においては、Bが遺贈の放棄をした時点において、遺言執行者たる原告がすべき遺言の執行行為は存しなくなったものというべきで、被告らが相続財産をどのように処分しようとも、これによって原告が本件遺言の執行を妨げられることはなくなったものと解すべきである。そうであれば、原告は、もはや本件遺産分割協議の無効を確認する利益は有しないものとせざるを得ず、本件全証拠によってもこれを肯定すべき特段の事由があるものとも認め難い。
四 以上によれば、本件訴えは、本件遺産分割協議の無効を確認する利益のない原告から提起されたことになり、不適法といわざるを得ないので、本件訴えを却下することとし、主文のとおり判決する。
裁判官 大橋弘
(別紙)遺産目録〈略〉