○「
遺産分割未了建物の単独使用と賃料に関する2つの最高裁判決紹介」で紹介した昭和41年5月19日最高裁判決(判タ193号91頁、判時450号20頁)の第一審である昭和36年3月6日東京地裁判決(最高裁判所民事判例集20巻5号971頁)の公表されている部分を紹介します。
○被相続人Aの妻及び子である原告らが、同じく子である被告に対し、本件土地の共有権取得登記手続及び本件建物の明渡しを求めましたが、判決は、本件土地については、被相続人の後継者と目されていた被告が登記名義人であり、Aにこれを贈与された以後は自ら所有する意思をもって本件土地を所有してきた事実を認定して、本件土地の共有権取得登記手続を求める原告らの請求についてはこれを棄却しました。残念ながら、判決の判断部分の記載はありませんが、解説文ではこのようになっています。
○しかし、Aが本件土地上に築造した本件家屋に関しては、被相続人がかつて所有していたものであり、その死亡に伴って、原告ら及び被告が相続したものであること等を認定して、原告らの請求中家屋明渡しに限って認容したと解説されていましたが、昭和41年5月19日最高裁判決はこれを覆しました。
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主 文
被告は、原告らに対し、別紙物件目録第二記載の建物を明け渡せ。
原告らのその余の請求は、棄却する。
訴訟費用はこれを5分し、その2は被告の負担とし、その余は原告らの負担とする。
事 実
(請求の趣旨)
原告ら訴訟代理人は、「被告は、別紙物件目録第一記載の土地につき、原告前田とらのため3分の1及びその他の原告らのため12分の1ずつの各共有権取得登記手続をせよ。被告は、原告らに対し、別紙物件目録第二記載の建物を明け渡せ。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決並びに建物の明渡部分につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。
(請求の原因)
一 訴訟承継前の原告前田A(以下Aという。)は、南斉と号し桑樹匠を業としていたが、被告はその次男で、東京美術学校を卒業し、肩書地において、父と同じ業を営んでいる。
二 Aは、昭和15年6月6日、東京建物株式会社(以下東京建物という。)から別紙物件目録第一記載の宅地(以下、本件宅地という。)のほか一筆の土地を代金1万4655円70銭で買い受けたが、その登記上の名義を、便宜上、当時学校を卒業しAのもとで修業中の被告名義とした。本件宅地は、もとより同人に贈与したものではなく、現実にAがこれを占有し、その地上にA名義の建物を所有していた。
すなわち、Aは、8人の子供と妻をかかえ、財産の名義をすべて自己名義にしておけば万一の場合に長男1人が相続し、他の子供らや妻が何らの分配も受けないことを憂え、被告が常時自分の側にいて、自分のいうとおりになるという素朴な考えから、本件宅地を一時被告名義にし、適当な機会に分与することにしたのである。
三 昭和20年の戦災のためA所有の建物が焼失したので,Aは、昭和21年別紙物件目録第二記載の建物(以下本件建物という。)を本件宅地上に建築し、Aの名義で登記を了し居住していたが、同年5月頃、被告が復員後のこととて住居がなかつたので、被告及びその妻子を引き取り、本件建物に居住させた。昭和25年頃、A夫婦が北品川の原告とらの肩書住所に移転した結果、被告及びその家族だけが本件建物に居住するに至つた。
四 Aは、生前、すでに老令で仕事も意のごとくならず、被告及び子供ら(被告のほかに男子6人、女子2人)の扶助を要する状況に至つたのであるが、被告以外の子供らはサラリーマンが多く、父母を養う力がないため、結局Aの職業の後継者として現に本件建物を使用している被告とAとの間に「被告は、昭和27年8月からAの存命中毎月金2万円ずつAに仕送りすること、Aは、本件宅地及び本件建物を被告に譲り渡し、他の者から異議を述べさせない。」旨の契約が成立した。
(一) しかして、被告は、昭和29年12月までに数回右契約を実行したのみで、Aらの頼みにもかかわらず、約定の仕送りをしなかつた。ここにおいて、Aは、被告に対し、昭和29年12月8日到達の内容証明郵便をもつて、前記契約の不履行分合計金47万2000円を該書面到達の日から7日以内に支払うべく、もし右期間内にこれを支払わないときは前記契約を解除する旨の催告及び条件付解除の通告をした。
(二) しかるに、被告は右期間内に、これを支払わなかつたので、Aは、同年12月24日書面をもつて、右期限経過後に被告から送金して来た金1万6000円を返送するとともに、本件宅地及び建物につき、被告は何らの権利を有しない旨を通告した。
(三) よつて、Aはやむなく、Aら夫婦の生活費を捻出する方法として、本件宅地の空地の部分に建物を建築し、これを貸事務所兼自己の製品の陳列に使用すべく計画し、その資金を出す人をも得たので、昭和30年7月建築許可を得て工事に着手せんとしたが、被告が、妨害したため遂にこの計画を実行することができなかつた。
五 Aは途方にくれ、やむなく、本件宅地及び建物を処分し、その代金から被告に相当金額を贈り、Aも自己の負債等を返済し、その残余をもつて、Aら夫婦の今後の生活費に充当すべく、被告に対し、その協力を求めるため、東京家庭裁判所に、被告を相手として、昭和31年9月14日調停の申立をし(同庁同年(家)第3、138号調停事件)たが、被告は、本件宅地が自己の所有に属する旨主張し、この調停は、不調に終つた。
六 Aは、昭和33年11月6日死亡し、その妻とら及び直系卑属たる長男旭治外七人(被告を含む。)が遺産相続により本件宅地及び建物を取得共有するに至つた。
(一) 本件宅地につき、被告は、前記のとおり形式的に所有名義者であるが、実質的にはAの死亡により12分の1の共有持分権を取得したのであるから、被告外の遺産相続人である原告らのためそれぞれの相続分につき持分権取得登記手続をすべき義務があるといわなければならない。
(二) 本件建物につき、Aは、生存中すでに被告に対し使用貸借の解約を理由として明渡請求の意思表示をし、再三にわたりその履行を請求して来たが、最終的に昭和31年9月14日東京家庭裁判所に対する調停申立によつて明渡しの意思表示を明確にした。
したがつて、被告は、本件建物を適法に占有する何らの権原がないところ、Aの死亡によつて、本件建物につき12分の1の共有持分権を取得し、被告に占有権限が生じたのであるが、本件建物の共有者9名中8人の原告らが本件建物の保存行為として、その明渡しを主張するものであるから、被告は、これを拒むべき理由はない。
七 よつて、原告らは、被告に対し、本件宅地につき共有権取得の登記手続を求めるとともに、本件建物につき使用貸借の解除による終了を理由として明渡しを求める。
八 なお、被告の抗弁事実は、いずれも否認する。Aは六男二女の子福者であり、被告のためにのみ土地を購入し、家を建築してやることは許せない状態であつた。Aが昭和24年3月本件宅地及び建物のほかに最も価値ある角地を独断で飯田勝郎に譲渡したことは、被告がAから贈与を受け真の所有者であるなら黙視する筈がない。被告が本件宅地上のA所有の建物内で独立して仕事を始めたのは昭和21年9月頃であり、Aは昭和23年頃御殿山に移転するまで事実上の支配を継続していたのであるから、被告の時効取得の抗弁は理由がない。
(被告の申立)
被告訴訟代理人は、「原告らの請求は棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁等として、次のとおり述べた。
(答弁等)
一 原告ら主張の事実中、原告主張のように、Aが桑樹匠を業としていたこと、被告がその次男で同じ業を営む者であること、原告主張の日、その主張の代金で本件宅地を東京建物からA名義で買受けたこと、昭和20年戦災のためA所有名義の建物が焼失したこと、Aが昭和21年本件建物を建築したこと、本件建物が登記簿上Aの所有名義になつていること、被告が毎月相当の生活費をA夫婦に仕送りする約束があつたこと、Aが昭和31年9月14日東京家庭裁判所に調停の申立をしたが、不調に終つたこと並びに原告ら及び被告がAの死亡によりその相続をしたことは、いずれも認めるが、その余の事実は否認する。
被告は、相当生活費をAに仕送りする旨の約定に従い履行していたが、被告自身の生活が脅かされるに至つたため遅滞したところ、Aが遅滞を理由に被告の本件宅地所有権を否認し、Aの所有に属する旨主張して本件土地の明渡しを求めるような態度にでて爾後被告の仕送りを拒絶するに至り中断の状況にあつた。
前記調停は、被告が一貫して誠意をもち父Aの老令の身を慮り、円満な解決をすべく努力を重ねたが、Aの頑固な態度によつて不調に終つた。
二 本件宅地は、Aが購入した頃、被告がAから贈与を受けたものである。すなわち、
(一) 被告は、大正12年3月小学校を卒業するや、夜学に通いながら、父Aの仕事に異常な興味をもち家業に励み、昭和5年桑樹匠として大成するため、家業に従事しながら東京美術学校彫刻科に在学して勉学に熱中した。昭和10年頃から被告は前田家における家業の後継者となり、父Aは他の子供らが意に反して家業を継ごうとせず、それぞれ自由に各人各様の方向に進むをみて、被告にかける期待と寵愛は著しく、被告もまた、Aの期待に報い、家業のために精励した。
(二) かくして、被告が美術学校を卒業し、専ら家業の指導的地位にあつて、専心するようになつてから5年目である昭和15年、父Aが本件宅地を東京建物から買い受け、後継者たる被告に対し「この土地は、お前に買つてやる。土地を買うには借金せねばならぬが、お前も一生懸命やつてくれ。」というので、被告は、父Aの所為に感激し、ひたすら家業に没頭していたものである。
(三) 被告は、昭和19年3月10日、高田鎮子と婚姻し、同年3月13日、被告について、Aが分家の届出をした。旧民法の相続制度のもとにおいて長男以外の次男、三男が家業を継ぐ事態が生じたときは、相続人在世中にその家財の全部もしくは一部を贈与し、承継者を分家させて家業の維持発展を計るのが社会一般に通常とられる手段であつた。Aも家業を継ぐ被告のため家財一切を確保する目的で本件宅地を贈与したものであるから、原告らの共有権取得登記手続を求める本訴請求は、理由がない。
三 仮に右の主張が理由がないとしても、被告は民法第162条第2項の規定により、本件宅地を時効取得したものである。
(一) 本件土地につき、昭和15年7月11日、被告が所有権取得登記を了していることは年賦償還金員借用証によつて明らかである。(当時の登記簿が昭和20年戦災により焼失したため登記簿によつて登記の時期を明らかにできないが不動産売買契約証書及び年賦償還金員借用証により、遅くても前記7月11日までに登記を了したことが明白であるから、7月11日に登記が完了したものと主張する。)
(二) 被告はこの日に、本件宅地の所有権を取得したものとして、爾来固定資産税を納付する等所有の意思をもつて、その占有を継続して来たものである。登記に使用した実印を被告が所持した事実に照し被告が所有の意思をもつて占有したことについて過失がない。
(三) よつて、被告は、昭和15年7月11日から10年経過した昭和25年7月10日をもつて本件宅地の所有権を取得したものであり、原告らの本件宅地につき共有権取得登記手続を求める本訴請求は失当である。
四 本件建物は、Aが昭和21年9月頃建築し、被告に贈与したものである。その理由は、前記のとおり、被告がAの後継者であるところから、被告名義で建築届を所轄役所に提出し許可を得たが、兄弟の内に非難する者がありA名義に変更した。その際、Aは、被告に対し、「兄弟の手前名義は一応自分にしておくが、お前の家であるから心配しないで一生懸命やつてくれ。」といい、被告は、本件建物完成後、直ちに引き移り、その後、経済面及び事業面に完全に独立して家業に精励しているのであるから、原告らの本件建物の明渡しを求める本訴請求は失当である。
(証拠関係)(省略)
(昭和36年3月6日 東京地方裁判所民事第15部)
物件目録
第二審判決添付物件目録と同一につき省略
更正決定
主 文
本件について昭和36年3月6日言渡した判決の当事者の表示中、原告の氏名「前田健吉」とあるのを「前田健吾」と更正する。
(昭和36年3月24日 東京地方裁判所民事第15部)