○「
認知症により遺言能力欠如を理由に公正証書遺言を無効とした判例紹介2」の続きで、裁判所の認定結論部分です。
判決は、「
Aは、本件遺言を行った当時、アルツハイマー型認知症により、(中略)その認知症の症状は少なくとも初期から中期程度には進行しており、自己の遺言内容自体も理解及び記憶できる状態でなかった蓋然性が高い」として、「
本件遺言内容についてAが遺言を行う能力は欠けていたと評価すべき」として遺言を無効としています。
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二 検討
前記前提となる事実及び認定事実によれば、
Aは、平成13年にウェルニッケ脳症を発症し、その後、平成16年6月までは長谷川式簡易知能評価スケールで20点以上を保っていたが、平成18年ころから物忘れが目立つようになり、同年11月14日以降は16点ないし18点で推移していたこと、Aは、遅くとも平成19年5月までにアルツハイマー型認知症であると診断され、同年1月にはアリセプト錠が処方されていたこと、
Aは、平成20年10月、妻であるBが脳梗塞を発症して入院し、その後は有料老人ホームに入所することになり、独居生活となったため、被告は、Aのために要介護認定・要支援認定を申請し、同年11月、被告が同席して同認定のための調査が行われたが、その際、Aは服薬をしているがその認識がなく、電話の内容等もすぐに忘れてしまうこと、1日の予定をホワイトボードに記載してもこれを理解及び記憶することができずに被告に何度も電話してくることが説明されたほか、Aは、当時の季節と月を答えることができず、調査中、七回もBがどこにいくのかを尋ね、Bがいないのに自分はどのように生活をしているのかを確認していたこと、同月に作成された主治医意見書では、日常生活自立度は「J2」及び「〈2〉b」の各欄にチェックが付され、認知症の中核症状として短期記憶に問題があることや自分の居場所が分からなくなることが見られる旨が指摘されていること、
平成21年3月、被告の同席の下、要介護認定・要支援認定のための調査が行われたが、Aは季節に適した服装を選択することができないこと、服薬について、薬を飲む時間や量を理解できていないため、家族が食事と一緒に準備しているが飲み忘れがあること、金銭管理について、計算能力及び管理能力はないこと、電話をかけ又はこれを受けることはできるが、電話をかけたことや話の内容等をまったく覚えていないこと、1日の予定について、ホワイトボードに1日の予定を家族が書いているが理解しておらず、自分では何をすべきか分からずに1日に何度も家族に電話をかけて聞くこと、
同調査日に家族と病院に行ったことを覚えていないこと、季節の理解ができず、寒い日に暖房をつけずに薄着で震えていたことがあったこと、Bが入院していることが分からずに不安になっていること,習慣的なことを除き、直前の会話の内容や出来事を記憶していないことなどが説明され、また、調査中にジュースを飲みながらビールを飲んでいると何度も繰り返し話していたこと、平成21年3月の主治医意見書にも前記平成20年11月の主治医意見書と同内容の記載があること、
平成23年3月、被告の同席の下、要介護認定・要支援認定のための調査が行われたが、Aは配膳された通常食を自力で食べるが、食べたすぐあとに「ご飯は?」と被告に聞くこと、1人だとヘルパーが来る日に散歩に出かけてしまい不在となることが月2回ほどあること、Aは品物を見せて3分後に聞いても忘れて答えられないこと、Aは散歩も決まった場所でないと外出しないが、時々帰らず被告が探しに出ること、Aは同じ質問ばかり何度も被告にしており、1分おきに聞くために被告がこれを非難すると感情が混乱して泣くことがあること、Aは介護関係者の顔を忘れているほか、
東北沖大地震のニュースを見るたびに新鮮に驚き、被告との伝言や約束事もできないこと、Aは薬の飲み忘れが多いこと、被告が金銭管理しているが、Aは行きつけのパン屋で同じパンを繰り返し買って食べてしまうほか、会計も店員に任せており、被告からは何度も注意を受けて体重も増えていること、Aは会員の協力もありテニスクラブに通っているが、それ以外の場所には行けず、動作上はスポーツができるが、先日、テニスクラブは休業であることを被告が伝えたにもかかわらず、直後に出向いてしまったことなどが説明されるなどしたこと、平成23年3月の主治医意見書には、平成21年3月の主治医意見書と同様の記載があるほか、認知症の周辺症状として、「徘徊」の欄にチェックが付されていることなどが認められる。
以上の事実に照らすと、Aは、本件遺言を行った当時、アルツハイマー型認知症により、その中核症状として、短期記憶障害が相当程度進んでおり、自己の話した内容や人が話した内容等、新たな情報を理解して記憶に留めておくことが困難になっていたほか、季節の理解やこれに応じた適切な服装の選択をすることができず、徘徊行動及び感情の混乱等も見られるようになっていたということができるから、その認知症の症状は少なくとも初期から中期程度には進行しており、自己の遺言内容自体も理解及び記憶できる状態でなかった蓋然性が高いといえる。
そして、本件遺言の内容には、別紙物件目録《略》記載一及び二の各土地(Aの持分である各100分の86)並びに同目録記載三の建物を原告と被告に2分の1ずつ相続させる旨の内容を含むが、他方、付言事項として、これらの土地及び建物を実際に分割する場合には道路に面した土地と通路付きの奥の土地とに土地の価値が2分の1ずつになるようにし、前者を被告が、後者を原告が取得するようにするのがよいと考える旨も記載されており、上記各土地を分筆するなどして具体的にどのように分割するかは、上記各土地上には上記建物が存在していること、上記各土地はBも共有持分を有していること、実地において分割等を行う手掛かりとなる箇所が明らかでないことなどを考慮すると、遺産分割協議、遺産分割調停又は遺産分割審判といった手続や更に共有物分割手続を経ても、これらの手続の中で分割する方法を具体化し、これを実現することは容易ではないといわざるを得ないし、本件遺言は平成16年遺言に比して複雑な内容となっていることも指摘できる。
以上の事情を総合考慮すると、本件遺言内容についてAが遺言を行う能力は欠けていたと評価すべきものであり、本件遺言は無効であるというべきである。
これに対し、被告は、Aは、テニスを行うことができ、またテニスをするために一人でテニスクラブに通うことができていたこと、テニス大会後の懇親会においてスピーチを行ったこと、各種行事に出席していたことなどを主張し、本人尋問においてこれに沿う供述をするほか、P4医師の意見書を提出し、Aが軽度のアルツハイマー型認知症であるにすぎず、遺言能力に欠けるところはなかった旨を主張するが、運動を行う身体能力があり、長年親しんだ場所に通うことができるとしても、Aに短期的な記憶障害があって同人が新たな情報を理解して記憶に留めることが困難であったことはすでに説示したとおりであり、被告が主張する上記の各事情が直ちに遺言能力があると評価すべき事情になるものではなく、むしろ、Aの要介護認定・要支援認定の際に、被告の同席の下で調査が行われ、この中で、1日の予定を理解して記憶することができずに、1日に何度も確認する電話をかけること、電話の内容を記憶することができないこと、食事をしたことも忘れてしまうこと、外出して帰宅することが困難なときがあること、習慣的なことを除いてAの短期的な記憶能力や理解能力が失われていることなどが明らかにされているところであって、軽度のアルツハイマー型認知症にすぎないということはできないし、本件遺言の内容の複雑さと実現の困難性等を合わせ考慮すると、本件遺言を行うについて、Aの遺言能力が欠けるものではないとの被告の上記供述及び主張を採用することはできない。
三 結論
以上によれば、原告の請求は理由があるからこれを認容することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 澁谷輝一)
別紙 物件目録《略》