○相続相談で良くある例は、父の遺産相続について残された母の面倒を見るとの条件で、長男に多くの遺産を取得させる遺産分割をしたが、長男は約束を破って母の面倒を見ないので、この遺産分割を解除して、やり直しが出来ないかと言うものです。極端な例は、父の遺産全部を長男に取得させたのに、母の面倒を見るとの約束を破っているとの相談もあります。
○民法第2章契約の第541条では、「
当事者の一方がその債務を履行しない場合において、相手方が相当の期間を定めてその履行の催告をし、その期間内に履行がないときは、相手方は、契約の解除をすることができる。」と規定されており、遺産分割も契約の一種だから、この規定が適用されて、約束である母の面倒を見ない長男に対し、母の面倒を見ることを催告し、それでも面倒を見なければ当初遺産分割協議を解除することが出来そうなものです。
○しかし、残念ながら判例は、この解除を認めません。このような事案についての平成元年2月9日最高裁判決(判タ694号88頁、判時1308号118頁)を紹介します。
事案は以下の通りです。
・被相続人Aが昭和51年12月に死亡し、その相続人は、妻B(一審係属中に死亡)と長男C(原判決言渡後に死亡)、長女D、二女E、二男F、三男Gの6名
・昭和52年5月末に遺産分割協議が成立し、以下の条件でCが法定相続分より多い遺産の分割を受けた
二男、三男と仲良くする
母と同居して、扶養し、母にふさわしい老後を送ることができるように最善の努力をする
Aの妻とともに、母の日々の食事その他身の廻りの世話をその満足を得るような方法で行う
先祖の祭祀を承継し、各祭事を誠実に行う
ことを約した。
・Cは、分割協議後、前記の条項を履行せず、母を虐待して十分な扶養をしないばかりか、祭祀を放擲し、更に昭和53年1月には口論のうえ母を素手で殴打して傷害を負わせたりした
・Dらは、同年3月にYに対し右条項の履行を催告したがこれを履行しないので、民法541条により本件協議を解除し、
@本件協議によってCが取得した不動産のうち、C名義のまま残っているものについては法定相続分で相続人全員の共有名義に更正登記手続をすること、
ACが本件協議で取得した不動産のうち他に売却した不動産については、その代金を相続分の割合によってDらに支払うこと、
BCが占有する建物(母が本件協議で取得した母家)については、母との使用貸借契約を解除してその明渡をせよ
として訴え提起
・第1、2審とも、Dらの請求を棄却し、Dらが上告
○これに対し、平成元年2月9日最高裁判決(判タ694号88頁、判時1308号118頁)は次のように判示して、Dらの上告を棄却しました。
共同相続人間において遺産分割協議が成立した場合に、相続人の1人が他の相続人に対して右協議において負担した債務を履行しないときであっても、他の相続人は民法五四一条によって右遺産分割協議を解除することができないと解するのが相当である。けだし、遺産分割はその性質上協議の成立とともに終了し、その後は右協議において右債務を負担した相続人とその債権を取得した相続人間の債権債務関係が残るだけと解すべきであり、しかも、このように解さなければ民法909条本文により遡及効を有する遺産の再分割を余儀なくされ、法的安定性が著しく害されることになるからである。以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。
○遺産分割の方法として、共同相続人の1人又は数人に他の共同相続人に対して債務を負担させ、相続分の割合によらない遺産の分割をする例がありますが、この相続人間の債権債務につき、債権者たる相続人が債務者に対し、履行を催告した上、民法541条により当該分割協議を解除し得るかについては、従来から裁判例は次のように消極に解していました。
昭和52年8月17日東京高裁決定(家裁月報30巻四号101頁、判タ364号251頁)
全財産を相続した長男が老母の面倒をみるべき債務につき不履行があった例
昭和56年3月25日東京地裁判決(判時1014号85頁)
相続財産の大部分を相続した者が分割協議に際し財産管理を委ねることになっていた者を疎外して浪費をした例
昭和57年2月25日東京地裁判決(判時1051号118頁)
相続財産を取得した先妻の子が後妻との同居の義務を履行しなかった例
昭和59年3月1日東京地裁判決(判時1155号277頁)
分割協議後、相続人間で不仲になり、それまでの円満な情誼関係が破綻した例
○学説も、星野・家族法大系Y375頁、野田・相続の法律相談(第二版)75頁など消極説が多いようです。私は、解除を認めても良さそうに感じていますが、最高裁が認めない以上どうしようもありません。なお、遺産分割協議における相続人の意思表示に錯誤、詐欺、強迫など、その成立過程で、意思表示に瑕疵がある場合は、協議の無効、取消を主張し得るとされています。