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小松亀一法律事務所は、「交通事故」問題に熱心に取り組む法律事務所です。

交通事故重要判例

肩関節可動域の治療後増悪について事故との因果関係を認めた判例紹介

○後遺障害認定につき、「F医師の意見によると、本件のような原告の本件事故による左肩関節遠位端骨折においては、肩関節の可動域制限が残存することは医学的に不思議ではなく、治療後に可動域制限が残存した場合にその後、拘縮によって可動域がさらに制限されることは医学的に常識であるとされていることからすれば、原告の上記可動域制限は、本件事故と相当因果関係を有するものであり、同可動域が健側の1/2に制限されていることからすると、同後遺障害は、等級表10級10号(1上肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの)に該当すると認めるのが相当である」と10級10号後遺障害を認定した平成28年9月16日大阪地裁判決(自保ジャーナル・第1987号)の関連部分を紹介します。

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(3) 争点(3)(原告甲野の症状固定時期及び後遺障害の内容・程度)
(原告甲野の主張)
ア 原告甲野は、本件事故により左肩関節の可動域制限並びに左肩の痛み、しびれ及び知覚鈍麻の後遺障害が残存し、平成23年11月1日症状固定した。
 上記左肩関節の可動域制限は、自動車損害賠償保障法施行令別表第二の後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)の10級10号(1上肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの)に該当する。

イ 被告らは、平成23年9月16日の時点で日常生活動作がほぼ自立していることをもって同日の時点で症状固定となっていると主張するが、原告甲野は本件事故により左鎖骨遠位端骨折の傷害を負ったものであるから、食事、整容、トイレ等の日常生活動作がほぼ自立していることと症状固定時期とは無関係である。原告甲野は、著しい可動域制限及び疼痛が残存している状況の下で、抜釘手術後も平成23年11月1日まで懸命のリハビリを行っていたものであり、被告らの主張は失当である。

ウ 被告らは、原告甲野の左肩の可動域が、平成23年9月20日の時点で屈曲135度、外転100度であったことをもって、「極めて良好な回復が得られている」とした上で、その増悪することは考えられないなどと主張する。
 しかし、肩の参考可動域は、屈曲、外転ともに180度であり、上記可動域は、「極めて良好な回復が得られている」などといえる状況ではなく、むしろ重篤な可動域制限が残存していると評価すべきである。また、被告らは、医師ではなく、理学療法士がリハビリの際に計測した可動域のみを殊更に取り上げているが、理学療法士による計測は、リハビリ後に可動域が一時的に回復している状態を計測するものであり、角度計を用いずに計測することが多いため概算の角度が記載されることが多いのであり、理学療法士による計測によって原告甲野の後遺障害の程度を判断することは許されない。本件においては、症状固定直前の平成23年10月26日に医師によって計測された可動域測定結果があり、これによると原告甲野の左肩の可動域は外転90度、屈曲120度であり、同結果が、原告甲野の症状固定時の可動域と考えるほかはない。

 また、被告らは、その後可動域制限が拡大したことについて、医学的に考えられないなどと主張するが、同主張は結論ありきの暴論である。拘縮は、治療経過が思わしくなければ徐々に進むものであるから、原告甲野が術後に懸命なリハビリを行ったにもかかわらず、可動域は十分に改善せず、その後肩関節の拘縮が進み増悪に至ったと考えるのが医学的に無理のない考え方である。

(被告らの主張)
ア 原告甲野は、平成23年9月1日の時点で、日常生活動作はほぼ自立しており、2回目の入院(平成23年9月1日から同月16日)の際に抜釘手術を受け、同退院時における日常生活動作についてもほぼ自立していたことからすると、同退院時である同月16日の時点で症状は固定していたというべきである。

イ 原告甲野の左肩の可動域は、平成23年6月2日の時点で、屈曲、外転ともに90度であり、可動域獲得は極めて順調であり、抜釘後3週間もたっていない同年9月20日の時点の可動域は、屈曲135度、伸展35度、外転100度、内転0度、外旋85度、内旋45度と良好であり、左鎖骨遠位端骨折については、標準的加療が行われ、極めて良好な回復が得られている。

 後遺障害診断書では、可動域制限がみられるが、平成23年9月20日の時点で良好な可動域を獲得していたものが3年後に増悪することは医学的に考えられず、加齢性か別の外傷がなければ説明がつかないところ、外傷から3年半が経過することで年齢変化としての肩関節周囲炎を生ずる可能性がある。また、鎖骨骨折後のごく軽度の骨の形態変化が遺残していたとしても、解剖学的に腱板損傷をきたす部位ではなく、臨床症状からも腱板損傷をうかがわせる客観的所見はなく、平成26年9月9日時点でのX線所見及び臨床症状からは肩関節周 囲炎と考えることが医学的に妥当であり、原告甲野の主張する後遺障害は、本件事故との間の相当因果関係が認められない。

    (中略)

3 争点(3)(原告甲野の症状固定時期及び後遺障害の内容・程度)について
(1) 認定事実

 前記争いのない事実等、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。
ア 原告甲野は本件事故後、B外科に救急搬送され、同翌日も同病院に通院し、左鎖骨遠位端骨折、左耳介挫創、右手関節挫傷と診断された。同病院では、X線検査において、上記骨折が確認され、鎖骨バンド固定、創傷治療、湿布処置、薬物治療が行われたが、原告甲野の自宅から遠かったことから、転医となった。

イ 原告甲野は、平成23年3月11日、Cクリニックを受診し、左鎖骨遠位端骨折、左側頭部打撲、左眼球打撲傷と診断され、左鎖骨の骨折については手術を勧められたことから、D病院において手術を受けることとした。

ウ 原告甲野は、同月14日、手術のためD病院に入院し、同日手術内容のほか、感染症に罹患するおそれや、骨癒合がうまくいかず偽関節となる場合があることや、後遺障害として可動域制限が残ることがあることなどの説明を受けた。

エ 原告甲野は、同月15日、左鎖骨遠位端骨折につき、観血的整復内固定術を受け、同月16日から左肩関節可動域運動訓練のリハビリが開始された。上記手術は成功したものの、手術後は左肩の疼痛が強く、同月17日からは装具を装着することとなったほか、座薬等で疼痛管理が行われていた。その後、疼痛は徐々に緩和し、自制内となり、経過が良好であったことから、原告甲野は、同月26日、D病院を退院した。

オ 原告甲野は、術後のリハビリのため、D病院への通院を継続するとともに、同月31日から再びCクリニックに通院した。
 その後の骨癒合は順調であり、X線上は、同年5月11日の時点で骨癒合良好とされており、手術から6ヶ月後の同年9月には抜釘の予定とされていた。

              (中略)

(2) 専門家による意見
 原告甲野の後遺障害に関する専門家の意見は、以下のとおりである。
ア 戊田医師の意見
 原告甲野の左肩関節遠位端骨折は、X線所見から判断すると骨折部の転位が大きい不安定型の骨折であり、このような骨折は、左肩関節に大きい外力が直接加わり、その外力を肩関節が吸収しきれずに鎖骨部分に伝わり、骨折に至るものであるから、受傷の時点で肩関節の機能障害は容易に想定可能である。さらに、今回のような不安定性の骨折の場合、骨折治療を優先することにより受傷後直ちに可動域制限を改善する治療をすることができないことにより、可動域制限が残ってしまう。

 原告甲野の左肩関節遠位端骨折は、腱板組織方向への鋭利な突起、遊離骨片、肩関節の関節裂隙狭小化等がみられる変形治癒をしたものであり、これらが原因となって腱板成分を損傷するとともに、肩鎖関節が破壊された結果、可動域制限、疼痛等の後遺症を引き起こしていることは容易に推測可能であり、平成23年10月26日から平成26年9月9日までに可動域制限が進行していることは、医学的に不思議な話ではない。

 丁山医師の意見書では、平成23年9月20日の可動域の測定結果をもって良好な可動域と評価されているが、理学療法士による測定は、濃厚なリハビリ後に一時的に回復したものを角度計を用いることなく計測したものであって、そもそも同日の測定結果を根拠に判断することに問題があるばかりでなく、同結果を前提としても、健常人の半分程度の可動域をもって良好と判断することはできず、むしろこの時点での経過は思わしくないのが明白である。また、同意見書における腱板損傷にかかる記載は、通常の腱板損傷についてのものであり、原告甲野のように外傷及び2回の手術による3度の大きい侵襲が患部に加えられている症例と一緒にすべきではないし、同人の場合、肩関節の可動域が通常人の半分以下になっているのであって、筋力低下はあって当たり前であり、問題にすること自体ナンセンスである。

 さらに、関節の機能不全が残存した場合、数ヶ月で関節は拘縮を起こし、可動域はさらに制限される結果となることは医学的な常識であり、これを無視して、他の外傷がなければ肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)と考えるのが妥当であるなどとする意見は乱暴である。

イ 丁山医師の意見
 本件事故により左鎖骨遠位端骨折が生じたことは確かなことであるが、それほど転位は大きいものではない。平成23年5月11日のX線検査では骨癒合が得られており、同年6月2日の時点で屈曲90度、外転90度の可動域が得られている。同年9月2日の抜釘手術後も再骨折や転位もみられず、同月20日にも良好な可動域が確認されている。以上からすれば、原告甲野の左鎖骨遠位端骨折については、標準的な治療が行われ、極めて良好な回復が得られていることがわかる。

 これに対し、平成26年9月10日付けの戊田医師の後遺障害診断書(証拠(略)には「平成27年2月5日付け」とあるが、誤記と考えられる。)では、可動域制限として屈曲75度、外転70度が記載されているが、平成23年9月20日の時点で良好な可動域を獲得していたものが3年後に増悪することは医学的には考えられないもので、その間に加齢変性以外の別の外傷等がなければ説明が不可能である。

 戊田医師は、腱板損傷の可能性を指摘するが、鎖骨骨折後のごく軽度の骨の形態変化(骨棘・遊離体)が存在していたとしても、解剖学的に腱板損傷をきたす部位ではなく、腱板の筋力低下も確認されていないことからすると、腱板損傷を確認することはできない。これに対し、外傷後3年半程度経過すれば、その間に年齢的変化である肩関節周囲炎をおこすことは十分にありうることであることからすると、平成26年9月9日に見られた可動域制限は肩関節周囲炎と考えることが医学的に妥当である。

(3) 判断
ア 上記(1)の認定のとおり、原告甲野は、本件事故により左鎖骨遠位端骨折の傷害を負い、抜釘手術後約2ヶ月のリハビリを経た平成23年10月26日の時点においても、左肩関節の可動域は外転90度と健側の1/2以下に制限されており、その約3年後である平成26年9月9日における左肩の可動域も屈曲75度、外転70度と健側の1/2以下に制限されていることが認められる。そして、上記のような可動域制限は、受傷後最初の手術の段階でもその可能性が指摘されていたこと、戊田医師の意見によると、本件のような原告甲野の本件事故による左肩関節遠位端骨折においては、肩関節の可動域制限が残存することは医学的に不思議ではなく、治療後に可動域制限が残存した場合にその後、拘縮によって可動域がさらに制限されることは医学的に常識であるとされていることからすれば、原告甲野の上記可動域制限は、本件事故と相当因果関係を有するものであり、同可動域が健側の1/2に制限されていることからすると、同後遺障害は、等級表10級10号(1上肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの)に該当すると認めるのが相当である。

 そして、上記(1)認定のとおり、原告甲野は、平成23年11月1日以降、平成26年9月9日まで治療を受けておらず、同日の可動域検査の結果も、平成23年10月26日時点よりも若干悪化しているものの、さほどの変化がないこと、丁山医師の意見書にも抜釘手術後の通院治療は2ヶ月程度で十分であるとの記載があることからすると、本件事故による原告甲野の傷害は、最終通院日である平成23年11月1日をもって症状固定したものと認められる。

 なお、原告甲野は、左肩の疼痛の後遺障害も主張しているが、その程度は、本件全証拠によっても必ずしも明らかではなく、左肩関節の機能障害の程度を上回るとは認められず、また、これとは別個の後遺障害であると評価すべきことを裏付けるに足り る証拠もない。

イ これに対し、被告らは、丁山医師の意見書を根拠に、原告甲野の症状は、順調に回復しており、最終通院以降原告甲野の左肩可動域が悪化したのは加齢による肩関節周囲炎によるものであって、本件事故と相当因果関係が認められないと主張する。

 しかしながら、前記認定のとおり、原告甲野の左肩関節の可動域は、平成23年10月26日の時点においても、外転90度と健側の1/2以下に制限されていたのであり、同可動域が、その後に改善した事実は認められない。被告らは、理学療法士が測定した可動域検査の結果をもって、原告甲野の左肩関節の可動域制限は、順調に回復していると主張するが、戊田医師の意見書にあるとおり、理学療法士による可動域検査の結果は、リハビリ後に角度計を用いることなく測定されている可能性が高く、同結果をもって直ちに可動域が改善しているとはいえないし、また、前記認定の理学療法士による可動域検査の結果によっても、原告甲野の可動域が各手術直後よりも改善していることは認められるものの、それを越えて、原告甲野の左肩の症状が順調に改善していると評価する根拠は不明というほかはない。

 そして、丁山医師の意見書において現在の原告甲野の左肩の可動域制限が加齢による肩関節周囲炎であるとする主たる根拠は、順調に回復していた可動域制限が3年経過後に増悪していることはあり得ないということであるところ、上記のとおり、そもそも順調な回復と評価する根拠が不明であるばかりか、前記認定のとおり、原告甲野の左肩関節の可動域制限は、確かに平成23年10月26日時点よりも平成26年9月9日時点の方が悪化しているか、その差はわずかであり、これが医学的にあり得ないとする根拠は何ら示されていない。かえって、戊田医師の意見書によれば、治療後に可動域制限が残存した場合にその後、拘縮によって可動域がさらに制限されることは医学的に常識であるとされているというのであって、これに対し、被告らがなんら具体的な反論をしていないことも併せ考慮すれば、上記経過を根拠とする被告らの主張は、根拠薄弱と評価せざるを得ない。

 また、丁山医師の意見書を見ても、原告甲野の現在の可動域制限が加齢による肩関節周囲炎であるとする積極的な根拠は、「医学的にあり得る」とするもののほかにない(なお、丁山医師の意見書においては、平成26年9月9日のX線所見も根拠にあげているが、どのような所見が認められ、それがなぜ肩関節周囲炎を裏付けるかについて何ら記載がない。)。

 以上からすると、上記被告らの主張は、いずれも根拠薄弱であって、これを考慮したとしても前記認定を覆すには至らないというべきである。

ウ また、被告らは、原告甲野の2回目の退院における日常生活動作がすべて自立とされていることをもって、同時点において症状固定したと主張するが、そもそも日常生活動作が自立していることをもって左鎖骨遠位端骨折が症状固定したと判断する理由が不明であるし、上記(1)で認定したとおり、原告甲野は、自らの意思で治療を中断したものであり、それまでの期間においてはD病院の医師の判断により治療が継続されていたことは明らかであることからすると、上記被告らの主張は、採用することができない。