交通事故と耳小骨離断の因果関係を否認した判例紹介
○被告Bが運転する路線バスの発進時の急ブレーキによる本件事故により、左耳小骨離断等の傷害を負い、左難聴及び回転性めまい等の後遺障害が生じたと主張する原告が、被告B及び被告Bの使用者である被告Aに対し、損害賠償金2552万9000円の連帯支払を求めた平成30年3月30日福岡地裁判決(裁判所ウェブサイト)を紹介します。
○耳小骨離断とは,耳小骨(ツチ骨,キヌタ骨,アブミ骨。これらはそれぞれ関節でつながっている。)の連鎖(関節)に離断が生じたものをいい,側頭骨骨折や頭部外傷等によって生じるものです。ツチ骨,キヌタ骨,アブミ骨は、それぞれ繋がって音を伝えるものですから、離断すなわち連続性を失えば、直ぐに耳が聞こえなくなるはずです。
○ところが、本件事故の翌日である平成26年1月31日,Hクリニックにおいて,原告の会話や聴力に異常はなく,難聴をうかがわせる行動もなかったとの事実認定で、本件事故と耳小骨離断との間に因果関係があると認めることはできないとされました。交通事故による種々の部位の傷害について損害賠償請求訴訟を扱っていますが、耳小骨離断の事案は扱ったことがなく、珍しい事案として紹介します。
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主 文
1 被告らは,原告に対し,連帯して,709万0039円及びこれに対する平成27年11月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,これを10分し,その3を被告らの負担とし,その余を原告の負担とする。
4 この判決は,1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
被告らは,原告に対し,連帯して,2552万9000円及びこれに対する平成27年11月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 前提事実(争いのない事実並びに後掲の証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認められる事実。以下,特に明記しない限り,書証の掲記は枝番号を含む。)
(1) 被告Aは,鉄道及び自動車による運送事業を営むことを目的とする会社である。(弁論の全趣旨)
(2) 次の交通事故が発生した(以下「本件事故」という。)。(甲1,2,弁論の全趣旨)
日 時 平成26年1月30日午後4時40分頃
場 所 福岡市a区bc丁目d番e号先路上
被告車両 事業用大型乗用自動車(路線バス)
態 様 被告Bが,路線バスの運転手として,被告車両を運転していたところ,発進時に急ブレーキをかけ,その反動により,原告の身体が揺さぶられた(原告の受傷態様については後記のとおり争いがある。)。
(3) 被告Aは,本件事故当時,その事業のため,被告車両を運行の用に供していた。(争いがない)
(4) 被告Aは,本件事故当時,被告Bの使用者であった。(弁論の全趣旨)
(5) 現在,原告の左耳に,耳小骨離断による難聴の症状が存在する。(争いがない。もっとも,耳小骨離断が生じた時期については争いがある。)
2 事案の骨子
本件は,原告が,本件事故により,左耳小骨離断等の傷害を負い,左難聴及び回転性めまい等の後遺障害が生じたと主張して,被告Bに対して民法709条に基づき,被告Aに対して自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)3条又は民法715条1項に基づき,損害賠償金2552万9000円及びこれに対する平成27年11月12日(自賠責保険金の支払日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めた事案である。
3 争点
(1) 本件事故時の原告の受傷態様
(2) 本件事故と左耳小骨離断との因果関係の有無
(3) 本件事故による回転性めまいの残存の有無
(4) 原告の後遺障害の内容
(5) 原告に生じた損害の額
4 争点に関する当事者の主張
(中略)
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
前提事実,証拠(以下掲記のもの)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。
(1) 原告は,平成26年1月9日まで,株式会社Eにおいてテレフォンオペレーターとしての業務に従事していた。その際,原告の左耳の聴力について特段の支障はなかった。(甲25,原告1~2頁)
(2) 原告は,本件事故(平成26年1月30日)当時,被告車両の前から4列目の,進行方向に向かって左側の座席に座っていた。(甲18,原告10,11頁)
(3) 被告Bが,被告車両の発進時に急ブレーキをかけたところ,エンストが起き,その反動で原告の身体が揺さぶられ,原告はその左頭部を被告車両の窓ガラス付近にぶつけるなどした。(原告3頁)
(4) 原告は,上記(3)によりけがをした旨を被告Bに申告し,Fバス停で降車し,G病院を受診した。
その際,原告は,頭痛,頚部痛,左肩痛を訴えたが,レントゲン及びCTにおいて明らかな頚椎骨折や頭部出血の所見は認められなかった。(乙2[4,5頁]))
(5) 原告は,本件事故の翌日(平成26年1月31日),Hクリニックを受診した。
その際,原告は,めまいがするなどと述べた。会話聴取状況は良好であり,会話や聴力に異常はなかった。また,難聴をうかがわせる行動(一方の耳を前に出す,大声で話す等)もなかった。神経学的な異常もなかった(乙3[3頁,17頁])
(6) 原告は,平成26年4月1日,Iクリニックを受診した。
その際,原告は,本件事故から2週間ほどして回転性めまい及び耳鳴りを自覚するようになった旨,この頃から左耳閉感に気付いた旨,家族との会話が聞き取りにくい旨を述べた。(甲7の1・2)
(7) 原告の回転性めまいの原因は,本件事故による外リンパ瘻であった。(証人I9,10頁,弁論の全趣旨[被告の平成28年12月6日付け準備書面(2)の8頁])
(8) 原告は,平成26年4月14日にD病院を受診した。
その際,原告は,「2月13日にめまいがひどくなった。2月下旬にめまいはある程度落ち着いたが,家族に聞こえが悪いのではないかと指摘された。言われたら確かに聞こえが悪かった。」などと説明した。
医師は,左伝音難聴,右軽度感音難聴と右鼓膜穿孔と診断した。右耳には内出血が認められた。(乙8[8,9頁])
(9) 平成26年6月21日,頚椎捻挫,左肩・頭部打撲傷については症状固定に至った。(甲11)
(10) 原告は,平成26年9月25日からD病院に入院した。
原告は,同月26日,左内耳窓閉鎖術,左鼓室形成手術(以下「本件手術」という。)を受けた。
原告は,本件手術後,朝起きた時などにめまいがあったが,数日で改善した。経過は良好であり,同年10月11日に退院し,同年12月22日までは,めまいがない状態が継続していた。(乙8[154頁,64頁,70頁])
もっとも,その後,回転性めまいは再度生じ,本件手術後半年が経過しても完全には消失せず,聴力も上がらなかった。(甲12)
(11) 平成27年4月20日,左内耳窓破裂症,左耳小骨離断について症状固定に至った。(甲12)
2 争点(1)(本件事故時の原告の受傷態様)について
(1) 被告らは,原告が本件事故の際に頭部を窓ガラスや壁に打ち付けたことはないと主張する。
(2) しかし,証拠(乙1)によれば,立っていた乗客の中には身体が大きく左前方に振られた者もいたことが認められること,原告は,本件事故後,被告B,被告Aの他の従業員,各医療機関に対して,頭部を窓ガラスにぶつけた旨一貫して述べていることに照らし,原告が,少なくともその左頭部を窓ガラスにぶつけたことが認められる。
(3) もっとも,明らかな頚椎骨折や頭部出血の所見はないので(認定事実(4)),強打したとまでは認め難い。
3 争点(2)(本件事故と左耳小骨離断との因果関係の有無)について
(1) 耳小骨離断とは,耳小骨(ツチ骨,キヌタ骨,アブミ骨。これらはそれぞれ関節でつながっている。)の連鎖(関節)に離断が生じたものをいい,側頭骨骨折や頭部外傷等によって生じる。
(2) 事故を含む何らかの外傷によって耳小骨離断を生じた場合,関節構造が破綻するため,気導聴力は即座に低下する。そのため,その直後に難聴を自覚するのが通常である(乙16[2頁,3頁]。証人Iの書面尋問の結果8頁)。
(3) しかし,上記認定のとおり,本件事故の翌日である平成26年1月31日,Hクリニックにおいて,原告の会話や聴力に異常はなく,難聴をうかがわせる行動もなかった(認定事実(5))。
(4) ところで,どの程度の外力で耳小骨離断が生じるかについて,原告は,軽度の外傷によっても耳小骨離断は生じ得ると主張する。
なるほど,軽度の外傷により耳小骨離断が生じる可能性については,事柄の性質上,これを完全に否定するのは困難である。しかし,蓋然性の問題としてみた場合,本件全証拠(甲27を含む。)によっても,軽度の外傷によって耳小骨離断がしばしば発生するとか,耳小骨離断が発生することが珍しくないなどといった医学的知見を認めるに足りない。
(5) 上記(2)~(4)に加えて,上記2において説示したとおり,原告が本件事故の際に左頭部を窓ガラスにぶつけたことは認められるものの,強打したとまでは認定し難いことを併せ考慮すると,原告の耳小骨離断による難聴の原因が本件事故であると認めることはできない。
(6) これに対し,原告は,Iクリニックの医師に「本件事故から2週間ほどした頃から左耳閉感に気付いた」旨述べている(認定事実(6))。
しかし,耳閉感(耳閉塞感)とは,耳が詰まった感じがする症状のことをいい(甲24),耳小骨離断による難聴と直ちに結びつくものではない。
したがって,原告の上記供述をもって,本件事故と耳小骨離断との因果関係を直ちに認めることはできない。
(7) 以上のとおりで,本件事故と耳小骨離断との間に因果関係があると認めることはできない。
4 争点(3)(本件事故による回転性めまいの残存の有無)について
(1) 上記認定のとおり,原告の回転性めまいの原因は外リンパ瘻である(認定事実(7))。
(2) 外リンパ瘻とは,前庭窓(卵円窓),蝸牛窓(正円窓)の一つ又は両者が破れて瘻孔を生じ外リンパが漏出し,感音難聴,耳鳴,めまい,平衡失調,耳閉塞感などのいくつかを伴う状態をいう(乙14)。治療には保存的治療と手術治療がある。保存的治療は,入院安静にて自然閉鎖を期待するものであるが,これで効果がない場合は,外リンパ瘻閉鎖術を行う。リンパ液の漏れが停止すれば,めまいは急速に消失する(乙15)。
(3) 本件手術の後,約3か月間は,原告のめまいは軽快したが,その後再び生じ,完全に消失するには至らなかった(認定事実(10))。そして,このめまいについて,外リンパ瘻以外の原因(例えばストレス等)によるものであることを認めるに足りる証拠はない。
(4) 以上によれば,現在も回転性めまいが残存していることが認められる。
5 争点(4)(原告の後遺障害の内容)について
(1) 上記3において説示のとおり,本件事故と耳小骨離断との間に因果関係があると認めることはできないので,左難聴については本件事故による後遺障害と認めることはできない。
(2) 上記4において説示のとおり,現在も回転性めまいが残存していることが認められる。そして,この回転性めまいについては,本件事故による受傷当初から症状が認められており,また眼振その他平衡機能検査の結果に異常所見が認められることから,「局部に頑固な神経症状を残すもの」として第12級13号に該当すると認められる。
(3) 上記(2)に加え,本件事故による後遺障害として,頸椎捻挫後の症状についての第14級9号,左肩~上肢痛についての第14級9号が認められるの12で,併合第12級と評価するのが相当である。
6 争点(5)(原告に生じた損害の額)について
(1) 各損害項目について
ア 治療関係費,文書料 111万9642円
証拠(甲3,4,6~10)により認める。
イ 症状固定後の治療費 0円
症状固定後の治療費を損害として認めるべき特段の事情があるとはいい難い。
ウ 入院雑費 2万5500円
弁論の全趣旨により認める。
エ 通院交通費 9万1120円
証拠(甲16)及び弁論の全趣旨によれば,症状固定前の通院交通費としては上記金額であると認められる。
オ 休業損害 170万1735円
平成26年賃金センサス(女性・学歴計・全年齢)の364万1200円を基礎とし,入院期間(17日)の休業割合を100%,通院期間(429日間)のうち実通院日数83日の平均休業割合を60%,その余の346日の平均休業割合を30%として算定(円未満切捨て。以下同じ)すると,上記金額となる。
(算式)3,641,200/365=9,975
9,975×17=169,575
9,975×83×0.6=496,755
9,975×346×0.3=1,035,405
169,575+496,755+1,035,405=1,701,735
カ 傷害慰謝料 160万円
入院日数及び通院日数を考慮すると,上記金額をもって相当と認める。
キ 後遺障害診断料 0円
上記アにおいて考慮済みである。
ク 逸失利益 393万6275円
(ア) 基礎収入について
平成26年賃金センサス(女性・学歴計・全年齢)の364万1200円をもって基礎収入とするのが相当である。
(イ) 労働能力喪失率について
上記5(3)において説示したとおり,原告の後遺障害は併合第12級に該当するというべきであり,労働能力喪失率は14%とするのが相当である。
(ウ) 労働能力喪失期間について
後遺障害の程度に照らし,労働能力喪失期間は10年間(対応するライプニッツ係数は7.7217)とするのが相当である。
(エ) 上記(ア)~(ウ)によれば,上記金額となる。
(算式)3,641,200×0.14×7.7217=3,936,275
ケ 後遺障害慰謝料 290万円
後遺障害の程度に照らし,上記金額をもって相当と認める。
コ 任意保険金及び自賠責保険金の充当
上記ア~ケを合計すると1137万4272円となり,任意保険金121万9790円を控除すると1015万4482円となる。
そして,自賠責保険金461万円が平成27年11月11日に支払われているところ,本件事故日から同日まで(651日間)の確定遅延損害金は90万5557円であるから,上記自賠責保険金を控除した残額は645万0039円となる。
(算式)10,154,482×0.05×651/365=905,557
10,154,482+905,557-4,610,000=6,450,039
サ 弁護士費用 64万円
本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては,上記金額をもって相当と認める。
シ 上記合計 709万0039円
7 小括
以上のとおりで,原告の請求は,損害賠償金709万0039円及びこれに対する平成27年11月12日(自賠責保険金の支払日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める限度で理由がある。
第4 結論
よって,主文のとおり判決する。
仮執行免脱宣言は相当でないのでこれを付さない。
福岡地方裁判所第2民事部 (裁判官 三井教匡)