認知症事故訴訟-JR東海の敗訴確定・最高裁判決紹介1
○線路に立ち入り列車と衝突して鉄道会社に損害を与えた認知症の者の妻と長男の民法714条1項に基づく損害賠償責任が否定された平成28年3月1日最高裁判決(裁判所ウェブサイト)を2回に分けて紹介します。
事案概要は、以下の時事通信社ニュース記載の通りです。
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◎家族の賠償責任否定=認知症事故訴訟-JR東海の敗訴確定・最高裁
[時事通信社]
認知症の男性が徘徊(はいかい)中に列車にはねられ死亡した事故をめぐり、JR東海が家族に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は1日、男性の妻(93)と長男(65)の賠償責任を認めず、JR東海の請求を棄却する判決を言い渡した。家族側の勝訴が確定した。
社会の高齢化が進む中、判決は認知症の人に対する介護の在り方に影響を与えそうだ。
訴訟では、妻と長男は監督責任を負うのか▽監督責任者に当たる場合、賠償責任は免責されるか-が争点だった。
第3小法廷は監督責任者について「同居する配偶者だからといって、直ちに当たるわけではない」と初判断。「認知症の人との関係性や、介護の実態などを総合的に考慮して判断すべきだ」との基準も初めて示した。
その上で裁判官5人のうち3人は多数意見で、事故当時妻は85歳で要介護1の認定を受けており、長男も20年以上別居していた点を指摘。「男性の監督が可能な状況ではなかった」として、監督責任を負わないと結論付けた。
残る2人の裁判官は、長男は監督責任者に当たるが、介護の状況から免責されるとする少数意見を述べ、5人全員が賠償責任を認めなかった。
事故は2007年12月、愛知県大府市のJR東海共和駅構内の線路上で起きた。認知症で要介護4の認定を受けた市内の男性=当時(91)=が死亡し、同社は家族に振り替え輸送費用など約720万円の賠償を求め提訴。一審名古屋地裁は妻と長男に全額の賠償を命じ、二審名古屋高裁は妻だけに約360万円の賠償を命じた。JRと家族側の双方が上告した。
JR東海の話 個々に気の毒な事情があることは承知しているが、当社としては振り替え輸送費用などが発生したから裁判所の判断を求めた。判決は真摯(しんし)に受け止める。(了)
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主 文
1 平成26年(受)第1434号上告人の上告を棄却する。
2 原判決中,平成26年(受)第1435号上告人敗訴部分を破棄し,同部分につき第1審判決を取り消す。
3 前項の部分に関する平成26年(受)第1435号被上告人の請求を棄却する。
4 第1項に関する上告費用は,平成26年(受)第1434号上告人の負担とし,前2項に関する訴訟の総費用は,平成26年(受)第1435号被上告人の負担とする。
理 由
平成26年(受)第1434号上告代理人三村量一ほかの上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)及び同第1435号上告代理人浅岡輝彦ほかの上告受理申立て理由について
1 本件は,認知症にり患したA(当時91歳)が旅客鉄道事業を営む会社である平成26年(受)第1434号上告人・同第1435号被上告人(以下「第1審原告」という。)の駅構内の線路に立ち入り第1審原告の運行する列車に衝突して死亡した事故(以下「本件事故」という。)に関し,第1審原告が,Aの妻である平成26年(受)第1435号上告人(以下「第1審被告Y1」という。当時85歳)及びAの長男である平成26年(受)第1434号被上告人(以下「第1審被告Y2」という。)に対し,本件事故により列車に遅れが生ずるなどして損害を被ったと主張して,民法709条又は714条に基づき,損害賠償金719万7740円及び遅延損害金の連帯支払を求める事案である。第1審被告らがそれぞれ同条所定の法定の監督義務者又はこれに準ずべき者に当たるか否か等が争われている。
2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1) A(大正5年生まれ)と第1審被告Y1(大正11年生まれ)は,昭和20年に婚姻し,以後同居していた。両者の間には4人の子がいるが,このうち,長男である第1審被告Y2及びその妻であるBは,昭和57年にAの自宅(以下「A宅」という。)から横浜市に転居し,他の子らもいずれも独立している。Aは,平成10年頃まで不動産仲介業を営んでいた。
(2) A宅は,愛知県a市にあるJRa駅前に位置し,自宅部分と事務所部分から成り,自宅玄関と事務所出入口を備えていた。
(3) Aは,平成12年12月頃,食事をした後に「食事はまだか。」と言い出したり,昼夜の区別がつかなくなったりした。そこで,第1審被告ら及び第1審被告Y2の妹であるCは,Aが認知症にり患したと考えるようになった。
Aは,平成14年になると,晩酌をしたことを忘れて何度も飲酒したり,寝る前に戸締まりをしたのに夜中に何度も戸締まりを確認したりするようになった。
第1審被告ら,B及びCは,平成14年3月頃,A宅で顔を合わせた際など折に触れて,今後のAの介護をどうするかを話し合い,第1審被告Y1は既に80歳であって1人でAの介護をすることが困難になっているとの共通認識に基づき,介護の実務に精通しているCの意見を踏まえ,Bが単身で横浜市からA宅の近隣に転居し,第1審被告Y1によるAの介護を補助することを決めた。その後,Bは,A宅に毎日通ってAの介護をするようになり,A宅に宿泊することもあった。第1審被告Y2は,横浜市に居住して東京都内で勤務していたが,上記の話合いの後には1箇月に1,2回程度a市で過ごすようになり,本件事故の直前の時期には1箇月に3回程度週末にA宅を訪ねるとともに,BからAの状況について頻繁に報告を受けていた。
その後,Aについて介護保険制度を利用すべきであるとのCの意見を受けて,Bらは,かかりつけのD医師に意見書を作成してもらい,平成14年7月,Aの要介護認定の申請をした。Aは,同年8月,要介護状態区分のうち要介護1の認定を受け,同年11月,同区分が要介護2に変更された(要介護状態区分は5段階になっており,要介護5が最も重度のものである(介護保険法7条1項,要介護認定等に係る介護認定審査会による審査及び判定の基準等に関する省令1条1項)。)。
(4) Aは,平成14年8月頃の入院を機に認知症の悪化をうかがわせる症状を示すようになった。Aは,同年10月,国立療養所中部病院(以下「中部病院」という。)のE医師の診察を受け,その後,おおむね月1回程度中部病院に通院するようになった。E医師は,平成15年3月,Aが平成14年10月にはアルツハイマー型認知症にり患していたと診断した。また,Aは,同月頃以降,a市内の福祉施設「b」(以下「本件福祉施設」という。)に通うようになり,当初は週1回の頻度であったが,本件事故当時は週6回となっていた。Aが本件福祉施設に行かない日には,Bが朝からAの就寝までA宅においてAの介護等を行っていた。Aの就寝後は,第1審被告Y1がAの様子を見守るようにしていた。
Aは,平成15年頃には,第1審被告Y1を自分の母親であると認識したり,自分の子の顔も分からなくなったりするなど人物の見当識障害もみられるようになった。Bは,Aに外出しないように説得しても聞き入れられないため,説得するのをやめて,Aの外出に付き添うようになった。
E医師は,平成16年2月,Aの認知症については,場所及び人物に関する見当識障害や記憶障害が認められ,おおむね中等度から重度に進んでいる旨診断した。中部病院は,患者の診療について,一定期間の通院後は開業医に引き継ぐ方針を採っていたため,Aは,同月頃以降,再びD医師の診療を受けるようになった。
(5) Aは,平成17年8月3日早朝,1人で外出して行方不明になり,午前5時頃,A宅から徒歩20分程度の距離にあるコンビニエンス・ストアの店長からの連絡で発見された。
(6) 第1審被告Y1は,平成18年1月頃までに,左右下肢に麻ひ拘縮があり,起き上がり・歩行・立ち上がりはつかまれば可能であるなどの調査結果に基づき,要介護1の認定を受けた。
(7) Aは,平成18年12月26日深夜,1人で外出してタクシーに乗車し,認知症に気付いた運転手によりコンビニエンス・ストアで降ろされ,その店長の通報により警察に保護されて,午前3時頃に帰宅した。
(8) Bは,上記(5)及び(7)の出来事の後,家族が気付かないうちにAが外出した場合に備えて,警察にあらかじめ連絡先等を伝えておくとともに,Aの氏名やBの携帯電話の電話番号等を記載した布をAの上着等に縫い付けた。
また,第1審被告Y2は,上記(5)及び(7)の出来事の後,自宅玄関付近にセンサー付きチャイムを設置し,Aがその付近を通ると第1審被告Y1の枕元でチャイムが鳴ることで,第1審被告Y1が就寝中でもAが自宅玄関に近づいたことを把握することができるようにした。第1審被告ら及びBは,Aが外出できないように門扉に施錠するなどしたこともあったが,Aがいらだって門扉を激しく揺するなどして危険であったため,施錠は中止した。他方,事務所出入口については,夜間は施錠されシャッターが下ろされていたが,日中は開放されており,以前から事務所出入口にセンサー付きチャイムが取り付けられていたものの,上記(5)及び(7)の出来事の後も,本件事故当日までその電源は切られたままであった。
(9) Aは,トイレの場所を把握できずに所構わず排尿してしまうことがあり,Bらに何も告げずに事務所出入口から外に出て公道を経て自宅玄関前の駐車スペースに入って同所の排水溝に排尿することもしばしばあった。
(10) Aは,平成19年2月,日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さが頻繁にみられ,常に介護を必要とする状態で,場所の理解もできないなどの調査結果に基づき,要介護4の認定を受けた。そこで,第1審被告ら,B及びCは,同月,A宅で顔を合わせた際など折に触れて,今後のAの介護をどうするかを話し合い,Aを特別養護老人ホームに入所させることも検討したが,Cが「特別養護老人ホームに入所させるとAの混乱は更に悪化する。Aは家族の見守りがあれば自宅で過ごす能力を十分に保持している。特別養護老人ホームは入居希望者が非常に多いため入居までに少なくとも2,3年はかかる。」旨の意見を述べたこともあって,Aを引き続きA宅で介護することに決めた。
(11) Aは,認知症の進行に伴って金銭に興味を示さなくなり,本件事故当時,財布や金銭を身に付けていなかった。本件事故当時,Aの生活に必要な日常の買物は専ら第1審被告Y1とBが行い,また,預金管理等のAの財産管理全般は専ら第1審被告Y1が行っていた。
本件事故当時,Bは,午前7時頃にA宅に行き,Aを起こして着替えと食事をさせた後,本件福祉施設に通わせ,Aが本件福祉施設からA宅に戻った後に20分程度Aの話を聞いた後,Aが居眠りを始めると,Aのいる部屋から離れて台所で家事をすることを日課としていた。Aは,居眠りをした後は,Bの声かけによって3日に1回くらい散歩し,その後,夕食をとり入浴をして就寝するという生活を送っており,Bは,Aが眠ったことを確認してから帰るようにしていた。
(12) Aは,本件事故日である平成19年12月7日の午後4時30分頃,本件福祉施設の送迎車で帰宅し,その後,事務所部分の椅子に腰掛け,B及び第1審被告Y1と一緒に過ごしていた。その後,Bが自宅玄関先でAが排尿した段ボール箱を片付けていたため,Aと第1審被告Y1が事務所部分に2人きりになっていたところ,Bが事務所部分に戻った午後5時頃までの間に,第1審被告Y1がまどろんで目を閉じている隙に,Aは,事務所部分から1人で外出した。Aは,a駅から列車に乗り,a駅の北隣の駅であるJRc駅で降り,排尿のためホーム先端のフェンス扉を開けてホーム下に下りた。そして,同日午後5時47分頃,c駅構内において本件事故が発生した。
Aは,本件事故当時,認知症が進行しており,責任を弁識する能力がなかった。