○「
確率的心証論による昭和45年6月29日東京地裁判決全文紹介2」を続けます。
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(3) では、かかる症状は、本件事故と相当因果関係を有するか。
一旦整形外科としては退院し、別に外科に入院してヘルニア手術を受けて退院して後の発作であるという点からは、この再発後の症状と直近のヘルニア手術との因果関係が問題となる余地がありうるが、《証拠略》によればこの因果関係は明確に否定されるものと認められるし、他に原因とみなすべき具体的事情が積極的に主張立証されていない以上、本件事故との因果関係を問わざるを得ないのであるが、《証拠略》によれば、前記日時における診察により前記各症状が認められるところ、頭蓋・脊椎のX線写真に異常なく、髄液造影によっても、脊髄腔の通過障害や脊髄圧迫などの所見がないので、両下肢の運動障害と四肢その他の知覚障害は少なくとも脊髄圧迫を原因として生じた症状ではないと断じうるのであり、また、脳および脊髄自体に器質的な変化があり、それが受傷時の外力に起因するものであれば、右のような運動障害は受傷直後ないしこれに引続く時期に起るべきものであるから、受傷時から2年余を経過した昭和42年12月24日に前記のような発作を生じた後歩行不能に至ったという事実からは、受傷時の外力との当然の因果関係を肯定するのは疑問ありとしないわけにゆかない。
(4) 然しながら、《証拠略》によれば、昭和42年12月14日の退院後、同月18日に至るまでの間に、下肢脱力感、シビレ感、それに、歩行困難が徐々に増強してきたが、同月18日、歩行極めて困難になり、他人の介助を受けて加茂川病院に来院したこと、同院では、両下肢脱力感、右膝関節痛等、主として下肢の症状悪化を認め、畳の生活が下肢に及ぼす影響により下肢症状の増悪を来たすものと診断して、自宅安静を指示し、苦しければ往診をする、と告げたこと、同月21日、加茂川病院へ通院した際も、左腰下肢の神経痛様疼痛とシビレ感のほか、右下肢に同様の訴えがあって、病院の診察では、膝蓋腱反射の亢進はあったが、□搦は認めなかったこと等の事実が認められるのであって、一応外科を退院していたとはいえ、もとより完全には治癒しておらず、再発の時点である12月24日に先立つ一週間において右のような症状の増悪があったという事情と《証拠略》とを合せ考えると、事故との因果関係を端的に否的することも一妥当を缺くと考える。《証拠略》によるも、同種の患者に比し原告の症状が著るしいことが認められるので、特異体質的要因の存在も想定されるのではあるが、症状の発現自体を特異体質のみに基因するものと断ずべき証拠はない。
(5) 右のように、肯定の証拠と否定の証拠とが並び存するのであるが、当裁判所は、これらを総合した上で相当因果関係の存在を70パーセント肯定する。このような場合、相当因果関係があるのかないのか、そのいずれか一つで答えねばならぬものとすれば、70パーセントの肯定の心証を以て十分とし以下損害の算定に入るか70パーセントでは因果関係を肯定する心証としては不足するとして再発後以後の損害賠償請求を全然排斥するか、二途のいずれかを選ばねばならぬこととなる。
しかし、当裁判所は、損害賠償請求の特殊性に鑑み、この場合第三の方途として再発以後の損害額に70パーセントを乗じて事故と相当因果関係ある損害の認容額とすることも許されるものと考える。けだし、不可分の一個請求権を訴訟物とする場合いと異なり、可分的な損害賠償請求を訴訟物とする本件のような事案においては、必ずしも100パーセントの背定か全然の否定かいずれかでなければ結論が許されないものではない。否、証拠上認容しうる範囲が70パーセントである場合、これを100パーセントと擬制することが不当に被害者を有利にする反面、全然棄却することも不当に加害者を利得せしめるものであり、むしろ、この場合、損害額の70パーセントを認容することこそ証拠上肯定しうる相当因果関係の判断に即応し不法行為損害賠償の理念である損害の公平な分担の精神に協い、事宜に適し、結論的に正義を実現しうる所以であると考える。
(6) 従って、再発以後の後遺症に基づく損害については、その7割を賠償額と見ることとする。
五、次に、被告は、原告が受傷後における治療過程初期において適切な診療を受けなかったとし、これに損害拡大の過失があると主張するのであるが、《証拠略》によれば、そのような過失を肯認することはできず、この被告主張は採用できない。
六、被告は、更に、原告の現症に体質的・心因的なものが加味されており、通常損害の範囲を越える旨主張する。しかし、いわゆる通常損害・特別損害の区別が不法行為の損害賠償請求における損害の算定に関し当然に妥当するか否か疑いあるのみならず、いわゆる体質的な素因については既に先に相当因果関係の有無に関して判断する際顧慮したところであるし、いわゆる心因的症状の問題は、後遺症存続期間の判断に関し、次節で参酌するので、その上更にここでこれらに論及する必要はないであろう。
八、そこで、いよいよ損害額の算定に入ることとし、
(1) まず、入院治療費の総額を見るに、《証拠略》を総合すると、事故の当日である昭和40年11月27日から昭和44年8月31日まで間に、原告が転々治療を受けた要町病院、山川医院、大阪赤十字病院、東京大学附属病院、順天堂大学附属病院、日本赤十字中央病院、慶応大学附属病院、伊豆韮山温泉病院、加茂川病院、および鑑定のため入院した京都大学附属病院における治療費の総計は、278万0078円に達することが認められる。
しかし、右のうち、甲第53号証の2万9430円は、先に判示した鼠蹊部ヘルニアの治療に関するもので、本件とは関係ないことが認められるから、これを控除した額275万0648円が所要の入院治療費額であったと認められるところ、再発時である昭和42年12月24日以降の分は−−甲第43号証の検討により、同号証の78万3236円中、再発時以後の分は3万3449円と判明するので−−計33万5645円となるが、前判示のとおり、この分については7割にあたる23万4951円を認容すべきであるので、結局264万9954円が賠償すべき入院治療費額となる。
(2) 次に、付添看護料については、《証拠略》によれば、付添看護の必要性を医学上肯定しうるのは、加茂川病院の手術当時昭和42年3月17日から同年4月28日までと、歩行不能の症状を生じた同年12月25日以後との両期間であるが、後に判示する付添看護料の請求期間は、いずれも右期間中であるから、その必要性を肯定することができる。そうすると、《証拠略》により、家政婦による付添看護料の総額は32万6650円であると認められるが、前判示のとおり、昭和42年12月26日以後の分については7割にあたる19万5545円を肯認することとすると、計24万2845円となる。また、昭和43年6月15日までは家政婦による付添が継続的になされていたが、その後の期間は原告の母である訴外松村祇の付添と家政婦による付添とが入り混っていること、昭和44年5月16日以降は母祇自身が入院してしまったため付添なしの状態になったことが重盛証人の供述によって認められ、家政婦付添期間を示す《証拠略》を検討することによって、母祇の付添がなされた期間は合計260日に及ぶことが認められる。
そして、この期間については、家政婦賃金との比較、原告本人の供述時の容態に徴し明らかな付添看護の量と質との考慮から1日1200円以上が相当であると考えられるから、その総額は31万2000円に及ぶべきところ、前示のとおり、7割を認容すべきものであるので、結局21万8400円となる。従って、前記家政婦分と合せ、46万1245円が賠償さるべき付添費用額となる。
(3) 原告本人の供述に徴して支出の必要性を推認しうる交通費および雑費としては、《証拠略》により認められる額は計13万8814円に及ぶが、前一記同様、昭和42年12月24日以降の分を7割と見ると、13万8319円となる。原告の求める10万円はこれを下廻っているから、全部肯認しうる。
(4) よって、治療関係の各種費用中認容しうるのは、総計321万1199円となる。