労災保険給付被害者の政府に優先する自賠責保険金全額請求認容地裁判例紹介
○被害者が、事故を原因とする労災保険給付を受けている場合でも、加害者に対し賠償請求できる全額がてん補されていない限り、被害者は、政府に優先して自賠責保険の保険会社に損害賠償額の支払を求めることができるとした平成28年8月29日東京地裁判決(自保ジャーナル1992号49頁、交通事故民事裁判例集49巻4号1035頁)を紹介します。
○この判決は、控訴審平成28年12月22日東京高裁判決、上告審平成30年9月27日最高裁判決と続きますので、順次紹介します。
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主 文
1 被告は、原告に対し、276万7821円及びこれに対する本判決確定の日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを5分し、その2を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は、原告に対し、581万円及びこれに対する平成27年2月20日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は、原告が、cが運転する自動車との交通事故により負傷し、cが加入する自賠責保険会社である被告に対し、自動車損害賠償法(自賠法)16条1項に基づき、損害賠償額の支払と遅延損害金(起算日は訴状送達の日の翌日である。)の支払を求める(被害者請求)事案である。
(中略)
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)について
(1)証拠(各項記載のもの)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア 救急搬送等(乙1の2の4頁)
本件事故により原告トラックは大破し、原告は、ハンドルにはさまれたが自力で脱出した。
原告は、救急搬送時、主に左肩痛を訴え、後頸部痛あり、歩行可能、呼吸苦なしと観察された。
イ 足柄上病院での診察等(乙1の2から4)
原告は、平成25年9月9日午前0時54分ころ、足柄上病院に救急搬送された。
原告は、意識消失なし、頭部打撲なし、脳神経症状亢進(up)と診察され、左肩及び右下肢等の疼痛の訴えにつき、レントゲン撮影による精査を受けたが、明らかな骨傷は認められず、同日午前2時ころ退院した。この間、看護師は、原告の両上肢が挙上可であることを観察した。
診察担当医師は、左肩関節挫傷、右踵骨痛、右膝関節挫傷、骨盤部挫傷、頸椎捻挫により全治2週間と診断した。
ウ 秦野赤十字病院での診察等(乙2の2、3)
(ア)原告は、平成25年9月9日、秦野赤十字病院を受診し、左肩痛、右膝痛、骨盤(左)疼痛を訴えて、左肩腱板断裂、右膝打撲、骨盤打撲の診断を受け、同月25日に頸椎捻挫の傷病名が追加され、平成26年10月31日まで、リハビリを中心とする加療のために通院した。
(イ)初診時から平成26年3月まではd医師(d医師)が原告を診察した。
診察時の肩関節可動域の測定結果等は以下のとおりである。
平成25年9月9日 左肩関節 屈曲80度、外転80度
右肩関節 可動域全域
同年10月9日 左肩関節 屈曲90度、外転90度
同年11月18日 左肩関節 屈曲130度、外転130度
同年12月16日 左肩関節 屈曲100度、外転100度
平成26年1月20日 左肩関節 屈曲130度、外転130度
原告は、同月23日、秦野赤十字病院総合相談室で、平成25年9月中旬ころから、右上腕部の痛みを感じて医師へ伝えたものの、そのうち治まりますよと言われて経過観察となったが、約5か月経っても症状の改善はなく、右腕の挙上と回転をすることができないと不安を訴えた(乙2の2の7頁)。
同年2月24日の診察時、d医師は左肩関節及び右肩関節の可動域を測定した(診療録に記録されている測定結果は判読できない)。
同年3月24日の診察時の肩関節可動域の測定結果は、左肩関節が屈曲150度、外転100度、右肩関節が屈曲150度、外転90度である。
(ウ)平成26年4月28日及び同年5月26日はe医師が診察した。同医師は、左肩MRIの結果、著明な断裂はなく、交通事故との関連はなさそうである等と判断し、原告に対し、リハビリは自宅中心に行うこととして病院でのリハビリを中止し、症状固定としてよいかもしれないと話し、検討を促した。
(エ)平成26年6月17日以降はf医師(f医師)が診察した。
同日、原告は、f医師に対し、左肩、右肩の挙上ができないことを訴え、肩関節の可動域は、左肩関節が屈曲80度、外転70度、右肩関節が屈曲80度、外転70度であると測定された。
その後の診察で、原告は両肩の外転の制限を訴え続け、各診察時、両肩関節の外転可動域は60度から80度の間の数値が測定された。
同年11月7日、f医師は、自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(後遺障害診断書)を作成し、症状固定日は同年10月31日、傷病名は右肩腱板損傷、頸椎捻挫、右膝・骨盤打撲及び頸椎捻挫、自覚症状は両肩可動域制限と疼痛、頸椎可動域制限、頸部痛、右手痺れ及び左でん部の疼痛、肩関節の可動域は、右(他動)が屈曲110度、外転80度、伸展15度、外旋30度、内旋90度、左(他動)が屈曲105度、外転85度、伸展15度、外旋20度、内旋90度であると診断した。
エ 左肩関節の所見
左肩関節について、平成25年9月9日に撮影した左肩単純レントゲンでは、明らかな外傷性変化は認められない。同年10月25日に撮影した左肩MRIでは、肩峰下骨棘による軽度の腱板圧迫が認められ、棘上筋腱内に一部高輝度所見(T2強調像で部分的な信号上昇)が認められる。関節内の液体貯留は正常範囲で、明らかな腱板断裂所見は確認できないが、棘上筋腱が断裂している可能性があり、肩峰下に認められる軽度の骨棘と腱板がインピンジメントを起こしている可能性を否定できない。ただし、骨棘は加齢による変性である(乙2の13、5)。
オ 右肩関節の所見
右肩関節について、平成26年2月24日に撮影した右肩単純レントゲンでは、明らかな外傷性変化は認められない。同年5月2日に撮影した右肩MRIでは、肩峰下骨棘による軽度の腱板圧迫が認められ、腱板内の輝度変化(T2強調像で淡い高信号)はあるが、明らかな断裂所見までは認められない(乙2の13、5)。
カ 頸部の所見
頸部について、平成25年9月25日に撮影した頸椎単純レントゲンでは、明らかな外傷性変化は認められない。平成26年9月5に撮影した頸椎MRIでも明らかな外傷性変化は認められない(乙2の13、5)。
(2)
ア 左肩の機能障害等について
前記(1)アからウのとおり、原告は、本件事故直後から顕著な左肩痛を訴え、左肩関節の可動域制限が認められるところ、同エのとおり、画像所見上、肩峰下骨棘による軽度の腱板圧迫と棘上筋腱内の一部高輝度所見が認められるなど、棘上筋腱に断裂の損傷が生じていることを示す客観的所見がある。
そして、骨棘自体は加齢による変性であるとしても、本件事故の外力は、原告トラックが大破するほどの衝撃であり、原告は重量物運搬の職に従事し、本件事故時までに可動域制限などの腱板の症状が顕著に出現していたことを認めるべき証拠はないことをふまえると、原告が訴える顕著な左肩痛及び左肩関節の可動域制限は、本件事故により生じたと認められる。
そこで、左肩関節の可動域制限の程度をみると、前記(1)ウのとおり、左肩関節の可動域は、リハビリによって平成26年5月まで順調に改善し、医師がリハビリの中止を提案するまでに至っていたにもかかわらず、翌月から外転の測定結果が顕著に悪化しているところ、悪化の医学的原因は明らかでなく、症状の自然的経過であるとは認められない。したがって、後遺障害診断書に記載された可動域測定結果が本件事故によって生じた左肩関節の可動域制限を示すものとは認められない。
以上によれば、本件事故によって生じた左肩関節の可動域制限は、屈曲、外転ともに100度以上に回復したと認められ、左肩関節の障害は、疼痛の評価を含み、肩関節の機能に障害を残すものとして12級6号に該当すると認められる。
イ 右肩の機能障害等について
前記(1)ウ(イ)のとおり、原告は、平成26年1月に、平成25年9月中旬ころから右上腕部の痛みがあること、右腕の挙上と回転ができないことを訴えているが、それまで右肩の症状を訴えておらず、平成25年9月9日には右肩関節の可動域制限はなかったことが認められ、右肩の症状の出現経緯は、外傷性損傷の炎症期が2、3日であることに整合しない。
同オのとおり、右肩関節に外傷性の損傷が生じていることをうかがわせる客観的所見もなく、原告が主張する右肩の機能障害等が本件事故によるものとは認められず、後遺障害には該当しない。
ウ 頸部の症状について
前記(1)アのとおり、原告は、救急搬送先の足柄上病院で脳神経症状の亢進が認められ、頸椎捻挫と診断されており、以降、秦野赤十字病院でも、2回目の診察時に頸椎捻挫と診断され、治療が継続されたことが認められる。診療録上、原告の頸部に関する愁訴の内容が明らかでない期間もあるが、前記(1)カのとおり、頸部について、画像検査による精査が続けられ、原告が頸部に関する愁訴を訴え続けていたことが認められる。
本件事故の態様、診察経緯等の一切の事情をふまえ、原告の頸部の症状は、後遺障害等級14級9号に該当すると認められる。
エ 結論
したがって、原告の後遺障害等級は、併合12級に該当する。
2 争点(2)について
(1)原告の損害
ア 傷害の損害
〔1〕慰謝料
原告の傷害の内容、通院期間(原告の症状の推移、診察経過に照らし、13か月の通院について、本件事故との相当因果関係が認められる。)、通院日数等を考慮すると、傷害の慰謝料は158万円とするのが相当である。
〔2〕休業損害
証拠(甲8の5)によれば、本件事故前の原告の収入は、1日当たり1万6495円であることが認められる。
休業期間について、前記1(2)アのとおり、本件事故による原告の左肩の可動域制限は平成26年5月までに改善していることが認められるが、原告の職業は重量物の運搬を含む4トントラックの乗務員であり、前記の改善した状況でも、診察担当医師は、就業が全く不可能であると診察していて(甲2、6、8の4)、労務に復帰できる状態にまでは回復していなかったと認められる。その約3か月後である平成26年9月17日に、原告は斎藤商運を退職しており(甲8の4)、原告が、平成26年10月末日までの418日間、稼働することができなかったのは、本件事故による受傷が原因であると認められ、原告の休業損害は、以下の計算式により689万4910円である。
(計算式)=日額1万6495円×418日
〔3〕合計 847万4910円
イ 後遺障害による損害
〔1〕慰謝料
原告の後遺障害の程度、内容、その他本件に顕れた一切の事情を考慮すると290万円が相当である。
〔2〕逸失利益
原告の逸失利益は、以下の計算式により、364万9311円である。
(計算式)=1万6495円×365日×0.14(労働能力喪失率)×4.3295(労働能力喪失期間である5年のライプニッツ係数)
〔3〕合計 654万9311円
なお、被告は、左肩の機能障害等の後遺障害に関し、骨棘は加齢による変性であり、本件事故時に原告にすでに存在していたから素因減額すべきであると主張するが、加齢による変性である骨棘が本件事故時までにすでに存在していたとしても、年齢相応の経年性の変化の範囲を超えた疾患であることを認めるに足りる証拠はなく、損害の算定にあたって素因減額するのが相当であるとは認められない。
(2)まとめ
したがって、労災保険給付につき損害のてん補をすると、傷害の損害の残額は436万7655円((計算式)=847万4910円-410万7255円)であり、後遺障害の残額は156万6821((計算式)=654万9311円-498万1490円)であり、原告は、被告に対し、120万円(傷害)及び156万7821円(後遺障害)の合計276万7821円を請求できる。
これに対し、被告は、原告が労災保険給付を受けているため、同給付額について原告の権利を取得した政府と按分すべきであると主張する。
しかし、自賠責保険は、自動車の運行によって人の生命又は身体が害された場合における損害賠償を保障する制度を確立することにより、被害者の保護を図ることを目的とする制度であり(自賠法1条)、自賠法16条1項は、被害者請求によって、被害者が少なくとも自賠責保険金額の限度では確実に損害のてん補を受けられることにして、その保護を図るものである。したがって、被害者が、交通事故が原因で労災保険給付を受けたとしても、加害者に対し賠償を求めることができる損害額の全てがてん補されていなければ、その未てん補損害の額につき、政府に優先して、自賠責保険の保険会社から損害賠償額の支払を受けられるというべきである。
これに対し、被告は、労災保険給付が損害のてん補を目的とすることを挙げ、被害者が労災保険給付によってすでに自賠責保険金額の損害のてん補を受けている場合には、さらに自賠責保険金額の救済を与えられるものではない等と主張する。しかし、労災保険給付は、労働者を保護し、あるいは労働者の福祉の増進に寄与するために給付されるものであり(労働者災害補償保険法(労災保険法)1条)、同法12条の4に基づき政府が取得するのは、労災保険制度が保護する労災保険受給者の権利である。交通事故の被害者である労災保険受給者が、労災保険給付によっては加害者に対し賠償を求めることができる損害額の全てがてん補されていないにもかかわらず、同人の有する損害賠償請求権の一部を政府が取得したことによって、自賠責保険における現実の支払を受けられなくなることは、自賠法16条1項の趣旨に沿わないし、労災保険法12条の4の趣旨にも沿わない。したがって、労災保険給付によって自賠責保険金額の損害のてん補を受けたとしても、加害者に対し賠償を求めることができる損害額の全てがてん補されていなければ、被害者が政府に優先して自賠責保険の保険会社に損害賠償額の支払を求めることができるというべきである。
3 争点(3)について
自賠法16条の9は、被害者請求があった場合に、保険会社が履行遅滞に陥る時期を定める規定であり、被害者請求の行使方法による限定はないから、訴訟上の被害者請求にも当然に適用される。したがって、保険会社は、被害者請求があった後、当該請求に係る自動車の運行による事故及び当該損害賠償額の確認をするために必要な期間が経過するまでは遅滞の責任を負わない。
保険会社が確認する損害賠償額について、自賠法16条の3が、保険会社は、死亡、後遺障害及び傷害の別に国土交通大臣及び内閣総理大臣が定める支払基準(支払基準)に従って支払うべきことを定め,支払基準には、休業損害の原則的な日額や上限額、傷害の慰謝料の日額などが定められているから、訴訟外の被害者請求では、当該請求を受けた保険会社は、支払うべき損害賠償額を迅速に算定することができ、かかる事情を踏まえ、社会通念上、保険会社において損害賠償額の確認をするために必要な期間が経過したときには、遅滞の責任を負うことになる。
これに対し、訴訟上の被害者請求では、裁判所が、支払基準によることなく、当事者の主張立証に基づき、個別的な事案ごとの損害賠償額を算定するのであるから(最高裁平成17年(受)第1628号同18年3月30日第一小法廷判決・民集60巻3号11242頁)、当該請求を受けた保険会社は、被害者請求訴訟の判決が確定しなければ、支払うべき損害賠償額を確認することができないことになる。
したがって、本判決が確定するまで被害者請求の履行期は到来せず、被告は遅滞の責任を負わないというべきであり、遅延損害金の起算日は、本判決確定の日である。
第4 結論
以上によれば、原告の請求は主文の限度で理由があるから認容し、その余は棄却することとして、主文のとおり判決する。
仮執行宣言は相当でないから付さない。
東京地方裁判所民事第27部 裁判官 松川まゆみ