○当事務所で最も多い取扱事件は、交通事故による損害賠償請求事件で後遺障害等級に争いのある事件です。これまで様々な部位の争いを経験しており、その都度医学専門文献を購入し、その冊数は、整形外科のみならず眼科、耳鼻科、脳外科、精神科等広範に渡り100数十冊に及びます。医学文献は、大変高額で1冊数万円もするものもあり、購入した医学文献の総額は軽く100万円を超えています。
○しかし、ネット上には、わざわざ高い代金を支払わなくても無料で貴重な医学文献データを入手できるホントに有り難いサイトがあります。以前「
交通事故による外傷性胸郭出口症候群参考文献紹介」で紹介した
「整形外科と災害外科」もその一つです。
○これは、「
2016年07月19日現在全収録誌数:1,941誌 全収録記事数:2,760,174 記事ジャーナル1,813誌(2,461,468記事) 会議論文・要旨集等128誌」という
「J-STAGE」と言うサイトに組み込まれています。
「J-STAGE」トップページからは、「資料を探す」タブの
「分野別一覧」の「分野」タブで、
「ジャーナル」の「臨床医学」をクリックして出てくる資料一覧の「さ」をクリックし、
2ページ目の13行目でようやく
「整形外科と災害外科」にたどり着きます。
○この
「整形外科と災害外科」第1巻第1号発行は、なんと昭和26年12月の私が生まれた年で、平成28年12月なると丸65年を経過します。その
第1号もテキストPDFファイルが掲載されており、以下、
「整形外科施設と職能療法」まで、引用します。テキスト部分をそのままコピペしますが、OCR(光学式文字読取)が不正確で誤字が相当あり、徐々に訂正していきます。
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発剃に至るまで
我々は西日本にも整形外科学会地方会を何等かの形費持ちたいと考えていたが, 戦箏や其後の混乱で実現し得なかつた。
然し本年6月24日最初の集りを開くことが禺来, 遠く鳥取, 山口, 全九州各地よのの参会者があわ, 殊に宇部, 北九州の鉱業, 重工業地帯よ帆ま災害外科に関する演題も多く, 地域的特色が顕著に現われていた。
其集会にて会の名称, 方針等について討議せられたが, 本会名には是非災害外科の名を入れたいと言う希望が強く, 反対に日本整形外科学会は先輩の努力で其領域に災害外科を取の入れて居り, 特に其名を出す必要もあるまいと言う意見も織たが, 多年整形外科にて蓄積せられたる豊富な知識を災害外科の第一緻に導入して行き度いと言う希望により遂に西日本整形, 災害外科集談会と言う名称に決定せられ, 機関雑誌をも持つことになつたのである。
其後半年各会員, 会社, 鉱工場の多大の御厚意と御支援により今髭処に第一号を発朔するに至つたのは濤本の整形外科と災害外科との結びつきを更に張くする意味に於て御同慶の至りと思う。
叉我国の災害外科学発展の基盤となり得ば幸甚費ある。只発刊が犬変遅れたのは私の多忙と不慣れのためで深くお詑びすると共に, 今後本誌が質量共に向上する様何卒絶大の御支援と御協力とを御願い致し度い。
最後に本誌のために犠牲的に尽力せられた宮城成圭博士と, 多年の雑誌編輯の経験を以て御援助下された古山正朔氏に本会として厚く御礼を申し上ぴます。
1951年11月1日
天兒民和
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(整形外科と災害外科, 第1巻第1, 號昭和26年犯月発行)
整形外科施設と職能療法
九大名誉教授 神中正一
南江堂萬版の雑誌「整形外科」の8月号(2巻2号)に, 厚生省児童局母子衛生課の小池文英氏のアメリカ土産「アメリカの肢体不自由児事業, 施設を中心乏して」という記事がある6大変有益で興味深く読んだ。これでアメリカが肢体不自由児をどう取扱つているかが大凡判の, 私共が肢体不自由者を取扱うのによい参考になる。
一休アメリカにはドイツ語のKryopelheimに相当する言葉がないそうで, 色んな施設の内, 一番これに近い概念の通称名はHospital for crippled children 叉はChildren's orthopedic hospitalであるが, クリユツペルハイムでやつている職業訓練, 授産の画は此等の施設でやつていない。このこつは更生指導所(Rehabilitation cellter)と密接な開係がある。
さてアメリカ肢体不自由児病院の組織と機能には七つの要素が見られるそうである。 それはa.整形外科的治療, b. 看護, c. 物理的療法(広養), d. 職能療法, e. 教育, f. medical socialService, g.recreation及び良好なる環境からなるそうであるが, 私が実際見たくもあるし, 見ることが不可能ならせめて文献だぴでも集めて見セいのは, アメリカのこれら施設に於ける物理的療法, 職能療法とmedical social service の三つ, 特に後諸である。
物理療 法の 中には 日本 の物 療 とい. うマツサーヂ, 電 気, 水治療 法以外, 特 に運動機 能回復 を主眼とするものが沢山含齢ていて, こ顧ま医師指示の下に物療士(physical therapist)カやつハいるのだそうで, 歩行車, バヲレルバー, 松葉杖の歩行練習, 階段, 傾斜の昇降, 系統的な自働訓練,抵抗練習を含んでいる。
rnedical social service、は肢体不自由者施設と社会との橋渡しをするもので, 社会施設としての当然諸種の社会的受入態勢が第一条件であるが, これと連絡する機能としてmedical socialserviceが当つている。これには社会状態, 職業状態, 患者の心理, 患者の機能障害に通暁する;整形外科医と心理学者とが必要費あろうと患う。
稗田君の働いて:いる東京相模康の更生指導所(Rehabilitationcenter)にも無論此種のものがあつて或程度活動して居ると思うが, 整形外科的施設にはそれよのも狭義に, 更生指導所との連絡, 或はその必要のない場合には直接社会との交渉に当る役目を帯びる部分が必要と思う。
私が特に興味を感じたのは職能療法(Occupational therapy)であって, 戦争中傷痩軍入職業補導所で働いていた経験がら, 肢体不自由者の最終療法として最も重要性を持つものと思つている。アメリカの肢体不自由児施設に於ける職能療法の様子は委しくわからぬけれども・小浬氏によると, 例えば鋸で木片から或模様を切り抜いたり, 其他の木工, 金工, 編物, 粘土細工, 絵薗, 玩具, 楽器等利用されるものは何でもやつているが, Gれらは四肢機能回復のみに止らない。
児童の場合: まそれがリクリヱーシヨンともなり, 広義の教育並に生活指導ともなり, また社会生活くの結びつき(Sogialization)にも役立つし, また一般にハンデイキヤツプ克服意欲の喚趨(Motivation),職業戦線への興味誘発に役立つものと言われている。
然し~れは肢体不自由児に対する方法として採用されるだけでなく, 成人の身体障害者の整形外科的施設の中では, 一層重要さを増すのではなかろうか。ただ問題は本当の職業教育との境界, 或はそれへの移行をどうするかが問題であろう。このよ5な問題に関しては相模原の更生指導所の意見を聞きたい乏思つている。恐らくここには色々な文献や意見があることと思われる。
さて戦雫中の私の経験は, この職業療法でなくして, 純然たる職業補導教育で得られたものであるが, 此の事実に就ては私の論文「戦傷肢体不自由者の職業補導に関する医学的経験」の中に少し述べて夢る。こめ場合その作業に関係す為四肢部分の機能的回復の速度と程度は真に驚くべきものがあつた。
その具体的数字は握力の増加で示された。肢体不自由者は作業に習熟すると共に, 職業再起の自信を得, 勤労意欲を大に喚起した。このような機能の回復は到底マツサーヂ, 電気等の物理的療法の及ぶところではない。それは他人から強制せられ, 或まいやいやながらやるところの運動練習ではなくして, その運動は実際自己将来の生活と直結して居つて, 自己の意志により, 自己ゐインパルスにより長時聞(普通物理的療法が行われる時間に比し)筋, 関節の合翼的運動が強烈に反覆される結果たるに相違はない。
もし此運動によつて或る金銭的収入が得られるものとしたら, 其効果は一層顕著であろう。今後日本に設立される成人肢体不自由者の整形外科的施設では, と二の問題をどう取扱つたらよいむむだろう。これは肢体不自由児の対策よ偽一屡困難な問題である。何となれば, 性患者の意志の問題,正式職業補導機関との連がめ, 或はそれとの境界)社会との連結等の閥題があるからである。
だから各職能療法の教師の他に, 渉行関係を推当するアメリカのMedical social Workerがどうしても必要になろう。ところ宕最も心配なのは患者の意志の問題であ銚これは社会保障制度が整備されるに従つて愈愈むつかしくなつて行くであろう。ニの問題を取扱うこ乏になると, われ虻)れ整形外科医も心理学・精神医学・哲攣を学ばなければならぬことに冷姻ましないか。
外傷性神経症の慾求神経症になつているものは, 打切の購償金費関係を絶つことによるほか, 此症状を治す途はないと, 現代の精神病学は言つているが, 本当にそうであろうか, 私にはまだ他に途があるような気がする。年金給与の制度があるため, 働かないでも食べて行けるという気持ち, 他の言葉で言えば勤労意欲の喪失叉は低下は, 人聞の本能さしセ当然であろう。
そういう人に何かしら社会入として働け,働かなくてはいけないと言うならば, 何故働かなければならぬかの理由がはつきりしでいなければならない。即ち年金給与者勤労の哲学が必要費ある。年金はそれまでの功労に報い, 或鰭公傷や老辱齢による社会でのハンテイキヤツプを補うものとするならば, 全然働く余地のない入々と違って或程度働くべき理由が見出されるかも知れない。
私は年来肢体不自由者勤労の哲学を人にも聞き, 或はこれを論じた書籍は駁いものかと思いながら, 未だに納得の行く徽得一こいない。戦事中噸労による天皇への奉仕は義務であると説かれて来葎けれども, 民主主義国家の今日ではどうであろう。 (1951. 9.18)