労災給付金についての控除後相殺説による上告理由書全文紹介
○平成元年4月11日最高裁判決事案での上告理由書全文です。控除後相殺説の立場で私も論旨正当と確信していますが、最高裁判決は排斥しました。
******************************************
上告代理人○○○○、同○○○○、同○○○○、同○○○○の上告理由
第一、原判決が労災保険からの給付額を過失相殺の対象に含めた点は、判決に影響を及ぼす法令違反であり、破棄を免れない。
一、上告人は本件交通事故に関し、1067万2829円の労災保険給付(休業給付)を受けている。この労災保険給付額が過失相殺の対象となるかどうかについて、第一審判決と原判決は見解を異にしている。
第一審判決は損害総額から労災保険給付額を控除した後の金額につき過失相殺している(以下「控除後相殺説」という。)のに対し、原判決は損害総額につき過失相殺した後で労災保険給付額を控除している(以下「控除前相殺説」という。)。
ところで、被害者に過失がある場合の保険給付の控除の問題は、単に過失相殺の順序ないし先後の問題ではなく、保険者(国)の求償権ないし代位の範囲の問題と表裏の関係にある。即ち、被害者、加害者、保険者(国)の三者の関係をどう位置づけ、調整すべきかということが問題なのである。これに対し、加害者が負担すべき損害総額自体(加害者に対する賠償額+国から求償を受ける額)は、被害者の損害総額に加害者の過失割合を乗じて算出され、この額自体は固定したものである。
この点については、次の三つの立場が考えられる。例えば、損害額を1000、被害者の過失割合を30%、保険給付額を500と仮定しておく。
第一は、社会保険者が給付した額を限度として、社会保険者の求償権に優先権を認める方式であり、損害全額につき過失相殺した額から社会保険の給付額を控除するという控除前相殺説である。この説では、被害者が加害者に賠償を求めうる額は、1000×0.7?500=200となる。
第二は、加害者である第三者に対する国の求償権は被害者の過失割合に対応した額に限られるとするものであり、被害者にはその残額の賠償が認められることになる。従って、(1000-500)×0.7=350というより、むしろ1000×0.7?500×0.7=350とすべきであって、これが控除後相殺説に対応する。
第三は、差額説ともいうべき考え方で、全損害から給付額を差し引いた差額につき被災者に優先権を認めるものである。すなわち過失相殺の結果得られた損害額から被災者が右の差額を優先的に取得し、その残額につき社会保険者が求償権をもつというものである。この説では、被災者が損害総額1000と給付額500の差額の500を、過失相殺により得られた額1000×0.7=700から優先的に弁済を受け、残り200を国が取得することになり、控除前相殺説とちょうど逆の結果になる(西村健一郎「社会保障給付と損害賠償」民商創立50周年記念論集Ⅱ423頁)。
二、控除後相殺説が妥当である。以下、その理由を述べる。
この説に立つ札幌地判昭和48年2月16日訟務月報19巻10号10頁は次のように判示する。
(1) まず、第三者行為災害に際し、被害者に対する第三者の賠償額が被害者の過失を斟酌して定められるべき場合、被害者が既に労災保険給付を受けているときは、当該第三者と被害者の間においては被害者の過失相殺前の損害額から右給付額を控除した差額について過失相殺がされるべきである。
例えば被害者の過失相殺前の損害額100、既に支払われた労災保険給付額60、被害者の過失割合3割のとき被害者は第三者に対し残40の7割に当る28の賠償を請求しうる。
その反面として国の第三者に対する求償権は、第三者が本来負担すべき70から右28を控除した42に限定される筋合いであり、これは結局国の代位する額がその給付すべき金額について被害者の過失の割合で過失相殺された額まで減じられたのと同一の結果になる。
(2) そもそも法に定められた労働者の給付を受ける権利は業務上の災害の発生が使用者の営利活動に基づく危険を原因とするものであることから、当該労働者の損害をその営利活動により利益をあげている使用者団体に負担させるべきであるとする考慮によるものであって、労働者に故意または重過失があるときは別として、単なる過失がある場合にも国は給付の全部につきその補償をするよう定められている。右の理は第三者行為災害に際し被害者に過失がある場合にも同様で、その過失はその災害が業務上のものであることに基づく被害者の法定の受給権に何らの消長をきたすようなものであるはずがない。しかるところ前記結論と異なり、保険給付額を控除しないで過失相殺をした後にその額から右給付額を控除した額を第三者の被害者に対する賠償額とすることは(この場合はその反面として国は被害者の総損害額に過失相殺した額が保険給付の額を越える限り全額につき求償しうることとなる)、業務上の災害であることに基づく被害者の前記法に定められた受給権を被害者の全部過失の場合に比べ名目的なものとする不合理な結果を招来する。(前記事例で被害者の過失割合が4割である場合、後者の方法によれば被害者は単に国からも給付を受けうる利益を持つにすぎず、営利活動に基づいた危険に由来する使用者の責任が考慮されないこととなり〈100×0.6-60=ゼロとなり、被害者から加害者への賠償請求はできなくなる〉、あたかも国が第三者の責任を仮に肩代わりするような観を呈する。これは被害者に過失がなく、第三者がすべての責任を負う場合に、後記のような考慮により定められた法第20条の趣旨から、結果的に国が第三者の責任をその給付の限度で肩代わりするようにみえるのとは異なり、不合理なものと評するほかはない。)
(3) 法第20条はその一項で国が第三者行為災害において保険給付をした場合は給付価額の限度で国が被害者の第三者に対する損害賠償請求権を取得することを、その二項で第三者が同一の事由で損害賠償をした場合は国がその価額の限度で補償の義務を免れることをそれぞれ定めているけれども、これは加害者たる第三者に不当な利益を与えないことおよび被害者が損害の二重のてん補を受けないことを目的としているのであるから、以上の考察に従えば、被害者に斟酌さるべき過失があるときは、国が先に保険給付をした場合には、第三者の賠償義務と重複して給付した部分についてのみ代位して求償しえ、また第三者が先に賠償した場合には同様にそのうち国の給付義務と重複する部分についてのみ給付義務を免れるにすぎないものと解すべきである。
三、右判決の正しく指摘する通り、被災者(被害者)に4割の過失しかない場合(即ち使用者の責任が相当に重い場合)にあっても、被災者の全部過失に基づく労働災害の場合と同様に、被災者は国からの労災保険給付しか受けられず、使用者に対する損害賠償責任の追求が全くできないというのは不合理というほかない。
被保険者である被災者が保険給付によって利益を受けるのが当然であるのに、控除前相殺説では、単に絶対倒産しない支払い能力抜群の国からも給付を受け得るというに過ぎず、金額上のメリットは殆どない。損害賠償請求権のかなりの部分が社会保険者に移転し、被災者の損害のかなりの部分が依然として填補されないまま残されることになってしまう。
本件について言うと、控除前相殺説に立つ原判決は、被上告人らは総損害額2389万0231円の4割、即ち955万6092円の支払い義務を負担するが、労災保険給付が1067万2829円なされていることにより、156万5385円(休業損害以外の損害の4割)だけ上告人に支払えば足りるのであり、被上告人らが上告人に270万円を既に支払っているのは「払い過ぎ」であるという。
しかし、これでは、被上告人らが支払義務を負担する955万6092円のうちのわずか16%の金額しか上告人は被上告人らに賠償請求できず、総損害額2389万0231円のほぼ半分に近い1165万2017円の支払いが受けられないという過酷な結果となってしまう。
四、この原判決の考え方では、保険者たる国の求償権だけが大きな額を占めることになる。ところが、現実には、求償権が必ずしも常に行使されているとは限らない。本件の場合は比較的上告人の過失も大きいと考えたからか、理由は定かでないが、国からの求償権の行使は行われていない(原審では争点になっていなかったので――その意味で、原判決は弁論主義違反の疑いもある――調査嘱託等による立証がなされていないが、本上告理由書の作成にあたり、上告人代理人佐藤真理が天王寺労働基準監督署に問い合わせたところ、求償権の行使は全くなされていないことが確認された。しかも求償できる期間は3年なので殆どが時効にかかっていることも判明した)。従って、加害者たる被上告人らは、本来の支払い義務額である955万6092円のうち16%にあたる156万5385円を支払うだけで、責任を免れうるということになり、ますます不合理さが拡大する。
労災保険給付金が被害者の損害填補の意味を持ち、被害者に二重の利得を与えるべき理由はないので、損益相殺されるのは当然としても、保険給付を受けたことのメリットが被害者には殆ど生じず、逆に加害者にのみ生じるというのは背理である。
しかも本件の場合は工場内での労災などと異なり勤務中の交通事故であり、加害者は労災保険料納付の負担も行っていない。たまたま交通事故の被害者が勤務中であったというだけで、被上告人ら加害者が望外の利益(損益相殺の利益以上の)を受けるというのはなおさら不合理といわなければならない。
5、「社会保険者は、本来、保険事故に対してその発生原因・責任のいかんにかかわりなく給付すべきものであって、損害賠償請求権を代位取得しうるから給付すると言うものではない。社会保険者の求償権は、被災者の二重利得の禁止と加害者の不当な責任免脱の防止のために認められているのであって、その点からすれば、社会保険者の負担軽減の視点は付随的なものにすぎない。被災者の過失によって加害者が責任をもつべき賠償総額が限定されて、被保険者(被災者)と社会保険者の利害が対立するような場合には、二重填補が生じない範囲で前者を優先することが社会保険の趣旨にも、またできる限り完全な損害填補を行うという損害賠償の目的にも合致する。その点からいえば理論的には控除後相殺説あるいは差額説の方がより合理的である」(西村健一郎・前掲425頁)。西ドイツでも、控除後相殺説が採用されている(西村健一郎・前掲423?424頁)。
六、さらに、控除後相殺説の根拠について、東京地判昭和46年9月21日判時652・60は次のように判示している。
「加害者側が賠償すべき損害金を填補することを建前とする自賠責保険金と異なり、労災保険金は、災害を受けた労働者に原則として、できうる限り完全な補償を政府により与え、保護しようとする制度下で給付されるものであって、加害者より被害者が賠償を受ける限度で補償を与えようとするものではないことは、例えば労働者災害補償保険法第19条の規定からも、また法第20条の求償権の行使は、過失相殺の結果、加害者に被害者が賠償を求めうる限度を越える場合はこれをなさないとする解釈上からも、なんら支障なく肯定されるところであり、被害者としては、たとえ過失相殺により、給付さるべき保険給付額を下る賠償額しか加害者に請求しえない場合でも、これがために保険給付額が低減される由縁がなく、そうすると、労災保険金の給付をなした政府は、その給付額が限度より過失相殺斟酌割合に応じて算出される賠償応分額を、同じく右給付額を控除した金額より右過失相殺に応じて算出される賠償額を請求する被害者とならんで、各一個の請求権を加害者に対し行使しうることになるのであり、かく解するときは、本件のごとく被害者の請求においては、労災保険給付相当分の損害は、当事者の主張と齟齬なき限り、加害者の賠償すべき金額ではなく、被害者の蒙った損害額をもとに、消滅させる債権を考慮すべきことになる」
七、これに対し、控除前相殺説の立場から、控除後相殺説を批判する代表的な判例である大阪地裁昭和59年2月28日判決(判例タイムズ525号223頁)は次の通り述べている。
第一は、労災保険制度の趣旨、目的からの批判である。大阪地裁判決によれば、労災保険給付の趣旨は、基本的には、労災事故による被災労働者の稼働能力等の財産的損害を填補するものであるという。しかも、労災保険の受給権者に対する第三者の損害賠償義務と政府の労災保険給付の義務とは、相互補完関係にあり、同一事故による損害の二重填補を認めるものでないと解されるとの最判昭和52年5月27日第三小法廷判決・民集31巻三号427頁や、労災保険法67条の趣旨に照らすと損害賠償の一般法理により、過失相殺後に控除すべきであるという。
第二に、控除後相殺説では、被災労働者が死亡した事故の場合に、過失相殺による減額、損害賠償請求権の相続による各相続人への相続分に応じた配分、及び遺族のうち労災保険の受給権者に支給された労災保険金の控除という三つの問題相互の関係を被災労働者が死亡しなかった通常の事故の場合と対比して、現在の損害賠償の一般法理の下で、理論的に整合した説明を与えることは困難であるという難点があるという。
八、まず、第一の点について反論する。労災保険制度が被災労働者の損害填補の目的を有することは、その通りであるが、労災保険が社会保障的性格を有することを重視しなければならない(高松高判昭和58年12月27日交民集16・6・1578)。
例えば、総損害額1000万円、保険給付額600万円、7割過失相殺の事案の時、被害者が加害者に賠償しうるのは1000×0.3=300万円のはずだが、だからといって保険給付額が600万円から300万円に低減されるわけではない。被害者の過失割合の如何にかかわらず、労災法所定の給付がなされるのである(前掲東京地判昭和46年9月21日)。
このように労災保険においては社会保障的性格を重視して考えなければならない。
また大阪地裁判決のいうように労災保険を基本的に被災労働者の損害の填補のための制度と考えた場合であっても、控除後相殺説の方が控除前相殺説に比べ被災者の損害填補に資することはあきらかである。控除後相殺説をとったからといって、加害者も損益相殺の利益は受けるのであり、加害者と被害者の本来の過失割合をこえて加害者に余分な負担を与えるというわけではなく、民法第722条二項の趣旨に反するものではない(このような観点からは、差額説をとることも十分合理性を有するが、少なくとも控除後相殺説が採用されなければならない)。
九、第二の点について反論する。例えば、被災労働者の死亡事故について損害総額を3000万円、被害者過失30%、相続人は妻と子の二名とし、妻にのみ遺族補償給付(例えば遺族補償年金一時払金)800万円があるとすると、控除前相殺説に依拠すると3000万円×0.7×2分の1=1050万円となり、妻の分1050万円-800万円=250万円、子の分1050万円となる。これに対し、控除後相殺説では、相続前に右労災給付金800万円を控除して、遺族一人当たりの相続分は(3000万円-800万円)×0.7×2分の1=770万円となるはずであり、受給権者でない子の相続分からも控除することになるのは、不合理だと非難する。
しかし、受給権者でない子の相続分から控除すべきでないのは当然である。要は労災給付金を過失相殺の対象に含めるか否かという考え方の対立であるから、控除後相殺説の立場では、法定相続分から妻についてのみ労災給付金を控除して、その残額について過失相殺をすればよい。遺族一名当たりの相続分は3000万円×2分の1=1500万円だから、受給権のある妻については、1500万円から右給付金800万円を控除し、これに過失相殺して、妻の相続分は(1500万円-800万円)×0.7=490万円となり、子の相続分は1500万円×0.7=1050万円となる。
右のように解すれば足りるのであり、何ら「理論的整合性の点での難点」は存在しない。
結果的にみても、控除前相殺説では、遺族補償給付を受けた妻が、同給付を受けていない子と全く同額の金銭しか取得できず、控除後相殺説の方が、労災制度の趣旨に合致し、妥当であることは明らかである。
10、法理論は明快でなければならないが、単純で割り切りやすければいいというものではない。
「この種の問題は、結局は政策論、ポリシーの選択の問題であって論理必然的に一つの結論に到達するという性質のものではない。」(保原喜志夫「労災補償制度と不法行為責任」・ジュリスト691号)。制度趣旨をふまえて、被害者、加害者、保険省(国)の三者間の利害関係をいかに考え、調整すべきかの価値判断にかかるのであって、具体的妥当性が追求されるべきなのである。
労災法第67条の趣旨も二重取りを許さないというものに過ぎず、控除前相殺説の決定的根拠となしうるものではない。
控除前相殺説によれば、本件被上告人のような加害者に漁夫の利を与えるばかりで、被災者(被害者)にはほとんど金銭的なメリットがないということになり、国民の健全な法的正義の観念に反することになろう。
むしろ、制度趣旨として損害の填補を強調しつつ、過失相殺の範囲を広く解する控除前相殺説では、過失相殺によって給付されるべき保険給付額を下回る金額しか加害者が賠償義務を負担しない場合であっても、これによって保険給付額が低減されないという労災保険制度の仕組みについて「理論的に整合した説明を与えることが困難」であると思われる。
第二〈省略〉