○「
高裁判断を覆した平成23年4月26日最高裁判決全文1」を続けます。
「以上と異なる原審の判断には,法令の解釈を誤った違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり,原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。」として、事実上、高裁の事実認定を覆しています。
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(6)被上告人は,平成16年1月30日,上告人病院の精神神経科において,A医師と面接をした(以下,この面接を「本件面接」という。)。本件面接に至る経緯及びその内容は,次のとおりである。
ア 被上告人は,同日の診療受付終了時刻の前頃,上告人病院の精神神経科の受付に電話をし,受付時間に少し遅れるが診察してほしいと述べ,応対した看護師から,用件が緊急ではなく検査結果の確認のみであるなら次回にお願いしたい旨を告げられると,興奮した状態で,診察を受けたいとの要求を続けたため,上記看護師からその報告を受けたA医師は,検査結果を伝えるだけという条件で,被上告人と会うことを了承した。
イ A医師は,被上告人に対し,MRI検査の結果は異常がないこと及び頭痛のコントロールが当面のテーマであることを説明した上,脳神経外科を受診するよう指示し,精神神経科にはもう来なくてよいと告げて面接を終了しようとした。
ウ しかし,被上告人が,これに応じず,自らの病状についての訴えや質問を繰り返したため,A医師は,これに答えて,被上告人は人格に問題があり普通の人と行動が違う,被上告人の病名は「人格障害」であるなどの発言をした後,なおも質問を繰り返そうとする被上告人に対し,話はもう終わりであるから帰るように告げて,診察室から退出した(以下,本件面接の際のA医師の言動を「本件言動」という。)。
(7)被上告人は,平成16年2月10日から,妹の友人の精神科医であるC医師(以下「C医師」という。)が開設するcクリニックにおいて,同医師の診療を受けるようになった。
被上告人は,cクリニックにおける初診時に,頭痛,集中力低下,突然泣いてしまうなどの症状を訴えるとともに,かつて本件ストーカー等の被害を受けたこと,上告人病院の初診時に鬱病と言われてショックで頭から離れないことなどを述べ,同日の診療録には,C医師によるPTSDとの診断が記載されたが,被上告人がA医師の本件言動について話した旨の記載はない。被上告人は,その後も1週間に1回程度cクリニックに通院し,初診時と同様の症状や山形でいろいろあったことを思い出すことなどを訴え(以下,被上告人がcクリニックで訴えた症状を「本件症状」という。),C医師の問診に対し,過去の体験の一つとして,本件言動に対する怒りを述べるなどした。
(8)PTSDについて広く用いられている診断基準の一つであるDSM−W−TR(DSMは,アメリカ精神医学会が発表しているもので,「精神疾患の診断・統計マニュアル」などと訳されている。)によれば,PTSDの発症を認定するための要件の一つとして,「実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を,1度または数度,あるいは自分または他人の身体の保全に迫る危険を,その人が体験し,目撃し,または直面した」というような外傷的な出来事に暴露されたことを要するとされており,また,文献の中には,PTSDの症状が,その原因となった外傷を想起されるもの,人生のストレス要因又は新たな外傷的出来事に反応して再発することもあること,同一ないし類似の再外傷体験がPTSDを発症させやすいことなどを説くものがある。
3 上記事実関係等の下において,原審は,本件面接におけるA医師の被上告人に対する本件言動は医師としての注意義務に違反するものであり,本件症状はPTSDの発症と認められるとした上,被上告人は,過去に本件ストーカー等の被害を受けていたことから,本件面接時において,PTSDを発症する可能性がある状態にあったところ,A医師の本件言動により,その主体的意思ないし人格を否定されたと感じたことから,これが心的外傷となり,そのとき保持されていたバランスが崩れ,過去の外傷体験が一挙に噴出してPTSDの症状が現れる結果となったと判断して,A医師の本件言動と被上告人の本件症状の発症との間に相当因果関係があると認め,被上告人の請求を一部認容した。
4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
前記事実関係等によれば,A医師の本件言動は,その発言の中にやや適切を欠く点があることは否定できないとしても,診療受付時刻を過ぎて本件面接を行うことになった当初の目的を超えて,自らの病状についての訴えや質問を繰り返す被上告人に応対する過程での言動であることを考慮すると,これをもって,直ちに精神神経科を受診する患者に対応する医師としての注意義務に反する行為であると評価するについては疑問を入れる余地がある上,これが被上告人の生命身体に危害が及ぶことを想起させるような内容のものではないことは明らかであって,前記のPTSDの診断基準に照らすならば,それ自体がPTSDの発症原因となり得る外傷的な出来事に当たるとみる余地はない。
そして,A医師の本件言動は,被上告人がPTSD発症のそもそもの原因となった外傷体験であると主張する本件ストーカー等の被害と類似し,又はこれを想起させるものであるとみることもできないし,また,PTSDの発症原因となり得る外傷体験のある者は,これとは類似せず,また,これを想起させるものともいえない他の重大でないストレス要因によってもPTSDを発症することがある旨の医学的知見が認められているわけではない。なお,C医師は,平成16年2月10日の初診時に,被上告人がPTSDを発症していると診断しているが,この時の被上告人の訴えは平成15年1月にb市立病院の精神科で診察を受けた時以来の訴えと多くの部分が共通する上,上記初診時の診療録には,A医師の本件言動を問題にする発言は記載されていない。
以上を総合すると,A医師の本件言動と被上告人に本件症状が生じたこととの間に相当因果関係があるということができないことは明らかである。被上告人の診療に当たっているC医師が,A医師の本件言動が再外傷体験となり,被上告人がPTSDを発症した旨の診断をしていることは,この判断を左右するものではない。
5 以上と異なる原審の判断には,法令の解釈を誤った違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり,原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,同部分に関する被上告人の請求を棄却した第1審の判断は正当であるから,同部分に関する被上告人の控訴を棄却する。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大谷剛彦 裁判官 那須弘平 裁判官 田原睦夫 裁判官 岡部喜代子)