夫の妻に対する損害賠償請求に妻が財産分与請求権で相殺できるか-無理
○夫から損害賠償請求の訴えを地裁に請求された妻が、夫に対する財産分与請求権を反対債権として相殺の主張ができますかとの、質問を受けました。例えば夫が妻に預貯金の横領或いは不貞行為等を理由に500万円を請求をされたことに対し、婚姻後に取得した夫名義の1000万円の不動産があり内2分の1相当額の500万円の財産分与請求を主張できる可能性がある場合です。
○財産分与請求に関する民法の規定は次の通りです。
第768条(財産分与)
協議上の離婚をした者の一方は、相手方に対して財産の分与を請求することができる。
2 前項の規定による財産の分与について、当事者間に協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、当事者は、家庭裁判所に対して協議に代わる処分を請求することができる。ただし、離婚の時から2年を経過したときは、この限りでない。
3 前項の場合には、家庭裁判所は、当事者双方がその協力によって得た財産の額その他一切の事情を考慮して、分与をさせるべきかどうか並びに分与の額及び方法を定める。
○この規定によれば財産分与請求権発生の要件としては、
①離婚をしたこと、
②財産の分与について協議が成立、
③協議が成立しない場合は家庭裁判所の決定
が必要です。従って、夫から妻への請求の抗弁として財産分与請求権による相殺の主張は、前記要件を満たして財産分与請求権が発生していない限り無理と思われます。
○このことを明示した裁判例を探している内に、間男に対する夫からの慰謝料請求についての平成26年9月3日東京地裁判決(ウエストロージャパン)を発見しました。私の感覚では、間男にとっては、大変、厳し過ぎる内容の判決です。
傍論ですが、「具体的な財産分与請求権は,協議・審判・判決等によって初めて形成されるものであるところ,本件合意当時も現在も,かかる意味でのAの原告に対する財産分与請求権は未だ発生していないものというほかないから,本件合意をもって,原告のAに対する慰謝料請求権が,Aの原告に対する財産分与請求権との相殺により消滅したということもできない。」との論述があります。
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主 文
1 被告は,原告に対し,200万円及びこれに対する平成25年6月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを3分し,その1を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。
4 この判決は,1項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告に対し,300万円及びこれに対する平成25年6月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,原告が,被告は,原告の妻であるA(以下「A」という。)と継続的に不貞関係を持ち,原告とAの婚姻関係を破綻させたと主張して,被告に対し,不法行為による損害賠償として,慰謝料300万円及びこれに対する不法行為後の日である平成25年6月27日(原告とAとの離婚成立日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
1 前提事実(争いのない事実並びに後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば容易に認められる事実)
(1) 原告(昭和51年○月○日生)とA(昭和57年○月○日生)は,平成19年11月17日に婚姻し,平成20年○月○日に長男をもうけた(甲1)。
(2) 原告とAは,平成22年6月,原告が持分10分の9,Aが持分10分の1の割合で共有する自宅土地建物(以下「本件土地建物」という。)について,原告及びAがそれぞれ負担する住宅ローン債務(原告の債務額5000万円,Aの債務額500万円)に係る保証会社に対する求償債務を被担保債務とする抵当権を設定した(甲3ないし5〔枝番を含む。以下同じ〕)。
(3) 原告,A及び被告は,いずれも玩具製造等を業とする株式会社a(以下「a社」という。)に勤務していた。
(4) 被告とAは,平成24年10月頃から不貞関係を持つようになった(甲6,乙4)。被告は,当初からAが原告の妻であることを知っていた。
(5) 被告は,平成25年4月1日付けで,a社の関連会社である株式会社b(以下「b社」という。)への出向を命じられた(乙1)。
(6) 原告とAは,平成25年6月27日,長男の親権者を母であるAと定めて協議離婚したが,その際,本件離婚に伴う給付について,以下の内容を含む合意をした(甲1,2。以下「本件合意」という。)。
ア 原告は,Aに対し,長男の養育費として,平成25年8月から長男が成人に達する日の属する月まで,毎月6万円を支払う。
イ Aは,原告に対し,本件土地建物に抵当権を設定して銀行から借り入れているA名義の住宅ローン債務については,完済時までAの責任において支払い,本件土地建物についてAが有している10分の1の共有持分権は,同ローン完済時又は本件土地建物を売却処分する際に,Aを登記義務者,原告を登記権利者として,持分移転登記手続をするものとする。
ウ 原告及びAは,離婚に際し,以上をもってすべて解決したものとし,今後,財産分与等名目の如何を問わず,互いに何らの財産上の請求をしないことを相互に確約した。
2 争点
(1) 相当慰謝料額はいくらか。
(原告の主張)
原告は,被告がAと不貞関係を持ったことにより,新居まで購入して築き上げようとしていた子供を含めての楽しかるべき家庭生活を破壊された。
また,被告とAとの不貞関係は,a社内全般,少なくとも原告の周辺部課の全員に知れ渡り,原告は「同僚に妻を寝取られた男」という極めて不名誉な烙印を押されてしまった。
このような原告の精神的苦痛に対する慰謝料としては,300万円が相当である。
なお,被告がb社への出向を命じられた事実は,原告に対する慰謝料額の算定において何ら斟酌すべきものではない。
(被告の主張)
否認ないし争う。
被告は,Aとの不貞関係が上司に発覚したことにより,事実上の左遷先であるb社への出向を命じられ,今後,a社に復帰できる目処はなく,また,出向後,残業がなくなったため,年間収入が約90万円減少した。
このように,被告が,Aとの不貞行為により,一定の社会的制裁を受けていることは,慰謝料額の算定において斟酌されるべきである。
(2) 被告の原告に対する慰謝料債務が消滅したか。
(被告の主張)
本件合意により,原告は,確定的に,無償で,Aが有する本件土地建物の共有持分権を取得し得るところ,これは,Aと被告との不貞行為を原因とする慰謝料に代わる趣旨,あるいは相殺にほかならない。
したがって,Aとの共同不法行為者である被告の慰謝料債務(Aの慰謝料債務とは不真正連帯の関係にある。)は消滅している。
(原告の主張)
Aが負担する住宅ローン債務については,原告が連帯保証人となっているのであるから,仮にAが支払を遅滞すれば,原告が支払義務を負うことになる。したがって,原告は,Aから本件土地建物の共有持分権を未だ確定的に取得したわけではない。
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(相当慰謝料額)について
(1) 被告は,Aが原告の妻であることを認識した上で,Aとの間で不貞行為を持ったものであるから,かかる行為が,Aとの婚姻関係に基づく原告の権利(配偶者に貞操を求め得る権利)に対する侵害として,Aとともに共同不法行為となることは明らかである。
そして,前提事実に加え,証拠(甲6,乙4)及び弁論の全趣旨によれば,被告とAは,平成24年12月に不貞行為が原告に発覚した後も,不貞行為を継続し,平成25年2月に原告とAが別居した後も,同棲するなどして不貞行為を継続したため,原告とAとの婚姻関係破綻が決定的となって離婚に至り,原告は,A及び長男との家庭生活を奪われたばかりか,職場においても,被告とAとの不貞の事実が上司や同僚等にも知られ,居たたまれない思いをしていることが認められ,これらの事実を考慮すれば,被告とAとの不貞行為を原因とする原告に対する慰謝料額は200万円と認めるのが相当である。
(2) 被告は,Aとの不貞行為により,被告がb社への出向を命じられ,収入が減少し,一定の社会的制裁を受けていることは,慰謝料額の算定において斟酌されるべきである旨主張する。
しかしながら,当該加害行為を理由として加害者が一定の社会的制裁を受けたからといって,被害者の被った精神的苦痛が直ちに慰謝されるとは言い難く,本件に現れた全事情によるも,被告が出向を命じられ,収入が減少したことから,被告とAとの不貞により原告の被った精神的苦痛が慰謝されたものと認めることはできない。
また,本件全証拠によるも,被告に対する出向命令が,Aとの不貞行為によるものであるか否かは不明であるといわざるを得ず,そもそも,出向やこれに伴う減収をもって,不貞行為に対する社会的制裁と評価し得るかどうかも疑問である。
以上によれば,被告の主張は採用することができない。
2 争点(2)(慰謝料債務消滅の有無)について
(1) 被告は,本件合意により,原告は,確定的に,無償で,Aが有する本件土地建物の共有持分権を取得し得るところ,これは,Aと被告との不貞行為を原因とする慰謝料に代わる趣旨,あるいは相殺にほかならず,したがって,Aとの共同不法行為者である被告の慰謝料債務(Aの慰謝料債務とは不真正連帯の関係にある。)は消滅した旨主張する。
(2) この点,前提事実(2),(6)のほか,証拠(甲6)及び弁論の全趣旨によれば,原告とAは,婚姻当時共働きをしていたところ,平成22年,本件土地建物を取得するに際し,取得価格約5780万円のうち約280万円を原告が出捐した上,残額については,原告が5000万円,Aが500万円の住宅ローン債務(借入期間35年)を負担し,本件土地建物に上記債務に係る保証会社に対する求償債務を被担保債務とする抵当権を設定したこと,原告とAの離婚当時,本件土地建物の時価額を上記住宅ローン残債務額が上回っていたこと,原告とAは,離婚に際し,原告が本件土地建物に居住し,原告とAがそれぞれ上記住宅ローン残債務(原告につき約4581万円,Aにつき約458万円)の支払を継続することを前提として,本件合意をしたものであることが認められる。
そうすると,本件合意は,離婚原因が主としてAと被告との不貞行為にあることを踏まえ,原告がAに対し,被告との不貞を原因とする慰謝料を含む離婚慰謝料の支払を求めない代わりに,Aが,自ら負担する住宅ローン債務を完済した上で,その有する本件土地建物の共有持分10分の1を原告に無償で移転することにしたものであり,すなわち,原告とAは,本件合意をもって,Aの原告に対する慰謝料債務につき,上記共有持分をもって代物弁済する旨の合意をしたものと解し得る。
しかしながら,代物弁済による債務消滅の効果は,代物の給付が現実にされた時,すなわち,本件合意に基づく原告への持分移転登記手続の完了時に生じるものであるから,現時点においては,未だAの原告に対する慰謝料債務が代物弁済により消滅したということはできない。
また,具体的な財産分与請求権は,協議・審判・判決等によって初めて形成されるものであるところ,本件合意当時も現在も,かかる意味でのAの原告に対する財産分与請求権は未だ発生していないものというほかないから,本件合意をもって,原告のAに対する慰謝料請求権が,Aの原告に対する財産分与請求権との相殺により消滅したということもできない。
(3) もっとも,原告が,その陳述書(甲6)において,一人で長男を養育しなければならないAの経済的負担を考慮して,Aに対し離婚慰謝料の支払を求めないことにした旨述べていることなどからすれば,本件合意をもって,原告は,Aに対し,被告との不貞を原因とする慰謝料を含む離婚慰謝料債務を免除したものとみることができる。
しかしながら,債権者が不真正連帯債務者の一人に対して債務を免除した場合でも,連帯債務における免除の絶対的効力を定めた民法437条の規定は適用されず,当該免除が他の不真正連帯債務者の債務をも免除する意思でされたものでない限り,他の不真正連帯債務者に免除の効力が及ぶものではなく,本件に現れた全事情によるも,原告のAに対する免除が,被告の慰謝料債務をも免除する意思でされたものであるとは到底認められない。
(4) 以上によれば,Aの慰謝料債務が消滅したことにより,これと不真正連帯の関係にある被告の慰謝料債務が消滅した旨の被告の主張は理由がない。
第4 結論
よって,原告の請求は主文掲記の限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判官 川﨑聡子)