○「
強制認知の訴え−親子関係の立証程度と方法」で述べた、説得しても採決等の資料収集に協力を得られないときは、鑑定による科学的裏付けなしに父子関係を認定してもやむを得ないとの判決(昭和57年6月30日東京高裁判決、判タ478号119頁)全文を紹介します。
「
鑑定に協力しないことをもつて直ちに控訴人(被告)に不利な判断をするのは相当でない」と言いながら事実上不利に判断しているとしか思えません。
*****************************************
主 文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
(控訴人)
一 原判決を取消す。
二 被控訴人の請求を棄却する。
三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
(被控訴人)
主文と同旨。
第二 当事者の主張及び証拠
当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人)
一 控訴人は結核性肋膜炎で入院中のAの主治医として同女と知合つたのであり、○○病院勤務中に自宅で夜間診療をしていたころ、看護婦資格のあつた同女に二週間ほど医療行為の補助をうけたことはあるが、同女を自宅に住込ませたことはない。とくに、同女の当時の病状からみて、医師たる控訴人が同女と男女の関係を持つような常識に反する行動をとるわけがない。
二 もし被控訴人がAと控訴人との間の子であるとすれば、同女は当然認知請求するはずであるのに、昭和10年ころ控訴人を相手方として同女の代理人B弁護士が申立てた訴訟ないし調停事件は認知請求ではない。そして、右事件において、控訴人は殆んど関与せずにその母Cがもつぱら交渉にあたつたのであるから、その話合の結果としてCが被控訴人を養子にしたことは、被控訴人が控訴人の子であることを裏付けるものとはいえず、被控訴人の本件認知請求は単なる想像によるものにすぎない。
三 なお、控訴人は全く身に覚えのない本件認知請求により鑑定のための採血をされることを憤り、これを拒否したもので、この態度を親子関係存否の認定に結びつけるのは不当である。
四 乙第一ないし第三号証を提出し、当審証人Dの証言を援用。甲第六号証が被控訴人主張のような写真であることは知らない。
(被控訴人)
一 昭和9年6月ころ被控訴人を妊娠中のAから、控訴人との内縁、婚姻関係をめぐる紛争解決についての委任をうけたB弁護士は、控訴人から委任をうけたCと交渉したが、控訴人とAの結婚に反対し、被控訴人の存在が控訴人の幸福な結婚の妨げとなることをおそれていたCは、認知請求を回避する方便として、被控訴人を自分の養子とせざるをえなかつたのである。だからこそ、Cは被控訴人と養子縁組しながら自宅に一度も連れてこなかつたし、縁組後わずか6か月後にE夫妻に養子に出したのであり、さらにその6か月後には控訴人はFと結婚しているのである。
二 医師である控訴人が鑑定に応じない理由は、被控訴人が自分の子であることを知悉しており、鑑定してもその親子関係を否定する結果が出ないことを知つているからである。
三 甲第6号証(昭和10年11月G撮影の被控訴人の写真)を提出し、当審証人Gの証言、当審における被控訴人本人の供述を援用。乙第1号証の原本の存在及び成立は認め、同第2、第3号証の成立は知らない。
理 由
一 その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したと推定される甲第1ないし第5号証、原審証人E、同H、当審証人Jの各証言、原審における控訴人本人(後記措信しない部分を除く。)及び当審における被控訴人本人の各供述を総合すると、次の各事実が認められ、原審における控訴人本人の供述及び当審証人Fの証言中、この認定に反する部分は、それ自体不自然であるばかりか前示の各証拠に照らしても直ちに措信できず、他に右認定に反する証拠はない(なお、前記○○証人の証言中、事件受任時期を昭和10年6月である旨述べた部分は、その証言する一連の経過事実からみると、昭和9年6月の誤りであると認められる。)。
1 A(明治45年1月22日生)は、福島県から上京して昭和7年ごろ○○大学の付属看護婦学校を卒業したが、その後結核性肋膜炎で同大学病院に入院中にその治療を担当した勤務医の控訴人(明治35年12月16日生)と知合い、昭和8年ころ控訴人が同病院勤務のかたわら控訴人現住居地の自宅で夜間診療を主とした診療所を開設した際、同所に住込みその診療の補助にあたつた(Aが2週間程度右診療の補助をしたことは、控訴人も自認するところである。)。
2 そのころ、Aは、右診療所を訪れた妹に対し、控訴人と結婚する予定であると話した。
3 控訴人の母Cは控訴人がAと結婚することに反対し、昭和9年ころすでに被控訴人を懐胎していたAを控訴人方から追出したため、同年6月ころ、Aは控訴人との結婚問題などをめぐる紛争解決をB弁護士に委任し、同弁護士は、そのころ控訴人を相手方として訴訟ないし調停を申立て、控訴人のために問題解決の衝に当つたCやK弁護士と約1年くらいの間接衝したが、その結果、右交渉期間中である昭和9年10月16日にAが生んだ被控訴人はCの養子とし、さらに控訴人がAに慰藉料を支払うことで話合いがつき、昭和10年5月10日被控訴人をCの養子とする届出がなされた。なお、右交渉中に、控訴人側から被控訴人が控訴人の子でない旨の積極的表明はなかつた。
4 しかし、右縁組後まもなく、Cは都内の公共乳児施設を通じ、被控訴人の養親を募集し、これに応募したE夫妻は、被控訴人を右施設から引取り、同年11月7日被控訴人を同夫妻の養子とする届出がなされたが、その間Cは同夫妻と会つていない。
5 被控訴人はその後、南朝鮮で同夫妻に養育され、昭和28年ころAの実家に照会し、実母Aが昭和11年に死亡したこと、実父は控訴人であることを教えられ、その後、それが真実であるかを確認すべく知人などを通じて控訴人に会う努力をしたが果されず、昭和36年4月に結婚して以降は生活、育児に追われてそのまま推移していたが、昭和53年ころ控訴人に対する認知請求を決意し、その後、B弁護士から昭和9、10年当時の事情を聴取できたことから、本訴請求をするにいたつた。
二 右認定事実、及び本件全証拠によるもAが昭和9年当時控訴人以外の男性と性的関係を結んだと認めることができないことに照らすと、被控訴人は控訴人の子であると推認することができる。
なお、Aが控訴人に対し被控訴人の認知請求をしたことについての確たる証拠はないが、この点も、前記認定のとおりの被控訴人出生前からの交渉経緯に照らせば、右推認に反するものとはいえず、また、Cが被控訴人を養子にした事実だけでは直ちに被控訴人が控訴人の子であることを裏付けるものでないという余地があるとしても、前記認定のとおりの養子縁組に至る経過、その後直ちに面識のないE夫妻の養子にしたことなどを考えると、認知請求を避けるため養子にしたと考えないとCの行動は著しく説明困難であるといわざるをえない。
そして、控訴人が採血等に協力しないため原審において控訴人と被控訴人との親子関係存否の鑑定結果がえられなかつたこと、控訴人は当審においても右の点の鑑定申請をしなかつたことは本件訴訟上明らかであるところ、控訴人はAが死亡している以上、右鑑定には意味がないかのように主張するが、少くとも親子関係否定の結果は確定的に得られる余地があるのであるから意味がないとはいえないし、鑑定に協力しないことをもつて直ちに控訴人に不利な判断をするのは相当でないとしても、その非協力の理由いかんにかかわらず、鑑定結果がえられない以上は、科学的裏付けなしに親子関係が存在すると推認することが不相当であるということはできない。
なお、被控訴人の認知請求がおくれたことについては、前記一の5項で認定したとおりの事情があるから、この点も、右推認を覆すに足りるものとはいえない。
三 したがつて、被控訴人の本訴請求は理由があり、これを認容した原判決は正当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民訴法95条、89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村岡二郎 裁判官 藤原康志 小林克巳)