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「母の再婚相手と子が養子縁組した後の面接交渉−裁判例解説」を続けます。
事案概要は次の通りです。
X、Yは、昭和57年3月に婚姻し、長男A(昭和57年10月出生)及び長女B(昭和61年7月出生)をもうけた、るも、平成5年5月A、Bの親権者をYとして協議離婚。
Yは、同年11月にZと再婚し、Zは同年12月にA・Bと養子縁組をして、Z、Y、A・Bの4人で生活をしていた。
このY・Zに対し実父Xが、年に1回程度のA・Bとの面接交渉を求めて審判申立。
Yらは、A・Bは現在、Yらと落ち着いた生活を送っており、Xとの面接交渉により動揺させたくないとして面接交渉申立却下を求めた。
○平成8年4月の審判言渡時期には、Aは中学校2年生(13歳)であり、Bは小学校4年生(9歳)であるが、未成年者のいずれも心身ともに健康であり、Zと未成年者ら間には良好な親子関係が形成され、安定した生活をしており、Yらによる未成年者らの監護教育上特に問題とすべき点はないとされています。
○この事案では、養父Zが養子A・Bの父として第1次的養育義務があり、実父Xの養育義務は、Zに養育能力がある限り、実父Xの養育料支払義務は消滅します。この審判例には、Xの養育料支払状況について記載はありませんが、母YがXに対し養育料支払を求めていたとは思えません。
○私自身離婚経験者ですが、離婚当時9ヶ月の子供が可愛くて仕方がなく、何としても離婚は避けたく、離婚を強く求める前妻に対し、「俺は離婚もしたくない、子供とも離れたくない、どうしても離婚したいなら離婚は認めるが、子供は俺が取る」と強く主張しました。そして子供が取れたなら、郷里気仙沼に戻り、実家の母や姉の協力を得て、気仙沼で弁護士稼業をしながら自分で子供を育てていく決意をし、気仙沼での事務所開業場所を物色していました。
○しかし、絶対離婚もする、子供も絶対手放さない、と強硬に主張する前妻に対し、最後は折れて、正に泣く泣く、離婚も、子供を手放すことも、承諾せざるを得ませんでした。離婚よりも、子供と離れることが、辛くて仕方がなく、いまでもあのときの辛い状況を思い出すと涙がこぼれます。離婚後数年間は、街を歩いていても我が子と同じ年頃の子供を見ると涙が溢れてくる辛い厳しい時を過ごしました。
○離婚後は、しばらく気の抜けた状態が続き、離婚3ヶ月後の子供の満1歳の誕生日にはプレゼントを贈っただけで、到底、子供に会いに行く心境にはなれませんでした。会っても直ぐに離れなければならず、子供に会えば、別れたことの辛さが募るだけと思ったからです。(続く)