○「
別れた子供との面接交渉実現のための強制執行」などのコンテンツで、私は、「
現に未成年者を監護している親の反対を押し切って面接交渉を強制的に実現することは子の福祉に反する可能性が高いので間接強制は認めるべきではないとの考えである」と繰り返し述べてきました。
○しかし、離婚後、子との面接交渉(面会)を切望しながら、子を監護する元妻に頑強に拒まれて、子との面会が出来ない状況にある父の立場の方からは、私の考えに対し、相当反発もあるようで、私の考えを非難するメールを何通か頂きました。
○私は、面会を拒否する元妻の立場を尊重し、擁護する気持は全くありません。形式論を言えば、子にとっては、別れても父は永遠に父であり、元妻は、父と子の面会に協力すべきであり、この点は、「
離婚成立に当たり−ある審判官の思いやり溢れた言葉に感激」に記載したA審判官と全く同じ考えです。
○しかし元妻が精神的に未熟で元夫への憎しみ・不信感を拭えず、元夫と自分が監護している子との面会が嫌で嫌で仕方がなく、無理に面会を実現すると、元妻と子との間に問題が生じるような場合に、面接交渉権、面接交渉権と権利性を強調して無理矢理、子と面接したいとの自分の欲求だけを通そうとする態度は、果たして、真実、子に対する愛情があるのだろうかと疑問を感ぜざるを得ません。
○私は、真実、子に対する愛情があるのであれば、
面接交渉とは、義務であって権利ではないと自覚すべきではと思っております。元妻も子のために実の父に面会させたいと思い、子も父と面会したいと希望する状況である場合、子との面会は義務と覚悟すべきですが、無理に面会することにより、子の母との生活に事実上支障が生じるような場合は、面会を我慢するのが真実の愛情と思えてなりません。
○たまたま私と同じ考えの裁判例が見つかりましたので以下に紹介します。昭和40年12月8日東京高裁決定(家月18巻7号31頁)です。
「
我が子に会いたいという相手方の一途な気持も十分理解し得るし同情も禁じ得ないのではあるが、2年前の離婚の際抗告人に事件本人の監護を託した限りは、抗告人の親権および監護権を尊重し、事件本人が成人して自ら条理を弁えるようになるまでそれとの面接を避け、蔭から事件本人の健全な成育を祈つていることが、事件本人を幸せにすることになるものと判断される。事件本人のことが気にかかるときは人を通じてその様子を聞くなり、密かに事件本人の姿を垣間見て、その見聞した生長振りに満足すべきである。自己の感情のままに行動することはそれが母性愛に出ずるものであつてもかえつて子を不幸にすることがある。子のために自己の感情を抑制すべきときはこれを抑制するのが母としての子に対する真の愛というべきである。」
親権者が父と言う特殊例ですが、「母」を「父」に置き換えても十分に通じる文章です。