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小松亀一法律事務所は、「男女問題」に熱心に取り組む法律事務所です。

東京家庭裁判所講演録

屈服と心服の違いの話

私は、相談者の方々に良く、「情による心服」と「力による屈服」と言う言葉を使用し、その違いをシッカリ理解する必要がありますと説明します。この言葉は私の造語的なところもあり、判りにくいと思いますので、少しつっこんで説明します。

■「情による心服」と「力による屈服」の違い
私の言う「情による心服」とは、夫婦間について言えば、相手の思いやりを感じて、極自然・自発的に相手と一緒に居たいと思っている心理状態を言います。この状態では、大抵の場合、相手と一緒に居ること自体で心が安らぎます。恋愛や結婚当初は大部分の方がこのような状態になっており、又この状態になったからこそ結婚するのが普通です。
これに対し「力による屈服」とは、夫婦間について言えば、自然な感情としては一緒に居たくないのに、何らかの圧力によって、やむを得ず相手と一緒に居る心理状態と言います。夫婦間の場合、何らかの圧力の典型は夫の暴力ですが、最も多いのは、妻が離れたら食えなくなると言う経済的圧力です。女性の働き場所も多くなり、共稼ぎの夫婦も増え、経済的圧力は少なくなりつつあるのは良い傾向であるとと思っています。

■意外に多いのは理屈による圧力
圧力で意外に多いのが、「−−すべき」と言う理屈による圧力です。「ひとたび結婚した以上、一緒に居るべき」であるとは民法上も規定されていますが、これも圧力です。「小さな子供が居る以上子供のために一緒に居るべき」と言われることが多いのですが、これも圧力です。
このような理屈での圧力による「屈服」が多いのは、圧力をかける当事者−多くの場合夫−がこれを圧力であると受けとめていないからです。学歴の高い人ほど、この理屈による圧力をかけたがります。
極端な場合、俺がこれほどお前達(妻と子供)のために一生懸命働いて頑張っているのに、俺と離れたいと言うなんてけしからん、人の道理に反する等と道理まで持ち出したりします。
しかし繰り返し述べてきましたが、人間の感情は「道理−人の道」などでは、決して動きません。道理を強調されるほど、説教される相手は、「この人、何にも判っていないな」とため息をついて益々相手が嫌になります。