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東京家庭裁判所講演録

人は力で倒せるけれど、心は情けは力じゃとれぬ

このような方に対し、私は、尊敬する作詞家星野哲郎氏作詞で平成14年6月死去された村田英雄氏が歌う「柔道一代」の二番の歌詞を次のように紹介します。

星野氏は、「人は力でたおせるけれど、心は情けは力じゃとれぬ」と見事に人間関係の要諦を喝破しています。弁護士稼業10年を経てこの歌詞に再会した時、優れた作詞家の人間洞察力の「凄さ」に唯々感服しました。

ここで言う「力」で倒すとは、単に柔道で相手を打ち負かすことのみを言っているのではありません。「力」とは柔道等の肉体的な力のみならず、大は法による国家権力から小は個人的な繰り言・雑言・小言に至るまであらゆる圧力です。お金即ち経済力、組織での上下関係、世間体、道理等理屈を説明する言葉など全て圧力です。

これらの圧力によって人を従わせることは出来ます。これが「屈服」であり、「力で倒す」ことです。 しかし、「屈服」させた即ち「力で倒した」状態では、倒された人の本心は、いつも出来ればこの状態から逃れたいと思っています。従って圧力が弱まったり、或いは本人の対抗する力が強くなると忽ち服従状態から離脱します。

これに対し、情けや心を取るとは、圧力無しで本人自ら自発的に従う状況です。これを私は「心服」と表現しました。「心服」は決して力ー圧力では実現できず、又、自らの意思で自発的に服している状態なので容易に離脱しません。

星野先生は、このことを短い言葉で的確に表現されています。これに続く「春の夜風に吹かれる柳、みたぞまことのおとこぶり」と言う歌詞は、更に見事です。柳は、夜風に吹かれるままにふわりふわりと漂うだけで、軽薄で頼りなさそうに見えます。しかし吹かれる風に無駄な抵抗はしないものの、ドッシリと大地に根を降ろして、枝や葉っぱは揺れても幹は容易に揺らぎません。

一寸したことに大騒ぎせず、柳に風と受け流しながら、ビシッと芯は通す姿勢に真実の強さを見たものです。
婚姻関係が破綻に瀕している方は、大抵、気持ちの余裕がなくなり、小さなことに気を取られ、相手のあら探しと自己正当化の弁解に終始します。大変、難しいけれども、春の夜風に吹かれる柳の如き気持ちを持ちましょうとアドバイスします。