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小松亀一法律事務所は、「相続家族」問題に熱心に取り組む法律事務所です。

親子

新生児取違での親子関係不存在確認請求が権利濫用とされた判決全文紹介2

○「新生児取違での親子関係不存在確認請求が権利濫用とされた判決全文紹介1」の続きで、争点です。
病院での取り違えによって生物学的には親子でなかったことが判明している場合でも、親子関係不存在確認請求が、権利濫用として許されないかどうかが、最大且つ唯一の争点です。


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二 争点
 本件訴訟の争点は、被控訴人らの本件請求が権利の濫用に当たるか否かである。
(1) 控訴人の主張
ア 控訴人の出生から太郎・花子夫婦の死亡まで50年間前後にわたり、同夫婦と控訴人との間には実の親子と同様の生活の実体があった。
 控訴人は、新生児であった当時、花子が出産した乙山病院(東京都《略》所在)で太郎・花子夫婦の実子と取り違えられたものと思われるが、太郎・花子夫婦は、そのようなことは全く知らないまま、控訴人を実子と信じて一生を終えた。控訴人も、本件鑑定の結果が出るまで、同夫婦との間に親子関係がないなどとは、夢にも思わなかった。そのため、控訴人は同夫婦の実子であることを証明しようとして、本件鑑定を受けた。

イ しかし、本件鑑定が控訴人の予想外の結果になったため、控訴人は激しいショックを受けており、それはいまだに癒えていない。まして、控訴人と太郎・花子夫婦との間の親子関係の不存在を確認する原判決が確定すれば、控訴人がさらに著しい精神的苦痛を受けることは必定である。加えて、控訴人の家族の社会生活に与える影響も極めて大きく、ことに長女竹子(平成元年4月25日生)、二女梅子(平成3年4月28日生)の就職、結婚などに重大な不利益が想定される。

ウ 太郎・花子夫婦が生存していれば、控訴人を見捨てることなく、養子縁組をしてくれたはずである。しかし、同夫婦はいずれも既に死亡しており、養子縁組をすることは不可能である。

エ 控訴人と太郎・花子夫婦との間の親子関係の不存在を確認する原判決が確定すれば、控訴人は、太郎及び花子の相続人の地位を失う。しかし、控訴人は、花子から相続した土地上に自宅建物を建てて家族と共に居住していることを始め、遺産分割により取得した花子の相続財産(現金約500万円、上記土地3000万円相当)を基礎として生活を営んできており、これを不当利得として返還しなければならなくなると、控訴人の経済的不利益は極めて大きい。

オ 太郎は公正証書遺言を残して死亡したが、被控訴人らは、花子の遺産分割において控訴人が法定相続分を大きく超える相続財産を取得したとして、太郎の遺産分割においては、公正証書遺言の内容と異なる分割を主張した。そして、被控訴人らは、平成20年5月ころ、控訴人に対し、太郎の遺産分割につき分割案を示したが、この案では控訴人の取得分が太郎の公正証書遺言の内容よりも少なくなっていたので、控訴人がこの案を拒絶したところ、その後まもなく、被控訴人らが本件訴訟を提起した。すなわち、被控訴人らは、太郎の遺産分割を有利に進めることを目的として本件訴訟を提起したのである。そして、被控訴人らは、本件請求が認容されれば、財産的利得を得ることになるが、認容されなくても、格別不利益な状態は生じないのである。

カ 最高裁平成17年(受)第833号、同第1708号各平成18年7月7日第二小法廷判決(民集60巻6号2307頁、裁判集民事220号673頁)は、親子関係不存在確認請求について権利濫用を認めており、本件訴訟でも同様に権利濫用が認められるベきである。

(2) 被控訴人らの反論
ア 民法は、親子関係につき血縁主義の原則に基づくものであり、これが戸籍に正しく表示されることが、身分的法律関係の基礎となる。被控訴人らは、自然的血縁関係の不存在であることを理由に、本件請求をしているものであり、これが濫用とされるいわれはない。

イ 権利濫用を肯定した二件の最高裁平成18年7月7日判決は、いわゆる「藁の上からの養子」の事案であって、戸籍上の親の側に虚偽の戸籍作出につき帰責事由が認められる事案である。しかし、濫用は極めて例外的にしか認められるべきでなく、そもそも、本件は、戸籍上の親の側に何ら帰責事由や禁反言の事情は存在せず、上記判例の射程距離外にある。

ウ 花子は、生前、控訴人が病院で生まれたとき、花子が用意した産着と異なる粗末な産着を着せられて、花子のもとに連れられてきたという話を繰り返し語っていた。花子は、産着が異なることから、病院での新生児取り違えを察知し、控訴人が実子でないことを推察していたものである。
 花子が、控訴人に対し親子関係不存在確認請求訴訟の提起等をしなかったのは、そのような手続を知らなかったからにすぎず、繰り返し産着の話をしていたのは、被控訴人らに対し、その疑念を晴らしてほしいという意思を伝えていたものである。

エ 控訴人は、花子の死後、老齢の太郎に対し冷たい態度を取ったばかりか、被控訴人らに対しても冷たい態度を取ってきており、甲野家の長男としてふさわしくない。花子の遺産分割の際、控訴人が、脳梗塞で認知症になった太郎の在宅介護を引き受けると言うので、被控訴人らが、控訴人に花子の遺産の大半を取得させたにもかかわらず、控訴人は太郎を老人施設に入所させようとし、これに反対して在宅介護を始めた被控訴人らに協力することを拒絶し、その後、被控訴人らの要求により在宅介護を分担するようになった後も、十分な介護をしなかった。

 被控訴人らは、それ以前、花子から産着の話を聞いてもまさかと思っていたが、控訴人が太郎に対しあまりに冷たいのを見て、本当に血のつながりがないから、これほど冷たいのではないかと思うようになった。被控訴人三郎は、当時、北海道で勤務していたが、介護のため転勤を希望し、太郎・花子夫婦がときどき使用していた船橋の家に転居して、兄弟と共に太郎の在宅介護に当たり、太郎の死後も船橋の家に居住している。控訴人は、太郎の公正証書遺言に船橋の家は控訴人に相続させると記載されていることを楯にとって、当初、被控訴人三郎に対し船橋の家の明渡しを求めると解される態度を取り、当審に至っても、上記家の時価による買取り又は賃借を求める等述べているのである(乙6、7)。

オ 控訴人が被害と主張する精神的苦痛は、事柄の性質上甘受すべきものであるし、経済的不利益を被ることも法的な効果にほかならないから、やむを得ないものである。被控訴人らがその反面において財産的利得を得ることも本来あるべき状態になるにすぎず、何ら問題というべきではない。