○「
DNA鑑定を廃し父子関係を認定した平成9年11月12日大分地裁判決紹介2」の続きです。
親子鑑定について勉強になります。
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6 親子鑑定
この項の参考資料は、勝又義直「DNAを利用した親子鑑定」(ジュリスト特集94頁)、勝又義直「法医学とマイクロサテライト」(DNA多型Vol2、23頁、1994年)、東京大学医学部法医学教室編「法医学の新しい展開」179頁以下(サイエンス社)である。親子鑑定は、法律上の親子関係を判断するための資料提供の問題であるが、重要な問題であるのでここで検討する。併せて、本件で実施された鑑定人(氏名省略)の鑑定結果(以下「本鑑定」という。)に対する評価も試みる。
親子鑑定、ないし科学的親子鑑定のうち、血液鑑定については、赤血球型の多型性の発見、白血球型の多型性の発見により著しく信頼性が高まり、鑑定としての信頼性は定着している。
近年親子鑑定で実施されるようになったDNA鑑定についての知見は次のとおりである。
(1) ヒトDNAをある制限酵素によって分解すると、さまざまな長さのDNA断片が生じる。ここで、一つの制限酵素認識部位に注目すると、その認識部位の塩基配列に変異がある人では、その部位での制限酵素による切断が起こらない。そのため、一見同じように切断されたように見えるDNA断片も、実は人によって長さの違いが生じている。このような塩基配列の変異によって生じる多型性をPFLPs(制限酵素の切断によって生じるDNA断片の長さの多型)と呼ぶ。
(2) PFLPsの検出法は次による。血液等の検査材料から抽出・精製操作によりDNAを得、これを適当な制限酵素により分断する。この作用で高分子量DNAはさまざまなサイズの低分子量DNA断片となる。これを電気泳動にかけて長さに従って整列させ、フィルターに転写してDNA断片を固定する。次に多型性を示すDNA断片と相補的な塩基配列を持つDNA(マーカー)をアイソトープ(放射性同位元素)で標識し(標識したDNAをプロープと呼ぶ)、それを適当な条件下でフィルターと対合(ハイブリダイズ)させる。目的のDNA断片と対合しない過剰のプロープを洗い流し、フィルターとX線フィルムを重ね、オートラジオグラフィーによりバンド(位置、太さ・濃さの異なる平行線。位置がDNA断片の長さを、太さ・濃さがDNA断片の量を示す。)を検出する。
(3) PFLPsは、制限酵素認識部位の一つに変異が生じていることにより多型性を示すもので、基本的には変異があるかないかの違いで多型性に乏しく、より多型性に富む方法が求められていた。
(4) ヒトゲノムDNA(人の遺伝子中のDNA全体)の約50パーセントは唯一の配列を持つ部分でシングルコピーDNAと呼ばれ、残りの50パーセントは多数の類似した配列の繰り返しから成っており、反復配列DNAと呼ぶ。反復配列DNAは、繰り返し単位・繰り返し数・存在状態等でいくつかの種類に分類され、この中で比較的短い一定の配列を一単位とし縦列に連続して繰返している配列を単純配列DNA(サテライトDNA)という。このサテライトDNAのうち、一反復単位が数十ベース程度と小さく、その反復度も数千回以下のサテライトDNAをミニサテライトDNAと呼ぶ。このミニサテライトDNAは、繰り返し単位の繰り返し数の違いにより多型性を示すことが知られている。(付言すると、PFLPsは塩基配列の多型性であり、ミニサテライトDNAは繰り返し数の多型性であり、全く異なるものである。)このミニサテライトDNAの多型性は、①DNAがどのように切断されてもその部分の長さの違いは必ず現われるため、制限酵素の種類によらず多型性を検出できる、②反復配列の繰り返し数に応じてDNA断片の長さが異なることに由来するものであるから、対立遺伝子の数が圧倒的に多い、という点で多型性DNAマーカーとして有用性が高いとされる。
(5) 英国のJeffreysらは、ヒトミオグロビン遺伝子の第一イントロンの中に三三塩基対を一単位とする4回繰り返しの縦列反復配列を見出し、その後このような比較的短い縦列反復配列構造(ミニサテライトDNA)はヒトゲノム中にかなり多数散在していることを発見した。これらミニサテライトDNAは、それぞれ独立した多型性を示すが、その塩基配列は互いに類似しており、多くのミニサテライトDNAが共有すると考えられる共通配列“Core”の縦列配列からなるミニサテライトクローンとはかなり多くのミニサテライトDNAがクロスハイブリダイズ(共通対合・私訳)する。そのため、この共通対合するクローンをマーカーとして(2)の操作を行うと、同時に多くのミニサテライトDNAを検出でき、かつ、一つ一つのミニサテライトDNAが多型性を示すから、多型性を示す数多くのバンドからなる複雑なパターンを示す。Jeffreysらは、バンドの出現頻度から、偶然に他人同志が全く同じバンドパターンを持つ確率を約10のマイナス11乗と算出し、このバンドパターンがほとんど個人特異的であることを示し、DNAフィンガープリント(DNA指紋)と命名した。
(6) 血縁関係の全くない複数の他人同志のDNAフィンガープリントと親子関係のある者同志のDNAフィンガープリントと対比すると、血縁関係の全くない者の同志は、数本のバンドを共有することはあるが、全体のパターンが一致することはなく、類似性もない。親子関係のある者同志では、子供のバンドの各々は、必ずどちらかの親(母親又は父親)に共通するバンドがあり、子供のバンドはそれぞれどちらかの親に由来することを理解でき、また、血縁関係のある者同志では共有するバンドが多い。これらの事実から、DNAフィンガープリントの特徴として、①数多くのバンドからなること、②そのバンドのパターンは極めて多型性に富んでおり、個人特異的であること、③体細胞においては遺伝的に極めて安定で、ある人のすべての細胞から、必ず同一のパターンが得られること、④各バンドはメンデルの法則に従って親から子に正確に遺伝していること、が挙げられている。
(7) DNAフィンガープリントの検出・読影は一定の技術と施設を必要とするが、現在要求される技術と施設の内容は確立しており、右を有する施設において、犯罪捜査や親子鑑定に利用されている。
(8) DNAフィンガープリントはDNAの様々な場所(ローカスと呼ばれる。)の情報の一つのプロープ(DNAマーカー)でまとめて読む手法であるが、その後、特異性を高めたプロープ(DNAマーカー)により一カ所のローカス(DNAの場所)の情報のみを読む手法が開発された。前者はマルチローカスプロープ法とも呼ばれ、後者はシングルローカスプロープ法と呼ばれる。シングルローカスプロープ法では、DNAの特定のローカス(場所)のみの情報のため、父からの一本と母からの一本の二本のバンドのみが検出される。従って、マルチローカスプロープ法(DNAフィンガープリント)より識別能力は劣るが、分析法は比較的単純とされる。
(9) 最近、DNA鑑定に、分子生物学研究の手法であるPCR法、即ちDNAの特定領域(2000塩基程度までの長さ)を10万倍から100万倍までに増幅する手法を導入する技法が開発された。PCR法を利用した分析法は各種あるが、長さの違いを分析するものは、PCRにより増幅したDNA断片に含まれる繰り返し数の違いによる断片全体の長さの違いを電気泳動で検出するものである。原理的にはシングルローカスプロープ法に類似しているが、プロープを用いず、ゲルを直接染色してDNAバンドを検出する。ミニサテライトはPCR法を用いるには断片長が長すぎ、現在は断片長の短いMCT118と呼ばれるローカス(DNAの場所)に限られている。
(10) ヒトDNAには、二一五塩基を繰り返し単位とする全体が短いマイクロサテライトと呼ばれるローカス(場所)が多数散在することが分かっている。マイクロサテライトはショートタンデムリピート(STR)とも呼ばれ、増幅されるDNA断片全体の長さが数百塩基以下と短いものがほとんどで、PCRによる分析に適している。マイクロサテライトは、同じローカス内の異なったタイプ(アリルと呼ばれる。)の種類が少ないため識別能力に劣るが、多くのローカスを選択することで識別能力を高めることができる。マイクロサテライトによるDNA分析は、手技が簡単で、微量の資料で分析でき、断片長の長さを正確に決定できるという点で、これからのDNA分析の主流になるという予測もある。現在、パーキン・エルマー社から七個、プロメガ社から九個のマイクロサテライトの分析キットが市販されている。
(11) DNA鑑定全体について現在次の技術的問題点が指摘されている。
①検査法の標準化がなく、また潜在的エラー率が測定されていない。
②電気泳動法によるDNA断片長の決定は不確実で、エラーが起こりやすい。不適切な操作があるほかに技術的な限界もある。
③確立計算の基礎となる有効な日本人頻度が明らかになっていない。
マイクロサテライトを利用したDNA分析には次の問題点が指摘されている。
①変異性が乏しい座位が多く、個人識別の精度を上げるには多くの座位の組み合わせが必要である。
②反復単位が小さいため、正確な断片長の測定がされなければならない。
③時に二本のDNA断片のうち一本が増幅されないことがある。
④もともとPCRでは高分子側のアリル(同じローカス内の異なったタイプをアリルという。)が増幅しにくい傾向があり、みかけ上低分子側のみが出現することがある。
⑤塩基置換により増幅が起きないことがあり、変異があって通常と違う長さが出現することもある。
⑥日本人頻度が各座位で充分調査されていない。
以上から、マイクロサテライトの今後の課題として次が指摘されている。
①確実なアリルの検出と判定方法
ア・シークエンスゲルの使用が妥当。
イ・ホモ接合体やインターアリルとなった場合の検証手順の確立。
②利用座位の選定
ア・高変異で、ホモ接合体の出現頻度が充分低いもの。
イ・相互に連鎖関係のないもの。
③有効な遺伝子頻度調査
ア・日本人における充分なデータベースの作成。
イ・諸外国のデータとの比較。
④DNA鑑定における一般的な課題
ア・検査期間の技術水準の維持とその証明。
イ・PCR基本特許などの実務利用における特許問題の解決。
以上の検討を前提に、本鑑定の評価を試みる。
第一に、親子鑑定として高い信頼性が確定している血液型鑑定においては、原被告には父子関係が存在するとして矛盾しないという結論が出ていることに注目したい。
第二に、本鑑定が行ったDNA鑑定は、PCR法によりマイクロサテライトの繰り返し数の多型を分析するもので、DNA鑑定の技法としては最近開発されたものであり、現在その信頼性を確保するための条件が検討されつつあるものであることが指摘されなければならない。いいかえれば、まだ確実な信頼性が確保されたものではないといえる。
第三に、本鑑定は、「四つの座位のうち、二つ以上の遺伝子システム(遺伝子座位)で父子関係が成立しなければ父子関係は否定される。」という前提を立てるが、右前提は遺伝法則を根拠としたものではない。DNA鑑定の根拠たる遺伝法則は、特定のマイクロサテライトの繰り返し数は一本は父からの遺伝子で決定され、一本は母からの遺伝子で決定されるという理論であるから、遺伝法則だけでDNA鑑定の前提を立てるとすれば、「四つの座位のうち一つでも父子関係が成立しないものがあれば、父子関係は否定される。」というものでなければならないはずである。本鑑定において、何故遺伝法則と異なる前提を立てたのか、その前提の根拠は何かが記載されておらず、その信用性を検討することはできない。(可能性として、検査技法の信頼性から設定された前提ではないかとも考えられるが、そうすると、この検査技法が一定の誤りが発生することを前提としたものであるということになる。そうであるなら、誤りの発生確率を明かにしたうえで、前記前提の正当性が示されなければならないが、そのような記載はない。)
第四に、本鑑定では、PCR法により増幅したDNA断片長をフィルターに転写したうえプロープ(目的DNA断片と対合する放射性同位元素で標識したDNAクローン)と対合(ハイブリダイズ)させてバンドを検出している。しかし、これは上記記載のPCR法、即ち、PCR法により増幅し電気泳動させたゲルを直接染色することによりバンドを検出する技法と異なる。本来PCR法は目的たる特定のDNA断片を増幅させるものであるから、プロープを利用した目的DNA断片の特定は不必要なはずである。私は、本鑑定の技法が結果に影響を及ぼすものか否かは分からないが、少なくとも本鑑定が一般に用いられる技法と異なる技法を用いていることは指摘されなければならないと思う。
第五に、本鑑定で、晶子と被告との母子関係の存否についてDNA鑑定を実施し、全ての座位で母子関係を肯定する結果が出ていれば本鑑定の技法の信頼性が確認できるところであるが、本鑑定はそれを行っていない。
結論として、私は、原被告の血縁上の父子関係については、信頼性の確立している血液型鑑定では父子関係があるとして矛盾はないとの結論が出たものであり、DNA鑑定では父子関係は否定されるとの意見が提出されたが、用いられた技法の一般的信頼性が確立しているとはいえず、また、本件における具体的技法にも疑問点があり、DNA鑑定に基き原被告の血縁上の父子関係は存在しないと完全に決定することはできず、一定の留保を置くべきものと評価する。