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判例紹介

幼少期性的虐待除斥期間適用平成25年4月16日釧路地裁判決理由全文紹介1

○「幼少期虐待除斥期間適用排斥平成26年9月25日札幌高裁判決全文紹介1」に続いて、その原審である平成25年4月16日釧路地裁判決(判時2197号110頁)理由全文を2回に分けて紹介します。

○原告が、叔父である被告から、3歳時から8歳時までの間に、多数回にわたって繰り返しわいせつ行為と1回の姦淫行為を受け、それによりPTSD等の精神疾患を発症したとして、被告叔父に対し、不法行為に基づき、慰謝料等の支払を求めました。第一審釧路地裁判決は、被告に原告に対する本件性的虐待行為が存在したこと、この虐待行為と原告のPTSD発症との間に因果関係があることを認めました。

○しかし、結論としては、性的虐待行為終了前に原告のPTSD等損害が発生していたところ、一連のわいせつ行為からなる本件性的虐待行為を一個の行為と擬制して、その起算点を本件性的虐待行為の最終時点としても、その時点から本件訴訟の提起までに20年が経過しているから、民法724条後段に定める除斥期間が経過しているとして、原告の請求を棄却しました。

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第三 当裁判所の判断
一 争点一(被告による原告に対する本件性的虐待行為の内容)について

(1) 原告は、被告から時期及び内容が特定できるだけでも本件行為①から⑪までの本件性的虐待行為を受けた旨主張し、被告は、四度のわいせつ行為があったことのみ認めるものの、わいせつ行為の内容や、原告が主張するその余のわいせつ行為や姦淫行為があったことを争っている。
 原告は、主として陳述書(甲九)において、前記主張に沿う被告からの本件性的虐待行為の内容を供述するとともに、記憶にある当時の状況や感情についても併せて供述している。これに対し、被告は、特段、本件性的虐待行為の有無や内容に関する反証をしていない。
 そこで、以下、原告の供述の信用性を検討することとする。

(2) 原告の供述の信用性を検討する前提として、前記前提事実、後掲の各証拠及び弁論の全趣旨によれば以下のとおりの事実が認められる。
ア 本件当時のころから現在に至るまで、原告には、原告が成長したり、生活に転機が訪れたりすると症状の軽重には違いがあるものの、①被告からのわいせつ行為に関連したフラッシュバック、悪夢等の侵入症状、②睡眠障害等の覚醒亢進症状、③祖父宅に上がることができないなど、被告からの性的虐待を想起させる考えを避けるといった回避症状といった、DSM―Ⅳ―TR(米国精神医学会による「精神疾患の分類と診断の手引」)におけるPTSDとの診断要素となる症状が出現していた。加えて、離人症性障害の診断要素となる離人体験も出現していたほか、爪かみなどの自傷行為、絶望感、希死念慮等も出現した。
 しかし、原告は、後記のとおり、平成18年に受診するまで、これらの症状につき、医師の診断を受けることはなかった。

イ 原告は、釧路市内の高等学校を卒業後、いったん就職したが、看護師になろうと考え、看護専門学校に入学した。
 卒業後は、横浜市内の病院に看護師として勤務した。
 原告は、平成9年、夫であるE(以下「E」という。)と交際するようになり、その後、新潟市に転勤することになったEに伴い、同市に転居した。原告は、平成13年6月8日、Eと婚姻した。原告は、婚姻後、看護師や養護教員として稼働していた。

ウ 平成18年1月、医師であるEが診療所を開設し、原告は、同診療所の看護師や経理として稼働した。原告は、平成18年9月ころから著しい不眠、意欲低下、イライラ等の症状に悩まされるようになり、また、体重も短期間で約10キログラム減少した。原告は、神経内科医であるEからうつ病の疑いと診断され、抗うつ薬等を処方されたが、症状は改善されず、希死念慮も出現したため、平成19年7月には、通院を開始した。
 しかし、その後も原告の症状は悪化し、原告は、日中は動くことができなくなり、物ごとを楽しんだり、笑ったりすることができなくなるなどした。さらに、自傷行為が悪化しており、離人症などの症状もあることから、上記病院の医師は、うつ病としては非典型的であり診断を確定できないとした。

エ 原告は、平成20年ころになると、経理などの事務仕事もできなくなり、釧路市内の実家で療養することとし、同年12月に釧路市に転居した。平成21年2月からは釧路赤十字病院に通院したが、症状の改善は見られなかった。

オ 原告は、平成23年1月ころの父親とのけんかをきっかけとして、平成23年2月2日、釧路赤十字病院の医師に対し、被告から性的虐待を受けた旨告白し、当時の記憶の侵入があることなどを伝えた。

カ 平成23年3月11日に東日本大震災が発生し、原告は、テレビや新聞で震災に関する報道やPTSDに関する報道を目にした。原告は、これにより自らが苦しんできた諸症状がPTSDによるものと確信するようになり、Eや両親に本件性的虐待行為があったことを告白した。

キ 原告は、平成23年3月17日、両親の立会いのもとで被告と面会し、被告に対し、本件性的虐待行為の有無や内容を問い質すとともに、本件性的虐待行為に基づく損害賠償金を要求するなどした。
 被告は、当初、一部のわいせつ行為については認めたものの、姦淫行為があったこと等については否定したが、最終的には姦淫行為についても認めるに至り、500万円の損害賠償金を支払う旨約束した。

ク 原告は、平成23年4月4日、釧路赤十字病院において、「心的外傷後ストレス障害・抑うつ状態」と診断された。

ケ 原告は、平成23年8月1日以降、東京女子医科大学附属女性生涯健康センターを受診した。同センターのF医師は、原告と面接し、また、同センターの臨床心理士が行った心理検査の結果等を踏まえ、DSM―Ⅳ―TRの診断基準に従い、原告の精神医学的状態については外傷後ストレス障害(主診断)、離人症性障害、大うつ病エピソード(以下「うつ病」ということもある。)及び特定不能の摂食障害であると診断した。


 同医師は、PTSD及び離人症性障害の発症時期については、原告には被告によるわいせつ行為を受けていた当時から種々のPTSDに特徴的な症状が現れていたことなどから、六歳から七歳ころに発症したものと推定されるとした。うつ病については、PTSD及び離人症性障害に遅れて発症したもので、Eが診療所を開設した時期の激務や妊娠出産への不安等の影響が見られるが、本件性的虐待行為が重大な一要因であるとした。
 また、重症度は重度、治癒については現時点では不明としている。

(3)
ア 原告の供述内容それ自体について見ると、原告は、本件性的虐待行為の内容のほか、記憶にある当時の状況や感情を供述しており、その内容は具体的かつ詳細である。また、原告の供述する被告によるわいせつ行為は、原告が成長するごとにエスカレートしていき、最終的に姦淫行為に至るというもので、親族である幼少期の者に対して連続的にわいせつ行為を行う者の行動として自然であるということができる。

 確かに本件当時、原告は3歳10か月から8歳10か月と幼少であったが、本件のように長期間にわたって、決まった時期において、その時期の子どもにとっては極めて非日常的行為であるわいせつ行為を受けたとする経験は、詳細を記憶していてもおかしくないし、姦淫行為については特に衝撃的な出来事であって、より深く記憶に刻まれると考えるのが自然であるから、原告の詳細な供述内容は特段不自然というべきではない。

イ そして、本件においては、被告は、原告に対して複数回わいせつ行為を行ったことは認めており、原告がありもしない被告からのわいせつ行為を供述しているという事態は否定されている。そのような状況の中、原告は、本件性的虐待行為について、わいせつ行為は多数回行われたと供述する一方で、姦淫行為があったのは最後の一回だけであったと供述し、さらに、本件行為①ないし⑪を記憶に基づき特定ができるわいせつ行為として供述している。原告としては、継続的に姦淫行為をされていたと供述することも可能であったのであるから、上記のように、姦淫行為は一回だけであったとし、それ以外のわいせつ行為についても記憶にある範囲で特定しているとする原告の供述態度は真摯なものといえる。

(4) 以上の検討と、原告には、PTSDの症状の一つとして、本件性的虐待行為についてのフラッシュバックが認められることからすると、被告から本件性的虐待行為を受けたとする原告の前記供述は、概ね信用することができる。
 特に、姦淫行為の有無については、本件訴訟において被告は否定するものの、平成23年3月17日に原告や原告の父との話し合いの際には最終的に姦淫行為を認めていたことや、上記のような原告の供述内容及び供述態度からすると、姦淫行為があったと認めるのが相当である。
 そして、姦淫行為があった時期は、原告の供述する被告による最後のわいせつ行為が姦淫行為を含む本件行為⑪であること、その時期は被告が認める最終のわいせつ行為があった時期と一致することからして、昭和58年1月上旬ころと認めるのが相当である。
 他方、その他の本件行為①ないし本件行為⑩の時期については、いかに本件性的虐待行為が幼少期の原告にとっても記憶に残る衝撃的な出来事であったとしても、当時の原告が幼少であること及び被告によるわいせつ行為が同じ場所で繰り返しなされていることなどにかんがみると、その内容と結びつくわいせつ行為を受けた時期についてまで詳細に記憶していると断定するのは難しい。

 そうすると、原告の供述からは、原告が、本件当時、祖父宅に帰省した被告から多数回にわたるわいせつ行為を受けたこと及びわいせつ行為の内容としては、原告が本件行為①ないし⑩として主張する内容と概ね同様であり、だんだんとエスカレートして、昭和58年1月上旬ころの姦淫行為(本件行為⑪)に至ったことの各事実が認められるというべきである。

二 争点二(原告の精神疾患と本件性的虐待行為との因果関係)について
 前記のとおり、F医師は、その意見書及び証人尋問において、原告は、本件性的虐待行為によりPTSD及び離人症性障害を発症し、本件性的虐待行為を重大な一要因として大うつ病エピソードを発症したと診断しており、本件において、本件性的虐待行為以外に、原告の各種精神疾患の原因となるような事象は見当たらないことも考え併せれば、原告のPTSD、離人症性障害及び大うつ病エピソードと本件性的虐待行為との間には因果関係があると認めることができる。

 この点について、被告は、結婚生活上のストレス等を指摘するが、そもそもPTSDや離人症性障害の発症時期は、原告が6歳から7歳のころである上、前記のとおり、本件において、本件性的虐待行為以外に、原告のPTSDや離人症性障害発症の原因となるような重大な外傷的出来事は見当たらない。大うつ病エピソードについて、Eの診療所開設当時の多忙等本件性的虐待行為後に
原告に生じたストレス要因が影響を与えているとしても、本件性的虐待行為が存在すること及びPTSD患者がうつ病を併発することが多いことを考慮すれば、その後の要因は発症のきっかけに過ぎず、本件性的虐待行為と大うつ病エピソードの因果関係を肯定することができるというべきである。