○「
婚約成立後守操義務違反による結婚式費用等損害認容判例全文紹介3」に続けて、婚約しても婚姻中と同様の守操義務はないとした昭和52年8月31日神戸地裁尼崎支部判決(家月32巻10号55頁)全文を2回に分けて紹介します。
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主 文
1 被告は原告に対し金5万円及びこれに対する昭和50年10月21日から支払ずみまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを100分し、その99を原告の負担、その余を被告の負担とする。
4 この判決は仮に執行することができる。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
(請求の趣旨)
1 被告は原告に対し金500万円及びこれに対する昭和50年10月21日(訴状送達の翌日)から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
(請求の趣旨に対する答弁)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
(請求原因)
一 (当事者及び訴外Aの関係)
原告は神戸市○○区に所在する○○株式会社の代表取締役、被告は東京都内に本社を有する有限会社○○事業部(神戸市○○区所在)の責任者である。
原告は、昭和49年7月5日、○○市立○○センター結婚部の紹介を機縁として訴外A(旧性○○)と婚姻したが、同訴外人はそれより前、同43年7月頃から、被告の妻B(Aと従姉妹)の世話で右○○事業部に事務員として雇傭されていた。
二 (本件不法行為に至る経緯)
ところで、原告が最初にAを紹介され、見合いしたのは昭和48年7月21日であるが、その後婚姻を前提として交際を継続し、同年10月頃には双方ともほぼ婚姻の決意を固め、翌49年2月には婚約、同年4月7日結納をおさめた。
これより前、被告は、Aを雇傭して間もない頃、同人に対し情交を求めたことがあつたが、同人はこれを峻拒した。けれども、被告はその後も引続き執拗にこれを求め続け、昭和43年8月頃Aは結局否応なしにこれに応じさせられた。そして右のような関係はその後、数年にわたって続けられていた。
しかし、Aは原告と交際を続けるうち、原告との婚姻を決意するようになつたので、右見合いの頃より被告に対し右事情を告げ、従前の関係の解消を求めた。これに対し、被告は依然として右関係の継続を迫り、Aの願いを拒絶した。その後前記のとおり、Aは原告と婚約するに至つたので、被告に対しこれを契機に従前の関係の一挙解消を強く求めたが、被告はこれに応じないだけでなく、暗に原告との婚約の破棄を勧奨し、剰え原告への発覚を怖れるAの弱身に乗じて、引続き情交関係を迫ることを止めなかつた。
三 (被告の不法行為)
1 被告は、前記婚約成立後もAに情交を迫り、その都度目的を達していたが、原告がAに結納をおさめた昭和49年4月7日以後においてもなおこれを継続することを止めなかった。この間、Aは、原告への背信に苦悩し、且つ被告にその苦衷を告げ、被告との関係解消を従前にも増して強く求めたことはいう迄もない。原告とAとの右婚約成立(結納)後被告がAと情交した日時・場所は次のとおりである。
〈1〉 昭和49年4月12日
神戸市○○区○○町×の×
○○ホテル
〈2〉 同月20日
神戸市○○区○○町×××
○○モーテル
〈3〉 同月27日
尼崎市○○○×丁目××−××
○○○ホテル
2 また、被告は、原告とAとの婚約成立後も同人と前記情交関係を続けながら、他方原告が右関係に疑念を抱いていることを聞知するや、昭和49年5月頃自己の勤務先附近喫茶店において、原告に対し、あらぬ疑いをかけたと称して威嚇的言辞を弄し、且つ原告を告訴する旨脅迫した。
四 (被告の損害賠償責任)
いう迄もなく婚約とは将来婚姻を締結しようとする当事者間の契約である。したがつて、右婚約成立と同時に、原告及びAは相互に貞操の保持を求める権利を有するのは勿論、右婚約の事実を知る第三者が右権利を侵害した場合は、被侵害者からその責任を問われるのは当然である。本件の場合、原告とAが昭和49年2月婚約したこと及び被告が右事実をAから告げられて認識していたことは既述のとおりである。それ故、従前の被告とAとの関係は別として、少なくとも右婚約成立時以後は、原告との関係においては、被告がAに対して情交を求め、且つこれを遂げることは不法である。被告が右不法行為によつて原告に与えた損害について、原告に対しこれを賠償する義務を負うことは当然である。また、被告が昭和49年5月頃原告に対し威嚇的言辞を弄し、かつ原告を告訴する旨脅迫したことが不法行為に該当することは明らかである。
なお、凡そ権利なるものは、親権・配偶者相互間の権利のような親族権であると、物権・債権のような財産権であることを問わず、何れも他からその権利を侵害されることのない対世的効力を有し、何人も、これを侵害することのできない消極的義務を負担しているのである。この対世的権利不可侵の効力は、権利の通有性であつて、独り親族権がこの除外例であるいわれはない(大審判・大4・3・10・刑録279頁)。
具体的に婚姻の予約を侵害した第三者の責任につき、大審院判例もこれを肯定している(大審判・大8・5・12・民録760頁)。もつとも、右事案は、〈1〉既に婚姻予約者双方が、内縁関係にあること〈2〉第三者(男性)が婚約者の一方(女性)に一子を挙げさせたこと、において本件とは事情を異にするが、内縁に至らない婚姻予約(狭義の婚姻予約)が法律上の保護を受けることは明らかであり、一子を挙げたかどうかが権利侵害の成立に消長を及ぼさないこともまた明らかである。
五 (原告に生じた損害)
原告は、被告とAとの前記関係を全く知らないまま、昭和49年7月21日神戸市内において、双方の親族、知人、有力財界人の祝福を受けて、盛大な結婚式をあげ披露宴を催した。因みに、原告は、同47年1月3日亡妻Cと死別し、同人との間に長男D(昭和32年7月23日生)及び長女E(昭和33年11月6日生)があるが、Aと婚姻するまでは、右二児を自らの手で養育していた。またAも離婚歴を有していた。
原告はAと結婚後、ふとしたことから、同人と被告との前記関係を知るに及んだ。それによつて原告が受けた衝撃が如何に激甚なものであつたかは、敢て論じる迄もない。まずAとの間に深刻な亀裂を生じるに至つたが、それは当然に二児を含めた家庭全体に波及し、感じ易い長女は一時自閉症に陥り、時には両親殊にAに反抗して学校を無断欠席し、拒食を続ける等したため、原告は悶々の日々を明け暮れし、ために高血圧症、中心性網派絡膜炎に罹患し、現に静養を余儀なくされている。
右のような家庭内の煩悩が事業活動にも敏感に反映したことはいう迄もない。原告は現在もAとの離婚を真剣に考えている。しかし、それは家庭の破壊を招き「二児の将来をより一層不幸にすることが明らかであるし、また自己の社会的体面、会社の信用の保持、更にはA及び同人の老母の不幸等を考慮すると、離婚の決意もとかく鈍り勝ちとなり現在に至つている。
原告はかねて被告に対し、少なくともAとの婚約成立後の情交関係についての謝罪を求めた。しかし、被告は右関係のあつた事実については認めながらも謝罪についてはこれを拒否した。そこで原告はやむなく、昭和50年4月22日神戸家庭裁判所に慰藉料請求の調停を申立てたが、被告の応じるところとならず、同年9月4日不調に帰した。
原告が被告の前記各権利侵害により被つた精神的損失は、本来的にはとうていこれを金銭の多寡によつて評価しうるものではない。しかし、敢てこれを金銭によつて償いを受けるとすれば、自己の社会的地位・年令・家庭破壊の実状・苦痛の度合及び被告の地位・収入・行為の態様・行為の時機等を総合して考えると、金500万円を下ることはない。
六 よつて、原告は被告に対し右損害金500万円及びこれに対する本訴状送達の翌日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。