○「
セックスが全くなかったことによる慰謝料請求国内版1」の続きです。
今回は、平成2年6月14日京都地裁判決(判時1372号、123頁)において裁判所が認定した事実関係の概要です。判決での認定事実を、私なりに、半分以下の分量にまとめましたので、ちと正確性に欠けることをお断りします。
1 Aは、大学卒業後、○楽器店のエレクトーン講師として働き、月収約25万円を得ていたが、35歳の昭和62年5月Bと見合いをし、翌年2月結納を交わし、結婚のため同年4月で楽器店を辞めた。当時、Bは44歳で、大学卒業後、漬物製造会社に勤めていたが、昭和61年5月から工業薬品を扱う会社に勤務していた。お互い初婚。
2 Aの希望でフランスの教会で結婚式をするため昭和63年4月8日婚姻届出し、同月30日飛行機でフランスへ向けて出発したが、その直前に生理が始まったことをBに告げ、時差の関係や緊張のためにねむれないと困ると思い、念のためごく軽い精神安定剤を薬局で購入し、挙式(同年5月3日)前二晩(各二錠)服用し、そのことをBに告げたが、その後は精神安定剤を服用しなかった。同年5月7日、フランスから大阪に帰り、Aは少し疲れていたため、Bの勧めに従い、同月10日まで実家にいた。
3 Aは同月11日からBとの同居生活が始まったが、Bは一階で就寝し、Aには、二階で就寝するように指示し、Bが二階に上がってくることもなく、その後もAが二階、Bが一階で寝る生活が続き、Aの母がBに二階で寝ることを勧めるもそのままで、Bは、Aとの交際中から新婚旅行中、同居を初めてからAが離婚を決意してB方を出るまでの間、Aに指一本触れようとせず、手を握ることもなく、キスもせず、性交渉を求めてきたことも全くなかった。
4 Bの意向で、結婚披露宴もせず、結婚通知もほとんどせず、Bには結婚の喜びや華やいだ気分も見られず、結婚生活についてのしっかりした考え方もなく、子供についても大変だという思いのみであり、AがBに話し掛けてもまともな答えが返ってこないなど、夫婦としての会話がほとんどなく、他人やAにあまり関心がなく、自発的に何かを考え、他のことを理解しようとする感覚が乏しく、Aは、Bの言動に自分への労りや優しさを感じることができなかった。
5 Aは結婚前は、エレクトーン講師として数百人にわたる生徒、子供を教え、Bとの同居中主婦として通常に家事に従事し、毎日買い物に出掛け、Bと外出などもしたが、通常の健康体であり、BもAの身体の具合について尋ねたことはなく、Aの要請にも拘わらず、AをBの健康保険の被扶養者に入れることもなかった。Bは血圧が高く、糖尿病の治療を受けたことがある。
6 結婚生活の間、AはBから睡眠薬を飲んでいるかと尋ねられたこともなく、睡眠薬を飲むと奇形児が生まれるから飲んではいけないと言われたこともなかく、挙式前に精神安定剤を服用した後は、精神安定剤や睡眠薬を服用したことはなく、まして常用などしていなかった。
7 Aは、性交渉のないことで悩み、また夫婦間の精神的なつながりもないことから、同年6月18日Bに対し、「自分のことを分かってほしいとは思わないのか、私のことも分かってやろうと思わないのか」などと聞くと、Bは「そう思わない」などと返事をしたので、AはBとの結婚生活に絶望し、実家へ戻り、同月20日仲人宅で、性交渉がない等Bへの不平不満を訴えたが、仲人からの連絡を受けBは、性交渉のないことでAが悩んでいたことを初めて知るも、何らAに対し連絡もせず、弁解もせず、Aの離婚意思が堅く、自ら離婚もやむなしと決意し、同月24日この旨を仲人に伝えた。
8 同年7月2日仲人宅で仲人も交えてABで話し合うも、Bは原告の身体の具合が悪かったから性交渉はできなかったと言うのみで、まともな釈明もなく、無気力な反応に終始し、「Aは睡眠薬を飲んでいたのと違うか」と言い出し、終いには、B自ら署名済みの離婚届を用意してきたとしてこれを差し出し、Aも離婚を決意し、離婚届を受取り、同月5日Aは、B方から自己の家財や荷物を引き上げ、同月7日離婚届が提出された。
9 Aは、結婚に際し、婚礼道具等で約447万円の費用を支出したが結婚生活を継続しないなら不要で他へ流用しうるものは少なく、また10年かかって築き育ててきたエレクトーン教室の徒約60名も手放した。離婚後再び別の楽器店に勤務したが、収入は以前の3分の1以下となり、結婚のためすでに貯金は殆どなくなり、現在無収入の母との二人暮らしで経済的にも不安で、新しい楽器店では一からやり直さなくてはならず、何の保証もない仕事であるから、年齢的にも以前のような収入が得られるかどうかは定かではない。
この事実関係を前提としての裁判所判断は次のコンテンツで説明します。