”てっぱん”父娘の名乗りをしなかったことの是非2
○平成23年4月初めまで放映されていた連続テレビ小説「てっぱん」ですが、実は,私もこの父娘対面の場面がどのように展開するか興味を持ってみていました。私は、恋人が妊娠しているのに、それを知らずに外国に留学して、子供を産んだ恋人の消息が全く判らない状況の不自然さに疑問を感じましたが、それはさておき、自分の知らない間に恋人が我が子を産み,更に死去していたことを後日知ったら、如何に自分の無責任さを恥ずべきかと言うことが私の感覚でした。兎に角、この父親は、自分の無責任な行動を先ず恥じるべきであり、懺悔すべきです。その恋人が子供を産んだと言うことはその原因行為があり、実父は子供が生まれる可能性を当然知っていながら、恋人を放置して留学し連絡を絶っていたからです。
○実父とその恋人である主人公の母親との連絡が絶たれる経緯については全く説明が無く疑問はありますが、いずれにしても、19年間ただ放置していた子供に対し,到底、父親なんて名乗る資格はない、どの面下げて、父親なんて言えるか、恥を知れと言うのが私の感覚でした。ですから、祖母が実父に対し、父と名乗ることを禁じたのは、全く同じ感覚であり、義母から要請されても、父親面など到底許されないと思い、あの場面展開は私としては当然でした。
○むしろ義父と実父の対面場面で義父が実父に対し、どのような態度を取るか興味あったところ、義父は実父に対し、無言で深く頭を下げます。私の感覚では,深く頭を下げるべきはむしろ実父の方でした。義父が実父に対し深く頭を下げた理由は、おそらく実父が養父に気を遣って、主人公に対し父の名乗りをしなかったことと思われます。ところが、実父は、主人公を我が子同様に大切に育ててくれた義父に対し、深く頭を下げることなく,何事もなかったかのように無言で立ち去ります。
○私は、この場面は、当初意外とも感じましたが、義父の人の善さ、優しさを表現したものと感じ気分の良いものでした。私はここで実父に,我が子を育ててくれた義父に御礼を言うことすら許さない場面展開も当然と思いました。義父としては、自分には父親としての資格はないと強く自覚し、父親面して義父に礼を言うことすら許されないと考え、無言で立ち去ったと理解しました。
○裁判官ムサシ氏は、父と名乗らなかったのは、余りにも不自然であり、父と名乗らなかった理由が分からず、実父の行為は実娘の心を踏みにじったともので、私の怒りは暫く治まりそうにないと記述され、小説の最後に,感動的な父子対面の場面が展開することになることを強く期待され、更に4月3日付記事でも重ねて「人の心を踏みにじることであり,許されない」と記述されています。
○私はこの場面展開では、最後に感動的な父子対面など無いだろうと思っており,実際ありませんでしたが、ムサシ氏と私の感覚が,何故、これほど乖離しているのかと考えてみました。私の実父に対する厳しい見方は,私の特殊体験に基づくもので、おそらく、ムサシ氏の感覚の方が、一般的なのかとも思います。実父は、後日、主人公に対し楽譜だけを送ってきました。おそらくせめてもの償いと思われます。しかし、私の感覚では、19年間放置した慰謝料として全財産を贈与する位でないと実父として名乗る資格は無いと思っています。どんな素晴らしい曲でも、曲の一つ位では、到底、許されません(^^)。