家庭学校論とは
私は、離婚相談に訪れた依頼者の方々に必ず、以下の家庭学校論をぶちます。
家庭は安らぎの場であるべきと思いますかと、質問すると、大抵の方は当然であると答えます。しかし、私は、家庭が安らぎの場だなんてとんでもありません。私から言わせると家庭は、最初から安らぎの場ではありません、安らぎの場とは、家庭と言う学校でで学び、好成績をとった「結果」にすぎませんと説明します。こう言うと皆さん、キョトンとします。
結婚して、家庭を持ち、これで安らぎの場が得られるなどと、甘い期待をもったらとんでもないことになります。
確かに結婚当初は、恋愛による「のぼせ」の余波で、安らぎの場的雰囲気はあります。あばたもえくぼの時代です。しかし、恋愛は一時の熱病みたいなもので、「のぼせ」は結婚により急速に冷めるのが必定です。それは皆さん、一番ご存じでしょうと言うと皆納得します。
実は、冷めてからが、本当の勝負が始まりです。
それでは家庭で学ぶものは何だと思いますかと聞きます。しかし、殆どの方は私の求める答えをしてくれません。
そこで、実は、家庭で何を学ぶかというと、それは「人間」の一語につきますと説明すると、怪訝そうな顔をする方もいますが、以下のように説明します。
家庭においては、夫婦、子どもがお互いに、時に生徒、教師、教材として役割を変えながら、お互いを見つめ合い、人間を学ぶのです。夫婦は所詮赤の他人であり、子どもも血の繋がりはあっても、独立の人格でいずれ他人となります。これらの他人同士がひとつ屋根の下で暮らせば、軋轢が生じるのが当然です。
この軋轢を、お互いに人間観察・コントロールを尽くして解消し、良好な人間関係構築及び維持の技術を訓練する場を提供するのが家庭です。相手の「顔色をうかがい」ながら、お互いに機嫌を損ねず安定した人間関係を築くことは結構努力が必要です。時にお互いが素っ裸になって、これほど至近距離で人間を観察し、生徒・教師・教材となって、学習する場は家庭だけであり、学校や職場では替えられません。小さいけれども人間を学ぶ最も基本的組織体が家庭なのです。
家庭のこの機能を自覚し、家庭内での訓練努力を怠らないことが肝要です。家庭は、単なる安らぎの場ではないのです。
離婚は、この家庭という学校からの退学であり、実にもったいないことです。どうか慎重に考えて下さいと説明します。