最近は、離婚の原因については最近は、半分は繰り返し述べてきたよく見ていなかったことですが、更に半分は先天的なものですとも説明します。先天的とは、要するに先天的に相性が悪かったのであり、自分が努力してもどうにもならないもので、離婚に至ったことについて自分だけを責める必要はないと言うものです。
畏敬する
谷沢永一先生の、名著
「人間通」の、「恋愛」と言う項目で、世には人の心を安らかに落ち着かせ幸せな気分をもたらす「激励の論理」と、逆に人を悲しませ嘆きに沈ませ己を不幸と思いこませる「侮蔑の論理」があり、この侮蔑の論理の一例として北村透谷の恋愛至上主義を上げ、徹底的に批判しています。
透谷の恋愛至上主義は、「恋愛は人世(じんせい)の秘鑰(ひやく、秘密を明らかにする手段)なり、恋愛ありて後(のち)人世あり」と書き、人世を知るのは恋愛結婚だけであり、紹介結婚や縁故結婚では、人世の実相を把握できないと断言し、多くの男女を金縛りにして悲哀の底に沈めたとのことです。谷沢先生は、透谷のこんな言い方は「人を貶め蔑むための傲慢で排他的な特権意識の発作である」と激しく批判します。■特権意識の発作
私もこの谷沢先生の、論理は大賛成です。そして、私はこれを読み、私の家庭学校論、家庭戦場論も、行き過ぎると、「特権意識の発作である」と谷沢先生に叱られるのではと反省し、激励の論理として、50%先天性説を唱えるようになった次第です。
実際、人間関係は、男女関係に限らず、先天的な相性があり、相性が悪いとどんなに努力しても無駄であることが多くあります。要するに何となく虫が好かないと言う相手は、どうしても心から仲良くなれないものです。ただ当初は虫が好かなかったが、付き合っている内に、大の親友になると言う場合もあり、一概に断定できないところが人間関係の難しいところですが。
しかし離婚に至る男女関係は、やはり先天的な相性の悪さが大きな原因を占めており、当事者間の努力ではどうにもならない場合があることを実感しております。そこで、離婚原因の半分は、先天的なものであるから、離婚に至ったことについて徒に自分を責め、嘆き自信を失うことはありませんと励まします。
しかし、ただ半分はやはり相手をよく見ていなかったことが原因であり、ここは徹底して敗因分析をして今後の人生の教訓にすべきですと付け加えることも忘れません。