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小松亀一法律事務所は、「相続家族」問題に熱心に取り組む法律事務所です。

遺言書

自筆証書遺言書有効性判断に動画内容を参考にした高裁判例紹介1

○「自筆証書遺言書有効性判断に動画内容を参考にした地裁判例紹介」の続きで、その控訴審である平成29年3月22日東京高裁判決(判時2379号)判断部分を2回に分けてを紹介します。

○自筆証書遺言の有効性の判断に当たり、四つの途切れたファイルが合成された動画の実質的証拠力について、動画に顕れた被撮影者(被相続人)の言動、遺言書や動画の保管状況及びこれに関する撮影者の説明の合理性その他諸般の事情を総合して判断すべきであるとしていますが、一審平成28年4月7日東京地裁判決(ウエストロー・ジャパン)とは結論が逆になっています。


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主   文
一 原判決を取り消す。
二 東京家庭裁判所平成26年(家)第××××号遺言書検認申立事件において検認された原判決別紙記載の自筆証書による亡乙山松子の遺言は無効であることを確認する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由
第一 控訴の趣旨
 主文同旨

第二 事案の概要(略語は、新たに定義しない限り、原判決の例による。)
一 本件は、控訴人が、被控訴人に対し、控訴人と被控訴人の被相続人である亡乙山松子(亡松子)作成名義の東京家庭裁判所平成26年(家)第××××号遺言書検認申立事件において検認された原判決別紙記載の自筆証書(以下「本件遺言書」という。)による遺言(以下「本件遺言」という。)が、何者かによって偽造されたものであって、自書性その他の要件を欠くと主張して、その無効であることの確認を求める事案である。

二 原審は、本件遺言書が法定の様式に従って亡松子が作成した自筆証書遺言として有効であると判断して、控訴人の請求を棄却し、これを不服として、控訴人が、本件控訴を提起した。

     (中略)


第三 当裁判所の判断
 当裁判所は、原審と異なり、控訴人の請求を認容すべきものと判断する。その理由は、次のとおりである。
一 事実認定
(1)争いのない事実等、後掲各証拠《略》及び弁論の全趣旨によれば、本件の経過として、次の事実が認められる。

ア 亡松子(大正14年××月××日生まれ)は、昭和22年5月、医師である亡一郎(大正5年××月××日生まれ)と婚姻し、長女である被控訴人(昭和24年××月××日生まれ)と二女である控訴人(昭和27年××月××日生まれ)をもうけた。

イ 被控訴人は、昭和49年1月××日、Pと婚姻し、同年2月、渡米し、昭和51年××月××日に長男を、昭和53年××月××日に二男をもうけた。
 控訴人は、同年1月××日、C病院に勤務する医師である甲野太郎と婚姻し、昭和54年××月××日に長男を、昭和57年××月××日に長女をもうけた。

ウ 昭和54年11月××日、B社が設立された。
 同社は、昭和61年、米国ニューヨーク州ロングアイランドにある邸宅を取得し、被控訴人がこれを使用するようになった。

エ 平成5年2月××日、D会が設立され、A外科病院の経営主体となった。甲野太郎は、C病院胸部外科講師の職を辞職してA外科病院に勤務することとし、亡一郎は、同年6月××日付け書面をもって、控訴人の夫である太郎が後継者となったことを公表し、甲野太郎は、平成16年6月××日、D会の理事長に就任し、控訴人は、平成17年11月××日、B社の代表取締役に就任した。なお、被控訴人がB社及びD会の経営に実質的に関与したことはない。

オ 亡松子は、平成17年頃から度々物忘れをするようになり、同年4月1日のCT検査において脳幹と小脳に明らかな病変は認められず、脳室とくも膜下腔が全体にやや拡大しており、同年5月頃、SPECT検査においてアルツハイマー型老年痴呆に合致するパターンが認められた。

カ 亡一郎は、平成17年12月7日、〔1〕被控訴人に和歌山県○○に所在する土地建物を相続させ、〔2〕控訴人に株式、預金、貸付金その他一切を相続させ、〔3〕遺言執行者として控訴人代理人臼井義眞弁護士(以下「臼井弁護士」という。)を指定する旨の公正証書遺言をした。この公正証書には、第四条として、「遺言者は、春子に対し、春子がPと婚姻した以降約15年間、同夫が医学部を卒業するまでの学費及び夫婦の生活費全部を負担した。又、同夫が医師として開業した後もニューヨーク州所在の広大な邸宅の維持費、固定資産税及び生活費の一部を長年にわたって負担した。上記のとおり負担した正確な金額は不明であるが、合計で1億円を下ることはない。従って、春子は、本遺言書による遺産相続で満足してくれるものと信じる。」、第五条として、「花子に対する相続が春子の遺留分を侵害することはないものと思うが、仮に、遺留分を侵害しており、私の遺志に反することであるが春子が遺留分減殺請求権を行使するときは、B社の株式は減殺しないものとする。」旨の記載があった。

キ 平成19年12月頃、Qが亡松子の付添いをするようになった。

ク 被控訴人は、平成21年、Pと離婚した。
 亡一郎は、同年4月××日、死亡した。
 亡松子、被控訴人及び控訴人は、同年8月5日、上記カの亡一郎の公正証書遺言の内容とは異なり、〔1〕亡松子がE株式会社の株式2000株を取得し、〔2〕被控訴人が、約500万円の預金及び現金を取得し、〔3〕控訴人がB社の株式及び不動産等を取得する旨の遺産分割協議をして押印した。

ケ 平成23年5月2日の亡松子のCT検査においては、脳室とくも膜下腔が平成17年4月1日よりも全体にかなり拡大し、これに伴って側脳室前角前部のLDAがやや目立つとの所見であった。

コ 控訴人は、B社の経営のため、亡松子が居住していた東京都《以下略》所在のFビルの五階から七階までの部分を賃貸する必要があると判断し、平成24年4月初め頃、亡松子に対し、会社の窮状を伝えた。亡松子は、「あなたたちが何を話に来るのか分かっていたわ。大丈夫よ、私は。今までここに住めたのだし、戦時中のことを思ったら、そのくらいのことなんでもない。」などと言って、転居に同意した。
 また、亡松子は、同月19日、B社の株式及び不動産を含む財産一切を控訴人に相続させ、遺言執行者として臼井弁護士を指定する旨の公正証書遺言をした。この公正証書には、付言事項として、「亡き乙山一郎の晩年、病院と会社の赤字が次第に膨らみ、多額の借金を背負った時からは、院長となった夫甲野太郎と共に、日夜並々ならぬ努力を重ね、その結果、病院と会社は存続することができました。私が今日まで、無事に生活できたのはそのお陰であり大変感謝しています。」「病院も会社も、未だ多額の借金を抱えており、経営立て直しは道半ばです。まだまだ困難が続くと思いますが、花子ならばその夫と共に、必ずや再び繁栄に導いてくれると信じています。私が残す財産は、その備えとなるべきものなので、私の亡き後は、その管理一切を花子に委ねます。」などの記載があった。
 亡松子は、同年5月、Fビルから、甲野太郎及び控訴人が二階に居住する東京都《以下略》所在の建物(以下「Gビル」という。)405号室に転居した。

サ 甲野太郎は、平成25年2月7日、亡松子について、運動器不安定症の傷病名で下肢リハビリの目的で医療機関に紹介し、その際の「紹介・診療情報提供書(控)」と題する書面において、「どこが特に悪いというので無く加令と意欲低下による歩行困難、廃用(disuse)によるものと思われます。在宅リハ宜しくお願いします」と記載した。
 また、A外科病院のR医師は、同年4月8日、亡松子について、左股関節から大腿近位の外側から背側にかけて疼痛があり、関節の拘縮の影響が大きい様子を認めた。

シ 亡松子は、同年9月、誤嚥性肺炎のため入院生活となり、平成26年7月××日、死亡した。
 亡松子は、死亡当時、少なくともB社の株式8986株、D会の出資持分及びFビルの敷地持分及び建物の一部を所有していた。

ス 被控訴人は、平成26年8月14日、「申立人は、上記遺言書を平成25年2月8日に遺言者から預託され、これを自宅にて保管してきた。」と記載した申立書により、本件遺言書の検認を申し立てた。

セ Qは、平成26年8月19日、亡松子がほぼ寝たきりの状態となり、24時間看護が必要となってから4年ほどが過ぎた平成25年2月頃、自らの死後を案じ、遺言の作成をすると言い出し、亡松子の要望に応じて便箋と封筒、印鑑を渡したこと、亡松子から手渡された封筒にしっかり封をし、しっかりと保管しておくようにと申しつかったため、亡松子の隣の自分の部屋の箪笥に保管していたことなどを記載した宣誓供述書(以下「本件宣誓供述書」という。)を作成した。

ソ 平成26年10月8日、本件遺言書の検認(以下「本件検認」という。)がされ、本件遺言書は、洋紙一枚で、筆ペンで書かれており、封緘された白色封筒(以下「本件封筒」という。)内にあった。本件封筒の「遺」の文字には誤りがあり、また、本件遺言書は、原判決別紙のとおり、「言」の文字に誤りがあり、日付は、漢数字で「2013 2・8」と一応判読できるものであり、亡松子名下の印影(本件印影)は、亡松子の実印及び銀行印ではなかった。
 本件検認の際の審問において、出頭した被控訴人代理人伊藤敬洋(以下「伊藤弁護士」という。)は、本件検認の申立ての理由に記載したものと異なり、本件遺言書は、遺言者宅の手伝いをしていたQが亡松子に頼まれて保管していたものを、日にちは定かでないが、Qから被控訴人に交付されたと述べ、控訴人は、封筒の筆跡は遺言者のものではないこと、遺言書の筆跡が亡松子のものかどうか分からないこと、封筒及び遺言書の印影が亡一郎のもので、亡松子が使っていなかったと思うことを述べた。

タ 臼井弁護士は、平成26年10月10日にファクシミリで送信した書面により、伊藤弁護士に対し、本件遺言書について偽造の疑いがあることを指摘した。被控訴人代理人らは、同月14日付け書面により、控訴人代理人らに対し、被控訴人が偽造などということに関し全く心当たりがないにもかかわらず、刑事告訴されてしまうのかなどとおびえ、非常に大きな恐怖を感じたと伝えた。

チ 控訴人は、平成26年12月18日、請求の趣旨を「東京家庭裁判所平成26年(家)××××号遺言書検認申立事件において検認された平成25年2月8日付け別紙二記載の自筆証書による亡乙山松子の遺言は無効であることを確認する。」として本訴を提起した。

ツ 東京筆跡印鑑鑑定所川野一吉作成の平成27年2月27日付け鑑定書によれば、鑑定資料である本件遺言書の筆跡と対照資料(平成2年1月31日の不動産根抵当権設定契約書から平成21年8月5日付け遺産分割協議書までの五点)に記載された亡松子本人の筆跡とは、筆跡した人物の書きぐせ(筆跡個性)及び字画形態の構成・運筆状況に相異している箇所が多く見られたので、本件遺言書は亡松子本人の筆跡と相異していると判断する旨の記載がある。
 控訴人は、平成27年9月4日付けの原審原告第一準備書面において、請求の趣旨から「平成25年2月8日付け」とある部分を削除する旨の訂正をした。

テ 被控訴人は、被控訴人訴訟復代理人畑中鐵丸及び伊藤弁護士らを代理人として、平成27年4月14日付けで、株式会社H銀行を被告とする預金の返還を求める訴えを提起し、同日付け訴状において、亡松子が死亡した後、生前の居室の隣室のQの箪笥から遺言書が発見されたと主張した。

ト 被控訴人は、平成27年9月11日、平成25年2月8日に撮影されたと主張する動画データ(本件動画)及び同月23日に録音されたと主張する録音音声データ(本件録音)を準書証として申し出、これらは、平成27年10月22日の原審第三回口頭弁論期日において取り調べられた。

(2)本件動画及び本件録音について
ア 本件動画について

 本件動画は、被控訴人が「iphone4」で撮影したものであると主張されており、四つに途切れたファイルが合成したものである。
 四つのファイルにおける亡松子の服装、掛け布団、枕、周囲のベッド、壁、ふすまはいずれも同一であり、その内容は次のとおりである。

(ア)第一ファイル(再生時間0分0秒から0分23秒まで)
 亡松子の面前に本件遺言書の本文の記載と同様の記載があり、押印のない書面(以下「本件動画中の遺言書」という。)が置かれ、亡松子がこれに手を添えた状態で、Qと亡松子の間の次のような発言のやり取りが録画されている。
Q「奥様、今お書きになられた、あのー、このお手紙を、お読みいただいてよろしいですか。」
亡松子「いいですよ。」
Q「はいじゃあ、お願いいたします。」
亡松子「じゃあ、わたくしの全財産を、乙山、春子に、へ、相続させる。」
Q「はーい、ありがとうございます。」
亡松子「そうです。」
Q「ね。はい。」

(イ)第二ファイル(再生時間0分23秒から0分43秒まで)
 本件動画中の遺言書の右横に封筒が置かれ、亡松子が右手に筆ペンを握り、亡松子と別の者が指で封筒を指す状況が撮影され、被控訴人の「はじめ」の声の後、Qと亡松子との間の次のようなやり取りが録画されている。この撮影途中には、日付として「2月8日金曜日」、一面の最も大きな見出しとして「研究費」などという文字が印刷された讀賣新聞(以下「本件新聞」という。)が映されている。

Q「じゃあ奥様、あの、これお書きいただいたんですけどね、遺言(ゆいごん)、お書きになったんですよね。」
亡松子「ええ。」
Q「で、あのー、じゃあこれ、封筒にお入れしておいた方がいいと思いますので、ここにも、この、分かるように、遺言(ゆいごん)とお書きになったらいかがですか。」
亡松子「いいです。」

(ウ)第三ファイル(再生時間0分43秒から一分12秒まで)
 本件動画中の遺言書の上と右横にそれぞれ封筒が乗せられており、亡松子が右手に筆ペンを握り、本件動画中の遺言書の右横にある封筒に文字を書く様子とともに、Qと亡松子との間の次のようなやり取りが録画されている。また、録画途中に本件新聞が映っている。
Q「縦棒書いて、横ですね。えっと、はい。後カイ(貝)ですね。…これ見えないかしら、後シンニュウ書けますか。」
亡松子「ひいて…。」
Q「酷い字になっちゃいましたね、奥様。不本意な字になっちゃいました。」

(エ)第四ファイル(録画時間1分12秒から1分59秒まで)
 封筒に「乙山」の文字があり、第三ファイルでは本件動画中の遺言書の上に乗っていた封筒がない状況で、亡松子が右手に筆ペンを握り、封筒の裏に氏名を書く様子とともに、Q、被控訴人及び亡松子との間の次のようなやり取りが録画されている。もっとも、ここで録画されている亡松子が記載した氏名の位置は、本件封筒に記載されたそれと異なるものであり、上記封筒は、本件封筒とは異なるものである。また、録画途中に本件新聞が映っている。
Q「松子さん。…ここですね。」
被控訴人「なるべく、あの、手出さない方が。…ああ素晴らしい。」
亡松子「上手だねえ。」
Q「上手。」
亡松子「うっとりしちゃうわ。」
被控訴人「上手だよ。」
Q「よし、OKですね。」
被控訴人「素晴らしい。…じゃあ、これで。…で、これで、ママ映すからね。…笑ってくださーい。ママ、笑ってください。」
亡松子「わたくし。」
被控訴人「ひー」
亡松子「ニッカリ。」
被控訴人「よく書けました。」
亡松子「さてねえ。」
被控訴人「まあ、こんなとこですね。」

イ 本件録音について
 本件録音には、Qと亡松子の間の次のようなやり取りが録音されている。
Q「奥様あの申し訳ないんですけど、先日お書きになられたご遺言書のことで、奥様の方から直接、あの、お言葉を録音させていただきたいんですけども、よろしいでしょうか。お話していただけますか。」
亡松子「この間私が書いたものね。手が思うように動かないので、とても達筆とはいえないわね。大切なことは書いておいたので春子に渡しておいてくださいね。このままにしておくと、春子がそれこそ一株ももらえないことになってかわいそうなので遺言書を書いたのよ。」